ブログ記事(vol.13)運命の病気よ、ありがとう!

運命の病気よ、ありがとう!(vol.13)
2015年08月26日

どうも〜。

みなさんお元気ですか?
辛い毎日を送っている方、寂しい思いや不安に悩まされ続けている方。
涙が止まらない方、恨みつらみで心がいっぱいの方。
そして、もう耐えられない!命を絶ちたい!
そういう想いで地獄のどん底の方。

今やっと回復しつつある私も、激鬱が長期にわたって続いたとき、
心の底から「神を呪い」ました。


宗教の話は日本人には抵抗があると思い、今まで気をつけて敢えて
触れてはきませんでしたが、実は私はクリスチャン(ルター派)で、
今は教会に気が向いたら行く程度ですが、昔は熱心に聖書研究をして
いました。正直、書いてあることが面白くて、やめられませんでした。
今思うと、当時からすでに音楽家というよりも、学者タイプだったの
かもしれません…

こちらヨーロッパはご存知のとおりキリスト教が根付いている国です。
聖書のいう「神様」が日本人が思いつくような「見られていて、お仕置きされる」という感覚ではありません。それが私にとって最初の「カルチャーショック」でした。
よく日本では「神の祟り」とかいいますが、そういうのとは無関係な存在が「神」です。

聖書に書いてある中で、「神は愛です」という箇所があります。

神様は文字のごとく「愛でできている」のであり、人間をひとりひとり
我が息子や娘のように愛してやまないというのが(宗派によって多少の違いがあっても)一般の「神様像」であり、それが社会の根本に流れています。

単純に言うと、「神様が本当のお父さん」で、「子供を遠くから、愛して
いつもやさしく見つめている。絶対に見捨てない」とような存在でしょうか。

「人間はひとりひとり神様の子供だから、愛されて生まれてこない人は、
世界中に誰一人としていない」というのが、聖書の見方なんですね。

こちらにきて、私もそういう聖書の考え方というか、人生観に心打たれて、
クリスチャンになったのですが、その考え方が根本にある社会で暮らして
いるので、そのせいなのか日本に比べて「生きるのが楽」です。

聖書の根本は「愛」と「赦し」です(一度日本の牧師さんとお話したことが
あるのですが、その時に日本語では「許し」と「赦し」は違うらしいという
ことを聞いたことがあります。興味深いので、いつか詳しく聞いてみたいです)。

でも、そんな(ちょっぴり聖書マニアだった)クリスチャンだった私も、
言葉通り「地獄の底」に突き落とされたような、真っ暗闇のどん底から
長い時間抜け出せないという「人生で最大最悪のピンチ」に陥った時。

心の底から、「神様の馬鹿野郎っっっ!」と毎日毎日叫んでいました。

聖書には「神はあなたが必要なものをあなたよりも分かっていて、
与えてくださる」とか「主の山は備えあり」だとか、はたまた
「私(イエス)を信じるものは、失望させられることがない」などなど。
自分がギリギリで生きていて、本当に辛すぎた時、なんとそれらが、
ものすごく楽観的な現実味のない言葉に感じられて、最終的には
「神様なんて、いないんじゃないの?!」
と、激鬱になって初めて15年間信じてきた神様の存在を
心の中で疑い始めました。

「神様、いるんだったら、助けてよ!どこにいるわけ?嘘つきっっっ!!!」

そういう言葉で胸がいっぱいでした。
さすがに15年間も「愛情でいっぱいのパパみたいな神様」を子供のように
素直に信じてきて生きてきたので、やっぱりどうしても神の存在を簡単には
完全否定できませんでした。でも、「神様がいるなんて、やっぱり嘘なんだ!」
って大泣きする毎日で、本当に辛くて辛くて、言葉では上手く言い表せない
くらいです。比較対象がないくらい、これまでの人生の中で群を抜いて、
一番辛かった時期でした。

「死ぬことのほうが、ずっと楽に見える」

こんなセリフはよくある日本のドラマでも散々耳にしてきましたし、
実際に子供のころに、あまりにも現実が辛くて、芸術の世界に逃避する
ことだけでは精神的に間に合わなくなり、少しだけ「自殺」を考えた
時期がありました。

