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映画感想文「ピアノ・レッスン」やっぱり名作。ラストシーンがこの映画の本質だと思う

非常に時代の変遷を感じた映画。

いまなら、間違いなくこの映画は作ることができなかっただろう。

30年前公開の名作。この度4Kデジタルリマスター版で生まれ変わり、劇場公開。

どの国にも女性には人権がなかった1800年代。父の所有物から夫の所有物になるしかなかった時代。

自分の意志を確認されることもなく当たり前のように父の考えひとつで、スコットランドから未開の地ニュージーランドにお嫁に出された女性エイダ(ホリー・ハンター)の物語。

当時彼の地は未開の地だった。いわば世界の果てに彼女は売られたのだ。

彼女の絶望はいかほどであっただろうか。

しかし6歳の時に世間に心を閉ざし、口をきかないことを自ら選んだエイダは誇り高き女性であった。そんな彼女にとって自分の感情を語るピアノは何より大切なものだった。だから、海を超えてピアノは彼女と共にやってきた。

だが、彼女の気持ちを汲むことができない夫(サム・ニール)は彼女の大切なピアノを重いからと浜辺に置き去りにする。

その時点で夫と彼女の間に愛が生まれることはない。誰であり、自分を理解しようとしてくれない人と何かを育むことは不可能だからだ。

夫は不器用で一方的な「僕を愛してくれ」という思いをただぶつけ続けるというダメさ加減。

そんな中で、夫に雇われているベインズ(ハーベイ・カイテル)は違った。彼女にとってピアノがいかに必要不可欠なものであるかを理解しようとした。

だからこそピアノを彼女のために夫から買い取った。そして彼女にピアノレッスンを依頼した。

粗野で文字も読めない無教養のベインズ。でも彼は人の気持ちがわかる人間だった。少なくとも彼女の感情を慮る姿勢が常に見られた。

官能の前に、だからこそ彼女は彼に惹かれていったのである。

それでもベインズのセクハラめいた求愛のアプローチはいまなら犯罪レベルだし。彼女を支配しようとする夫の歪んだ愛は間違いなくモラハラ、パワハラでこれまた訴えられる内容である。

よってこれらを映画で描くことも今ならできないだろうなとは思う。

そして、この映画の本質はラストにある。

世界に心を閉ざしていた彼女が自分の意志で選ぶ。大切なものを捨ててまで生きようと世界と繋がろうとする。その姿に、性を得て生きるを選択するひとりの女性の生身の姿が浮き彫りになる。そのあたりのエンディングが私は好きだ。

30年前も同じ箇所に感動したことを再確認した。

当時のアカデミー賞受賞作品。主演のホリー・ハンターが主演女優賞。娘役のアンナ・パキンが11歳での助演女優賞。そして脚本賞。

更にこの時代にしては稀有な女性監督ジェーン・カンピオンの作品である。

この監督は2021年にも「パワー・オブ・ザ・ドッグ」でアカデミー賞で監督賞をもらっている。

第一人者であり、いまも活躍している。素晴らしい才能だし、タフネスぶりである。

確かにこの作品は女性でないと描けなかっただろうと思う。好き嫌いは分かれど、やっぱり一度は見ておくべき名作である。

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