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私が"私"になった瞬間

海外にいた時の話をしようと思う。

ハンガリーに着いた時。忘れもしない、空港から家に向かうまでのネオンが綺麗で、とうとうこの日が来たんだと思った。

希望と不安が入り混じって、いざとなるとじゃあどうしたかったんだよ!

ってなるくらい複雑だった。

自分から飛び出したくせに、1週間は毎日泣いてた。泣きながらスカイプしてた(スカイプがある時点で大分ハードル低いけど。)

アンドラッシー通りっていう大通りが、世界遺産になっていて。ほぼ通り沿いに世界的に有名な音楽家、リストの家が旧リスト音楽院として今も観光地として残ってるんだけど、私のアパートはそのま隣だった。

初めての一人暮らし、初めての国、誰も知らない。嬉しかった。


でも、次の瞬間には、トラブル。


まず2日目の夜、明日から学校。

二部屋先の住民がめっちゃ発狂する。夜中になると突然。ホラー映画ばりだし、苦情とかのレベルじゃない。怖すぎて。

その瞬間に電気がつかなくなったり、ある日はガスがつかなくなったり。

だからハンガリー語、必死にやった。コミュニケーション取れないと生きてけないし、誰も助けてくれないし。

私って、経験していく時に人より遠回りと言うか、通らなくていいところまで通る。

ハプニング大賞とれる。笑 

例えば今でもレジに並ぶ時、いつも一番遅い所に並んでしまう。一番早そうなところをわざわざ選んでも。笑

でも不器用だから、そのくらいでちょうどいいのかもしれないし、大人になった今、少しは生きやすいかも。


自分の経験は、財産。


辛いこと、沢山あったけど。ハンガリー語がわかりだしたと同時に、『〜だから日本人はさ、』とか悪口言われてたりね。自炊も量が分からなくて激太りした。でも、すごく自然体でいられて、すきだった。みんなゴミも分別しないくらい適当で、さっぱりしてて。

あぁ、自分は実は人よりもすごくさっぱりしてるんだ、って。

自分自身を見つける事ができた。


スイスも、冒険の連続だった。たしかに田舎ですごく綺麗だったけど、theatreの上に住んで、人生初のルームシェアで。。その頃にはヨーロッパ中、日本全国くらいの感覚で飛び回ってたから。

今でも一番の事件は、ルーマニア。


オーディションで、国立のオペラ座に呼ばれたんだけど若買ったから一番安い航空券買ったら、真夜中着。


着いたら空港、めっちゃ暗い。


しかもハイエナのように浮浪者?変な人が沢山いた。

それはみんなタクシーの運転手で、みんな私のトランクとか、服とか引っ張ってくるの。

無理矢理タクシーに乗せようとするの。

私はその時怖いもの知らずで、持ってたトランクを振り回した。

私が不審者になった途端、周りに人がいなくなった。

でもタクシーしか移動手段がないから、

その中からまともそうな人を探さないといけなくて。

真っ暗の街頭も1つ、2つしかない中、

目を一人ずつ見ていった。

結局3倍くらいお金取られただけで(しかも物価は安いから別にそこまでの害ではない)

ホテルには着いたけど

『ここら辺は信用できるタクシー会社は2.3個しかないから、その会社を見つけて乗らないとダメだよ。』

ってホテルの人に言われて、次の日会社を通して呼んでくれた。

その1ヶ月後に日本の聖心の女子大学生がルーマニアで同じ手法で拉致されて亡くなった。

あぁ、私ここにいなかったかもしれないんだな。って思うと、やっぱりやれる事、もっとあるなって思う。その子ももし同じ便だったら、助け合えたのに。

一方で、スイスでの生活はいろんな国の人間がいたから文化の違いで、すれ違うようになったりした。

何考えてるのか全然本心がわからなくて、好かれてるのか嫌われてるのかもよくわかんなかったけど。

最後に自分のBirthday partyをしたら、みんな来てくれて。愛されてたんだってわかった。

ちなみに欧米では自分で誕生日パーティーは主催するんだよ。

 スイスの時は、自分を見失って。信じてた自分の力に限界を感じて、わからなくなった。

と同時に、海外にいること自体が夢みたいな。常にふわふわしている感覚があって 『あぁ、またこのままではどんどんだらけるダラける方向に行っちゃう。』って言う思いとの葛藤だった。英語だと言葉自体がその時はまだ完全には響かなかったりして、もう常に自分との戦いだったし、そして常に自分に負けてた気がする。

日本が好きかは、未だにわからないけど。わたしにはこのくらいお尻を叩かれる環境の方が自分を高められると言う結果に至った。

海外で活動してるダンサーの日本人は素晴らしい人沢山いるけど、日本にいるみんなには全然、届かない。それが無念だったし、日本にいる方が自分という存在が前に出せる、みんなに見てもらえる、だから緊張感を保てる。

と思って帰国した。

でもやっぱり、人には合わせられないし、雨の時傘さしたくないし、浮きっぱなしなのだけど。

ただ、ここ数年で大分私みたいな人が増えたというか、個人事業主がやりやすくなってきたのは事実。働き方や芸能という観点が、例えば政治やSNSによって静かに変わってってる。

それは時に苦しいこともあるけど、海外の経験を持って、大分居心地がよくなった。

それにやっぱり東京はチャンスが多い。

毎日がRPG(ロールプレイングゲーム)のように人に会ったり、気づいたら仕事になったり、行動した者勝ちで、それだけは私にぴったりだった。


人のこと気にするから精神的に病む

=メンタルの無駄遣い。


そのエネルギーを自分の中の力に蓄えれば、何歳になってもどんどん新しい挑戦は出来る。

周りなんて、人が頭一つ出るとやっぱ焦るのもあるし、あとは単純に心配だから、

『えーやめた方がいいよ、無理しない方がいいよ』


って言う。だから聞かなくていい。

迷ったらやるの一択でいこう。

あなたの人生はあなたの物だから。

誰にも左右される必要はない。


例えその反対してくる人が親でも、親の思い通りに自分が生きれなくても、違う形でいくらでも親孝行できるはず。


ただ、お金は必要。

人に迷惑だけはかけるな。



って言う思いを持って、

今日も生きてるんだ。私は。

#留学 #海外生活 #記録 #人生 #事件 #深い話 #人間論









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