顔を会わせるたびに(普段は無口の)父に言われてきた
「おまえが生きてると、それだけで金がかかる」
という冷酷な言葉が、その気持ちに さらに輪をかけていたのだと思います。
でも、子供だったのもあって、自殺の仕方がわからずに、別の方法(音楽)
で現実逃避をすることを見つけて、自殺の文字は自然と頭から消えて行きました。
(今考えると、本当に音楽と出会えてよかったと思います )

でも、今回はそんな過去の辛い経験には全く比較にならないほど、
本当に本当に辛くて、しょうがありませんでした。

よく笑うポジティブ思考の私 が、好きなお笑い番組を見ても、
おいしいご飯を食べても、友達と楽しい話をしても・・・何をしても
ダメなんです。「にこり」とも笑えない。笑顔が消えてしまっていました。

「あれ、笑い方ってどうやるんだっけ?!涙ってどうやったら出るの??
味ってどうやったら、おいしいかわかるの?????」

本当にひどい状態でした。その時期はまさに、この世が私にとっての
「地獄」になってしまっていました。

小学校低学年のころ、毎日のように遊んでいた、とても仲良くして
くれていた女の子のお友達がいました。
その子のお家は「仏壇屋」で、お家のビルの1階と2階がお店に
なっていて、遊びに行くたびに、その子のおばあちゃんが売り物の
お仏壇に貼る金粉をマスクをしながらピンセットで取り出し、
作業しているのをみて、子供ながらに興味深かったのを思い出します。

その子のお店に「地獄絵」という絵巻がいくつも置いてあり、
一度かくれんぼをして遊んだときに、それを見つけた私は彼女に
「これ、何?」と巻物を指して尋ねました。 
友達は「これは仏教の絵だよ。例えば、これは地獄絵っていって、
死んでからいくところを昔の人が描いたんだって。」
と教えてくれました。

その「地獄絵」が子供ながらに恐ろしくて、薄暗い倉庫の中で、
夏だったにもかかわらず、鳥肌が立ったのを思い出しました。

今回生まれて初めての「激うつ」を長期にわたって経験してみて、
まさしくあの「地獄絵」のようだった気がします。
もっと他に、よい例えがあればいいのですが、恐らく鬱になった
経験のない方には、「激鬱」がどれほど辛いのか、ご理解いただくのは
非常に難しいと思います。それは、母親になってみて、産みの苦しみが
初めてわかることと似ているかもしれません。

その「地獄絵」のような大きな苦痛を伴う「暗黒の世界」に「滞在」
してみて、正直、もう二度とあんな思いはしたくないです。
でも、この恐ろしく辛かった経験がバネになり、「何が何でも治すぞ!」
というやる気につながっている気がして、悪いことばかりではないな〜
なんて思ったりしています。

前置きがいつもよりも長くなってしまいました。
とにかく、そんな基本は「地獄」の世の中で、強制的に「生まれさせられて」
そして最後も強制的に「死ぬ」という運命の私たち人間。例外はありません。

命という名の人生の時間は、本当に限られていて、「あっという間」に
あれよあれよと時間は過ぎていきます。

だからこそ、病気などの人生に起こる様々な「困難」や「苦労」は、
「買ってでもしろ」という諺があるように、世の中で一般に言われている
こととは全くの「逆」で、本当はとてつもなく「人生において必要不可欠」
なある意味、神様からその人への「人生の課題(宿題)」ではないかと、
(クリスチャンの私は)思ったりします。

ということで、いろいろ苦しんで死にそうでしたが、
結果的に私はなんとか「生き返る」ことに成功し、まるで生まれ変わった
かのように、成長した気分で今の時を生きています。

限りある「人生」という「時間」の中で、あなたにとっての
「大切なこと」は、なんでしょうか?

