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育児復職内示前の心境

3月最終週の金曜日の午後。
長女は転園前の最終登園日。
次女はお昼寝。
私は柔らかい太陽の光と心地いい風に春の訪れを感じている。

リビングを見渡すと、
それなりに片付いた空間と、
娘たちの写真とおもちゃと制作物。

手放すことと、
手に入れることを繰り返して、
自分が心地よくいられるものだけを残して、
今、私は、ここにいる。

来週の月曜日になったら、
おそらく内示の電話がかかってくる。
同時に、長女と次女の新しい保育園でのならし保育が始まる。

嵐の前の静けさだ。

次女が起きてくるまでの、
この瞬間、
今だけは、
自分の思考や感情に集中して、
現にnoteにタイピングしている。

どんな心境?

うまく言えないけれど、
感触としては悪くない。
適度にリラックスして、適度に緊張している。

そして、第一子育休から第二子育休のこの3年半の期間を振り返り、
涙が出そうなくらい、
自分自身、満足している。

慣れない育児にイライラしながらも、
我が子を愛する、愛おしい気持ちも味わったし、
おとなしく育児に専念するなんてできなくて、
意地を張って取り組んだ活動もあったし、
ひとつひとつの思い出が全部大切な記憶になっている。

今まで散々noteにも書いてきたからここでは割愛するが、
普通に会社員生活を続けていては、
出会えなかった人や成し遂げられなかった活動があるから、
育休が終わる今日この頃、
全てが煌めいて思い出される。

それと、
今回は2回目の育休だったから、
1回目の育休の反省が活かせた。
そこに対する満足度も大きい。
誰一人同じお産がないように、
私の育休も1回目と2回目では全然違う。

今回、2回目の育児復職だからこそ、
前回の復職の反省が活かせる。
もしかしたら、
そのことに期待を寄せているのかもしれない。

どんな期待?

前回の復職は、
第二子妊娠しながらの復職だった。
育休中に出会った仲間にインスパイアされて、気合十分で復職するも空回り。
せっかくの育休の学びもお披露目できず。
半年の復職では、活躍の場を見いだせず苦しい思いをした。

今回はまず状況が違う。
第三子の意志はないし、
もちろん妊娠もしていない。
どれくらい幼児が保育園で感染症をもらうのか子育て経験がある為、うちの子に限って大丈夫だという過信はない。
むしろ、ちゃんと両立できるだろうかという健全な不安がある。
育休中に出会った人の影響はあるが、今回は、極力、自分と境遇が違う年齢も国籍も性別も異なる多様な人と関わるようにしていた。

「ドジャースの大谷だって、チーム合流の最初は借りてきた猫のように大人しくて、じわじわ実力で実権握っていくんだから、最初は様子見でいいのでは?」と言われた事がやけに耳に残っている。

その結果なのか、かなり肩の力が抜けている。

やる気がないわけではないが、
「傾聴で現実を変える」が今年のテーマでもあり、この仮説を証明できたら面白いなーという心境が期待値。

どんな部署でどんな仕事をアサインされるのか、ドキドキするし、気にもなる。

しかし、どんな部署でどんな仕事でも、
なんとなく今の私なら大丈夫だと思えている。
鼻息荒く、「やってやろうじゃん!」みたいな気合いはない。(前回はあったけど)

目の前の昇進や出世よりも、
自分のテーマに基づいて、
自分なりに前向きに社会を捉えて、考えて、悩んで、学んで、前に進もうとすれば、必ず力を貸してくれる仲間は現れる。
それを期待している。

そういえば長い目で見れば、
自分の邪魔をする嫌な人達は、
自分が何をしなくても、
去って消えてくれたものだった。

何にも恐れるものはない。

もう一つの心境

正直、アンラーニングが成功したというか、3年半、会社を離れて、会社のモードを完全に忘れてしまった。笑
前回は、まだギリ実務を覚えていた感覚もあったが、今回は、本当に使い物にならないと自分で思うくらい仕事の勘がない。
だから、本当に肩に力が抜けているというか、肩に力を入れる筋力すら今の自分にはないのだ。
だから、あまり偉そうにいえないというのが本音だったりする。

それもそのはず。

3年半の育休、
妊娠期間を合わせれば、
4年近くの月日の長さも然り。

英会話やら、
発酵調味料やら、
旅行やら、
お菓子作りやら、
コーチングやら…
仕事と直接関係ない趣味を楽しみまくってきた。

趣味も一通り楽しんで、
やり残したことももうほとんどないから、
復職や内示は新鮮で、
純粋に楽しみだったりする。
ずっと毎日、趣味をやってるばっかりでもいかないから、もうそろそろいいかな。

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