【RADWIMPSの胎盤】RADWIMPS×いきものがかり

わたしの人生の中でいくつか、「決して一生忘れられないだろう」と思っている大事なライブがある。
たとえば、2011年4月29日のRADWIMPSのライブ。あるいは、2012年1月13日の高橋優の「胡座」。2015年7月24日のUNISON SQUARE GARDENのライブも、そんなライブの一つだ。

そういうライブになるに違いない、とワクワクしていたのが、2015年11月24日の「RADWIMPSの胎盤」。この日の出演者は、いきものがかりとRADWIMPS。いきものがかりは自分の妹にとってこの上なく特別なアーティストだし、わたしも何度もライブに足を運んでいる。もちろん、わたしにとってRADWIMPSがどれほど大きな存在かは言わずもがなだ。この対バンが発表された時は、嬉しさのあまり手が震えた。何より嬉しかったのは妹が「一緒に行く」と言ったことだ。「さやちゃんがいきもの見てる時に私が見てないのは納得いかない」という、分かるような分からないような理由ではあったけれど、妹と一緒にRADのライブを見られるっていうのがすごく嬉しかった。有給を取り損ねるなどのトラブルはあったけれど、すごく楽しみに会場に向かった。

そんなに楽しみにしていたライブだから、発表時から実際に会場に行くまで、何度も何度もその気持ちをツイートしていた。

だけれど、終わってからは実は何の感想もツイートしていない。一つも。KAT-TUNからの田口くん脱退、という衝撃的すぎるニュースが入ってきてしまったから、というのも大きな理由の一つではあるんだけれど、何となくツイートする気が起こらなかった(ちなみに、田口くんの脱退について何かを書く気はない。色々と思うところはあっても、それは現在かつん担ではない自分がどうこう言うべきことではないと思っている)。

今も、感想を書きたいか書きたくないかでいえば別に書きたくないんだけれど、そんな気持ちを抱いてしまったこと自体を残しておきたいのので、綴ります。

いきものがかり

率直な感想としては、「置きに来たな」。

本人たちも言っていたけれど、RADファンといきものファンは多分ほとんど被らないイメージがある。多分、大半のRADファンにとっていきものがかりは「テレビの中の人たち」だろう。こんなにアウェーな現場は、ここ数年経験してなかったんじゃないかと思う。

聖恵ちゃんのMCに甘噛みが多かったり、話している最中に咳込んだりと、本当に緊張していたんだろうなぁと感じるシーンもたくさんあった。選曲も、すべてがお茶の間にしっかり浸透したシングル曲。「あなた」「ラブとピース!」といった新曲すらやらなかったのには驚いたけど、それだけアウェーな場所とRADファンの反応が怖かったのかもしれない、などと邪推する。そう思うと、今回の胎盤に出演してくれただけで本当にありがとうという気持ちになる。

「ありがとう」「YELL」「風が吹いている」といったNHK3部作に加え、ドラマ主題歌やCM曲。この日のいきものがかりは終始、「テレビの中の人」に徹していた(実際に同じ時間帯にベストアーティストに出演していたから本当に「テレビの中の人」だったんだけれど)。そこに物足りなさを全く感じなかったと言ったら、嘘になる。だけれど、聖恵ちゃんをはじめとする3人は、あの場でできる最大限のパフォーマンスをしていたと思った。「気まぐれロマンティック」「キミがいる」「じょいふる」ではパワフルな聖恵ちゃんのボーカルが炸裂していたし、初めて見る人でもまず間違いなく楽しめただろう。リーダーも話していた通り、腕を上げていきものがかりの曲に乗るお客さんを見るのはなかなか貴重な機会だった。

何よりもこの日のライブで嬉しかったのは、いきものがかりの3人が何度も何度も「RADWIMPSに呼んでもらえて嬉しい」と口にしてくれたことだ。RADといきものは地元が近くて、どちらも最前線で音楽をやっていて、だけれどそれぞれが全く異なるフィールドで活躍していて。対バンが発表された時にも、「この人達、接点あるんだろうか」と思ったりした。だけど3人は本当に何度も「嬉しい」「緊張してる」「昔から聴いてた」と言ってくれた。CDを買ったことがあるなんていうエピソードを披露してくれたうえに、「へっくしゅん」という曲が好きだと教えてくれた。それが率直に、すごく嬉しかった。

一言で表すなら、ベスト盤のようなライブ。自己紹介代わりのシングル曲を立て続けに披露して、そんな中で最後に「SAKURA」を3人だけで演奏してくれて。実はわたしも妹も「SAKURA」をライブで聴いたことがなかった。それをまさかこんな場所で、しかも路上でやっていた頃と同じ構成でやってくれるとは思わなかった。ただの「テレビの中の人」で終わらせない、いきものがかりのアーティストとしての矜持を見たような気がした。
いきものファンとしても、RADファンとしても温かな気持ちになるようなライブだったと思う。


RADWIMPS

RADWIMPSを初めて見たうちの妹の感想は、「宗教!あと、レーザーすごい!」だそうです。率直すぎる。

4枚目のアルバム「おかずのごはん」の楽曲が、やけに多かった。いつものことのような気もするんだけど、この日は特に。まあ、アルバムツアーではないし、古めの曲が多くなることに納得がいかないわけではない。