恐らくこのことを考えるために、私は病気になった気がします。

「何のために、死ぬまでの時間を過ごしていきたいのか」

私は双極性障害ではあっても、統合失調症ではないので、
何か声が聞こえたわけでも、目の前にビジョンが見えたわけでも
決してありません。

でも、「何のために、命という名の時間を使うのか」という
ちょっと哲学的とも言えるような「難題」を突き詰めに突き詰めて
自分の心と向き合って、出た答えがあります。

せっかく「神様からもらった、時間という名の命」なんだ。
私は聖書にある言葉の中で、最も重要な教えだと言われている
「心を尽くしてあなたの神を愛せよ。」と「あなたの隣人を
あなた自身のように愛せよ」が夢物語ではなくて、
実際、現実に実行できるような、そんな職に就きたい!

(余談ですが、ここでイエスは「あなたの《隣人》を《あなた自身のように》愛しなさい」といっていますが、決して「すべての人を自分以上に愛せ」とは言っていないので、読み解くには注意が必要です。)

これが、悩みに悩んで苦しみに苦しんで出た私の答えでした。

私は合計すると、これまで約5年にわたり、こちらの大学で
教鞭をとってきました。その前の学士課程(BA)の3年を入れると、
計8年も同じところにいたことになります。

私は大学という機関はとても好きですし、現に職場の雰囲気は
とてもよく、教授にも大変よくしていただいてきました。
そういう意味では、とても恵まれていたと思います。感謝です。

でも、自分を見つめ直して、もう一度時間をかけて考え直して、
やはり「もう、この職場には帰りたくないな」と心の中で思っていた
自分を発見しました。

もし、これまでのような大学の講師の仕事を続けたいのであれば、
間違いなく別の国に行かなくてはなりません。
でも、これも自分の心と素直に向き合っていく中で、
「この国にいたい」ということを強く思うようになりました。
今住んでいる国が、多々問題はあっても、やっぱり好きなんだな〜
と、心の中で再確認しました。

実は、教鞭をとっていたとき、金欠なのに必死にお金を貯めて、
勉強のために(ほぼ毎回)自費で研修にいったり、講習会や学会に
参加したりしていました。振り返って、はじめて自分がどれだけ
勉強熱心だったのか気がつきました。

一生懸命だったし、いつも真剣でした。
そのかいがあったのかどうかは、わかりませんが、やがて
各地から講演会のお誘いをいただいたり(金欠でほとんど
お断りしていましたが…涙)、本の出版にいくつか携わるという
大変貴重な機会を与えていただいたりしました。

最終的には英国のケインブリッジ大学で自分の書いた論文の掲載
された書籍を出版していただけることになりました。
(余談ですが、そのころ運悪く人生初の「激鬱」が到来した直後
でした。でも、さすがに今更断ることもできずに、毎日何時間も泣きながら、しかも苦手な英語で書き上げました… 今考えても、本当に辛かったです 。)

これも教授の強い後押しがなければ、叶わなかったことですし、
そういう意味でも、本当に人の出会いには恵まれていたな〜と思います。

実は、自分の論文が出版されるなんて本当に「これっぽっちも」夢にも
思わなかったので、作業している時はただただ書き終わることに
全神経を向けて、文字通り「死ぬ気」で頑張りました。
正確には毎日が必死で必死で、本当に「死ぬ」かと思いました。

本気で「今後、二度と英語では論文を書かないぞ!!!」
と心に誓ったのを思い出します 。
それでも、こんなに素晴らしい機会を与えてもらえて、
(本心はもう二度とごめんなのですが…笑)本当に感謝でした。

数年たち、職場に慣れてくると、やがて妹に「燃え尽き症候群ではないか」と言われ始めて、あれよあれよという間に調子が悪くなっていきました。

その時期から、正直「転職」を考え始めていましたが、向こうから「応募しませんか」と声がかかるまでは、自ら行動に移せないほど、精神力が落ちていました。

2015年3月に正式に双極性障害だと専門医に診断を受けたころ、
某有名大学からオファーがありました。
普通の人なら、迷わずにOKサインを出していたと思います。

でも、私にはそんな気力も体力もありませんでした。
他にも一般の人の目から見たら、羨むようなオファーがなぜか相次ぎ
ましたが、すべてお断りしました。
でも、断るたびになんだか「スッキリ」している気がしていました。
それをきっかけに、正式に休職して(退職といってもいいのですが、
書類上では今もまだ「休職」という形になっています)少し元気になり、
精神的に落ち着いてきて、もう一度自分に問い始めました。

