生きてるってふしぎだな
一昨日から今日にかけての3日間。
父方の祖父母、母方の祖母と過ごした。
自分が歳をとったということは、当然周りの人も同じだけ歳をとっていくということで。
気がつけば父方のおじいちゃんは88歳、おばあちゃんは77歳。母方のおばあちゃんは90歳を超えた。
一昨日、昨日と父方のじいちゃんばあちゃん、そして父の兄弟家族たちの、総勢15名でプチ旅行をした。目的は祖父母の米寿と喜寿のお祝いをすること。
夕飯後、サプライズでケーキを出し、みんなで祝った。その場にいる人たちみんなでおじいちゃん、おばあちゃんへの感謝の気持ちを表した。
2人は泣いていた。
おじいちゃんは「ここまで長生きさせてもろうて。奇跡です。ありがとう」と言い、おばあちゃんは長い時間、顔を手で覆ったまま嗚咽を漏らしていた。
その夜はいとこみんなでUNOをしたり、千と千尋を観たりした。10年前に戻ったようだった。みんな子どもみたいにはしゃいで、楽しんでいた。この時間がずっと続けばいいのにと思った。
そして私と母は愛知県の母の実家に移動し、昨日今日と母方のおばあちゃんと過ごした。
スマホを触っていると「世の中みんなこればっか見てる」と言うので色々と触らせてみた。世界各地の今の時間が分かること、明日の天気が見れることに「賢いねぇ」とつぶやいていた。
今朝は私とおばあちゃんが先に起きてしまい、寝ている母が起きるのを待っている間、初めて2人であっち向いてホイをした。
数年前におじいちゃんが亡くなってしまってから普段1人で暮らしているおばあちゃん。誰かとあっち向いてホイをするのは何年ぶりだったんだろう。ふと思う。
私が帰るときおばあちゃんは、「また来てね、絶対だよ」と私の手を握り、泣いた。小さな体が震えていた。
また来るから、そう言って私はその手を握り返した。
こうしてこの3日間が終わった。
終わったと同時にとても不思議だなと思った。
自分が今生きているということが。
この3人がいなかったら私は今この世にいなかったらしい。3人は戦争のあった時代を生きてきたらしい。当たり前のことかもしれないけれど、考えれば考えるほどなんて不思議なことなんだろうと思った。
そして、うわぁすご。と思った。笑
笑っちゃうぐらい単純にすごいなと思った。自分が生きているということが。
自分が今、生きているということ。
それは命を繋いでもらった奇跡の上にあるのだということをとても強く感じた3日間だった。
私はこの命を何に使っていくのだろう。
明日自分が生きている保証はどこにも無い。今乗っている電車が数秒後に脱線事故をするかもしれない。駅から家までの帰り道で車に轢かれるかもしれない。
どんな生き方をしたいのだろう。
まだこれ!といって明確に言えることは無いけれど、きっと今までもこれからも、会いたい人に会いたい時に会いにいくし、その人たちのために自分ができることはやっていくのだろうとはなんとなく思う。この生き方は変わらないと思うし、変えたくないなと思う。
じいちゃんばあちゃん、今のところ孫はこんな感じで生きていこうと思ってます。
次会った時はどんな話をしようね。
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