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はじめてのたんおり

2018年、わたしは人生初の「担降り」を経験した。

いや、降りたのは2017年だったか。あるいは、ひょっとしたら2016年か。
多分ほんとうは、わたしはもっとずっと前に夢から醒めていた。それでも最近やっと、「ああ、あれは担降りだったんだ」と自分の中で整理をつけることができた。
だから、ジャニオタらしく「担降りブログ」でも書いてみようかと思って。長くなりそうなので、お暇な方だけお付き合いください。あんまり叩かないでくれたら嬉しいです。

あ、降りたのは二階堂担ではありません(みずきくんに降りた、みたいな話ではありません!どっちも好き!)。
一時期ほど熱心に追っているわけではないけれど、彼、最近は宝くじをたくさん当てたようで、羨ましい限りです。持ってるな~!

何度か書いているけれど、わたしはずっと、SMAPが大好きだった。
「いつから好きか」と訊かれても、「記憶にない」としか答えようがない。母も父もSMAPが好きだったから、ドライブ中の車内ではSMAPが流れていることが多かったし、「SMAP×SMAP」も「サタ☆スマ」もとても身近な番組だった。
誰が好きだったかというと、これまたずっと、香取慎吾くんだ。まず単純に顔が好きで、声が好きで、それから彼の笑顔が大好きだった。「闇深い」「どう見ても病んでる」なんて昔からずっと言われ続けていた慎吾くん。それでも、幼かったわたしは、彼が4人のお兄ちゃんに囲まれてワイワイ笑っている姿がとても好きだった。

ああ、もう全部過去形なんだ。悲しいな、寂しいな。この期に及んでまだ、そんなことを思ってしまう。

2016年の「解散騒動」についてはもう、嫌というほど泣いたし、考えた。だから詳しくは書きたくない。
SMAPのファンとしてだけでなく、慎吾くんのファンとしても心を削られることがとても多かった(誰のファンであっても同じなのだろうけれど)。

あちこちのメディアが「解散を頑なに主張したのは香取慎吾だった」と報道したこと。
「香取と木村の亀裂が決定的だ」とワイドショーが大騒ぎしたこと。

当時、無神経な職場の人たちから「本当なの?」と何度も訊かれた。その度に「分かりません」と答えていた。
実際、わたしには本当に分からなかった。Twitterを見ると、たくさんのスマオタさんたちが「そんなはずないよ!だって木村くんと慎吾ちゃんはこんなに仲良しじゃん!」と古い画像をアップしていたし、わたしだって「そんなはずはない」って断言したかった。けど、わたしにはそうすることができなかった。だって、わたしは「アイドル・香取慎吾」以外、彼のことを何一つ知らないから。彼は良くも悪くも完璧な「ビジネスアイドル」だったし、わたしは彼が仕事で見せる姿が大好きだった。アイドルとして見せる笑顔の裏で何を考えているか、どんな生活をしているか、一つも分からなかったけれど、それでいいと思っていた。
結局わたしは、慎吾くんのことを知らなかったし、信じることができなかったんだと思う。15年以上も、ずっと大好きだった人のことを。

2017年、「新しい地図」が始動した。「そんなはずはない」と断言できなかったことを引きずりながらも、わたしは「NAKAMA」になることを決めた。
当初、「新しい地図」の始動は純粋に嬉しかった。事務所を去り、もう目にすることはできないかもしれないと思っていた3人の、新たな活路。もしかしたらいつか、ほとぼりが冷めた頃、「新しい地図」として揃う5人を目にすることができるかもしれない…多くのスマオタ同様、わたしもそんな淡い期待を抱いていた。

72時間テレビを放送していた3連休は仕事が詰まっており、わたしはこの番組自体をほとんど見ていない。ただ、たまたまつけたタイミングで三谷幸喜氏がゲスト出演していたので見ていたところ、こんなやり取りを目にした。そして、このやり取りはわたしにとって、抜けない棘となった。