「私は、このまま大学の教員(もしくは教授)として人生を終わること
をどう思っているのだろう…。」

結局長い時間をかけて、病気を(とりあえずは最悪の状態は)乗り越えて、
自分を見つめ直して、出た答えは「NO」でした。

「自分に正直であること。これが何をやる上でも最も大切。」
ということを、私の師である音楽家のある巨匠がいっていたのを
思い出します。

大学で教鞭をとっていた5年間という時間の中で、
数え切れないほどの大学生に出会ってきました。
性別も、年齢も、出身国も育った環境も、すべて十人十色でしたが、
共通して感じたことがいくつもありました。

その中で学んだことのひとつは「素直であること」が、人生において
どれほどに大きな影響を及ぼすのかということでした。
「素直でない人」(人を疑い、斜めからしか見れないような人)は、
人を助けることをあまり好みません。自分だけよければ、相手がどう
なってもあまり気にかけないのです。

「相手のことが第一」という性格だった私には、信じられないこと
でしたが、実際に大学生であろうが教授であろうが、そういう人たちを
目の前にみて、心から失望すると同時に、「素直である」ということが、
逆に人生をどれだけ「幸福にし、豊かにする」かも目の当たりにしました。

以前も日記に書きましたが、私の「命の恩人」である千草先生も、
とても純粋で無垢な大変「素直」な方でした。
私だけではなく、きっと彼女に出会った生徒の中には、心から彼女を
尊敬し、今でも心の中で大切に想っているのではないかと思います。
先生の人柄がクラスの根本的な雰囲気を作り出していて、
本当に教室に入るだけで癒されるような感じでした。

個人的なことなので、あまり深くは話せませんが、
私が担当していた大学生の中にも、家庭の事情からなかなか授業に
出席できなかったり、ノイローゼになって苦しんでしまっている子
たちが何人もいました。周囲を心配させたくないのか、演技をして
明るく振舞っている様子でしたが、日本で同じような体験をして
苦しんだことのある私は、同情という簡単な言葉では割り切れなくて、
できる限り、やさしく接して、無理をさせないようにケアを
(自分なりにできるだけ)心がけていました。

しばらくして、今度は自分が発病して苦しんでいるときに、
逆に彼らが私の異変に気付き、気を使ってくれていました。

ある時は、あたたかい言葉をかけてくれたり、手作りの
心の込もったカードなどをプレゼントしてくれたりして、
その人間味のある彼らの温かさに、胸がいっぱいでした。
本当に私は人に恵まれてると思います。
今思い出しても、本当に幸せものです。

病気になってしまい、動けなくなってしまったときに、
授業を断念しなければならなくなり、本当にたくさんの迷惑をかけて
しまって、至らなかったことを反省し、謝罪のメールを各大学生に
書いて送りました。そのときに何人もの学生から返事をもらい、
逆に励まされました。

その中でも、特に印象に残っているメールがあります。
今でも思い出して、感動のあまり涙してしまいます。 
以下、彼女のメール文の抜粋(英語から日本語への翻訳文)です。

「私は大学に入学して、学士課程と修士課程をそれぞれ
同じ大学ではありましたが、今とは違う別の学部で勉強しました。
さらに今、この修士課程に入って、1年が経ちました。
合計で6年大学に在籍しているわけですが、そんな長い勉強の期間
の中で、嘘偽りなく言えることがあります。
それは、先生の授業が世界一だということです。(中略)
実は私は今のこの修士課程に入って、そのあまりのレベルの高さに
授業に全くついていけず、おいてけぼりの毎日を過ごしていて、
半年後にはうつ病になって、何度も繰り返し自殺を考える日々でした。
でも先生の授業に(本当は気晴らし気分でしたが)参加してみて、
本当に毎回授業が楽しくて、気が付いたら授業中に笑いが止まらなく
なってしまっていました。先生は本当に冗談がうまくて、笑うことを
忘れていた私に、人生の本当の喜びを教えてくれました。
先生のことは大好きです。そして、先生の授業も本当に大好きでした。
今まで、ありがとうございました。またお会いできたら嬉しいです。」

あ〜翻訳していて、また涙が…

大学に入ってから、もちろんいいことだけではなくて、
本当に嫌になるような生徒もいて、頭を抱えていたこともありました。
でも、振り返ると、そんなことはどうでもよかったと思えるように
なりました。こんなに素敵な出会いに恵まれていたのです。
鬱になって「小さなことにも、心から感謝すること」を忘れてしまって
いた自分に気がつき、元気になってから、再度自分自身に「喝!!」を入れました。

世の中には社会的に弱い立場のひとを虐げたり、
バカにしたりして、そういう人たちを苦しめる人間がいます。
でも、そういうひとはやがては「自分に返ってくる」と思います。

だから、例え耐え難いような酷い仕打ちを受けたとしても、
「この人はこんなに心が貧しくなってしまうくらいに、病気なんだ」
と思うようにしています。

双極性障害や統合失調症などの精神病を患うひとは、心は健康です。
「ひとを蔑む」ような「心が汚れてしまっているひと」こそが、
私の目には「病気」にしか映りません。

だから、恨んだり、憎んだりはだめですよ!
やがてそういう「負の感情」は自分に降りかかってきますから。


聖書の言葉にこういうのがあります。

- Assuredly, I say to you inasmuch as you did it to one of the least of
these My brethren, you did it to Me. - (Matthew 25:39)

日本語訳だと、

「まことに、あなたがたに告げます。
 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちの
 ひとりにしたのは、わたしにしたのです。」

クリスチャンに成り立ての15歳のときに、ある友達のうちに泊まりに行き、そこで彼女のベッドの横の壁に貼り付けてあったのがこの聖句です。

そのときは、意味がわからず、「これ、何?」と聞いたら、彼女が
「これは、イエスが弟子たちに言った言葉だよ。」と教えてくれました。

私:   「へ〜。で、この小さいものって、子供たちのこと?」
友人:  「うん。弱い立場のひと、っていう意味だと思うよ。」

なぜ、たくさんある聖句の中から、彼女がこの言葉を選んで、しかも
毎朝毎夕に必ず見えるベットの真横に貼っていたのかはわかりません。
でも、このとき正確には分からなかった言葉の意味が、大人になった
今になってしみじみと理解できるようになり、今更感動を覚えています。

イエスはあえて「子供」とは言いませんでした。
ここには恐らく何かしらの意味があると思います。
「言葉の綾」といえば終わってしまう話ですが、私はそこに
イエスの深さを感じます。
きっとあえて「子ども」と言わなかったのは、彼がもっと広い意味で
「弱きもの」(社会的な弱者)をも含んで話をしていたのかもしれません。

そう視点を少しずらして考えてみるだけで、新しい発見があります。

「社会的な立場が弱い人々にしたことは、私にしたのだ。」(by イエス)

私の心にはこの言葉がとてつもなく深く響きます。
軽くは聞き流せないです。人生の根本を覆すかのような言葉だと思います。

限られた時間に支配されて、やらなければいけないことも多い、
強いものが勝つような弱肉強食ともいえる社会・人生の中で、
私たちは生きています。

あなたは、期限の迫っている「残り少ない人生」の中で、
一体何を目標に「何を大切に」生きていますか?

世間の流れにあらがうように、一度立ち止まってみてください。
そして、考えてください。
あなたも、わたしも、やがては死にます。
それは明日かもしれないし、50年後かもしれません。
誰にもわかりませんし、現代の医学をもってしても寿命は測れません。
突然かもしれないし、ゆっくり訪れるかもしれない。
それが「死」という、この世とのお別れのときです。

マザーテレサは「死は終わりではなく、続きだ」と言い残しています。

この世(自分の命)はやがて無くなりますが、
その後の世界がどうなっているのかなんて、この世界中誰にも知り得ない
ことです。「信じるしかない」。

神の存在を信じても、無神論者でいても、結局最後は「信じる」こと
しかできません。無神論者は「神がいない」ことを信じているんですから。

こういう観点から、話を進めていくと、きりがありませんが、
興味深いです。少なくてわたしはこういった「答えのない」もしくは
「答えがひとつじゃない」哲学的なことを考えるのが大好きです。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


かなりの長文で、すみません。
ご一読頂き、ありがとうございました

次回もお楽しみに。


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