三谷氏は、「みなさんが昔所属していらしたグループの名前とかは、出していいの?」と、昨年12月に解散したSMAPの話をすることについて確認を求める場面も。(中略)香取は困惑しながらも「そこの判断は…今、この顔の感じですかね」と、渋い表情。(中略)「さらっとなら…」と戸惑いながら答えた稲垣は「見てる方がいちばん思ってることだったりすると思うんで」と三谷氏を思いやった。草なぎは「言いたければ別に」と語った。
https://www.sanspo.com/geino/news/20171103/geo17110317300031-n1.html

Twitterを眺めながら見ていたんだけれど、このやり取りの際にタイムラインに流れていたのは「スマスマって言ったね~!♡」「やっぱり三谷さんは聞きたいことを聞いてくれる!」みたいな、嬉しげなコメントが多かった気がする。
誰も騒いでいなかったから、もしかしたらわたし一人の考え過ぎだったのかもしれない。けれど、慎吾くんの「今、この顔の感じ」という言葉と、明らかに不快そうなその表情とは、わたしにとって耐えられないものだった。このやり取りの後もしばらくAbema TVをつけっぱなしにしていたけれど、彼らが何をしていたか一切覚えていない。

少し冷静になれば、分かる。「新しい地図」として最初の一歩となる番組で、古巣の名前は出したくなかったこと。もしかしたら事務所との約束で、その話自体をしてはいけなかったかもしれないこと。よけいな話をすることで、思わぬ方向での炎上を招きたくなかったであろうこと。
ちょっと考えれば理解できるんだけれど、ナイーブになっていたわたしにとって、彼の発した言葉はあまりにも決定的だった。未だに、あのときの彼の表情が忘れられない。

わたしは、SMAPが大好きだった。
わたしが大好きだった5人を、なかったことにしてほしくなかった。その表情と一言で、何もかもを否定された気がした。SMAPを好きだった15年間も、たくさん泣いた2016年も。
彼にはそんな意図はなかったかもしれない。というか、なかっただろう。だけど、だったらあんな顔をしなくてもよかったのに。あの表情は、わたしが抱きかけていた不信感を決定的なものにしてしまった。慎吾くんは本当にSMAPを解散させたかったのかもしれないな、だってこんな顔をするんだもん。そう思ってしまったのだ。

ネットニュースを見ればいつだって、頭につくのは「元SMAP」の肩書だ。「新しい地図」ができて1年経った今でも。SMAPという肩書は、捨てるにはちょっと大きすぎた。きっと、そんなことは彼自身が一番分かっているだろう。やきもきする部分でもあるだろう、と思う。それでもわたしが好きになったのは、その肩書ありきで輝いている彼だった。

15年間も大好きだった人を「もう応援しない」と言うのは、わたしにはとても勇気のいることだった。だから、決意するまでに長い時間がかかってしまった。
テレビに出てもろくに見ない、ラジオも聞かない、SNSも特に見ない。もともと熱心に追いかけているファンではなかったけれど、この1年は彼らとも、彼らのファンとも意識的に距離を置いていた。
多分、とっくに彼を応援することはできなくなっていたのだと思う。それでもうだうだ悩んでいたけれど、ワッツの終了をはじめ、個人的にもいろんなタイミングが重なって、NAKAMAを更新しないと決めて、それでようやく決心がついた。平成終わるしな、という気持ちもある。

自担、と思ったことは一度もなかった(そういう概念で捉えたことがなかった)慎吾くんなのに、「もう応援できない」というこの気持ちには「担降り」という名前をつけるしかない。皮肉なものだ。
「担降りブログ」と呼ばれる長文は、得てして「ポエム」「自己満足」と揶揄される。このnoteも、完全なる自己満足であり、自分のためのけじめにすぎない。叩かれてもおかしくないと思っているが、それでも書かずにはいられなかった。だって15年も大好きだったんだ、大恋愛だったんだ。もちろん片思いだったけど。だから、最後くらいぶちまけさせてくれ。

慎吾くん、SMAPのあなたが大好きでした。さようなら、ありがとう。

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