中でも、「夢見君に何想ふ」が聴けたのはとてもうれしかった。音源よりも明るいキーで、アレンジもちょっぴり陽気な感じで。「口笛が入ってた曲が好き」と言っていた妹に、帰宅してから音源を聴かせたら「違う!なんか違う!ライブの方が良かった!」と喚いていたけれど(笑)、そこまでは言わないまでも、わたしもあのアレンジが凄く好きだ。

「遠恋」「おしゃかしゃま」のソロ・セッションは、もう、さすがというほかない。洋次郎さんの煽りにあわせて、武田さんと桑原さんがお互い競い合うかのように、向き合って楽器を掻き鳴らす。手拍子したり歓声をあげたりするのも億劫なほどに、その様子に見入ってしまう。

それから特記しておきたいのは、「ギミギミック」「Tummy」。「胎盤」というツアー名なんだから、新しく生まれたばかりの命について歌うこの2曲は絶対にやるだろうと思っていたんだけど、どうやら「Tummy」はこの日しかやっていないらしい。なんてことだ(笑)。「ギミギミック」は、感想で緊迫感がどんどん増していき、頂点に達した直後に突然洋次郎さんのファルセットが美しく響くのが良い。この日は2人のドラマーがサポートとして入っていたんだけれど、そのドラムがRADの緻密なアンサンブルを違和感なく支えていた(サイト上の「お知らせ」でも書いていた通り、相当細かい部分まで伝えていったのだろう)。一瞬でガッと雰囲気を変える迫力は、圧巻としか言いようがない。

「Tummy」は、柔らかくて、温かくて、愛に満ちた歌。武田さんが弾く鍵盤の音が楽しい。ひとつだけ言いたいのは、前のツアーの時も思ったけれど、「From the tummy of such a mighty little girl」を観客に歌わせるのは無理がある(笑)。別に歌わせたいわけじゃないのかな、あれ。どう考えても、絶対に、無理がある。妹が「すごいね、よくこんな文字数歌わせようと思うよね」と感心していた。

この日が店着日だった「'I' Novel」も披露。洋次郎さんの書く詞らしく、シンプルな言葉で大きなテーマをとらえた曲。この曲は、演出がとても良かった。真っ白なノートに少しずつ歌詞が表れ、ページが捲られていく映像。淡々としているようで着々と進んでいくという、歌詞に描かれた人生そのものを表しているかのような映像にハッとした。

全体として、この日のライブは「すごく良いライブ」だったんだと思う。感想を書きたくないと思ってしまったのは、わたしのごくごく個人的な気持ちの問題なのだろう。

多分わたしは、今のRADとお客さんとの距離感が好きじゃない。RADは、洋次郎さんにしか綴れない言葉で、洋次郎さんにしか見えない世界を歌う、そんなバンド。そこにはわたしたちが近寄る隙なんか一つもほしくない、と思う。だからかな、一つの曲が終わってその余韻も消えやらぬうちから「洋次郎ー!」「桑ー!」と声が飛び交う、あの日のあの空間が嫌だった。若かりし頃のRADがやっていたラジオに対して「くそつまんなかったー!」なんて声が飛んでしまう、それに対して洋次郎さんが「俺それ忘れねぇからな!」と答えてしまう、そんな空間も距離感も求めていなかった。

わたしが妹に見てほしかったのは、「くそつまんなかった」ラジオをやっていたバンドではない。緻密に構成された音楽を抱えきれないくらいの愛で彩りながら奏でる、圧倒的なバンドだ。
だいすきな音楽をやっているバンドで、彼らの演奏はやっぱり息を呑むほど圧巻で。それなのに、その素晴らしい音楽だけに集中できない自分がすごく嫌だったんだと思う。そして、妹に「宗教」「レーザーがすごい」という感想しか口にしてもらえなかったことが、すごく悲しかったんだと思う。

あと、もう1個だけ。これは言ってもしょうがない話だとは思いつつ、RADにもうちょっと「いきものがかりの話」をしてほしかった。いきものがRADの話をしてくれたのが凄く凄く嬉しかったから、RADにもいきものの話をしてほしかったなって。どの曲が好きとか、どのライブに行ったことがあるとか。
本当は、「へっくしゅん」をやってほしかった。せっかく、いきものがかりが曲名を挙げてくれたんだから。他の日のようなセッションも見たかったけれど、そこは仕方ないかなと思っている。だって、洋次郎さんがいきものの曲歌うの、いくら頑張っても全く想像つかないもん(笑)。

ちなみに、妹が言った「宗教!」という感想に対しては、別段悲しく思ったわけではない。なるほどね、と思った程度だ。確かに傍から見たら、アンコールのかわりに「もしも」を合唱するRADWIMPSファンは何かの信者のように見えるのだろう。わたしと同じようにジャニオタ畑で暮らす彼女がふと呟いたのが、「アンコールで歌っても『演出の妨げになる』とか言わないんだね」ということ。そういえば、どこかのグループのコンサートでアンコールに合唱をしようと企画した人たちが「それは演出の妨げになるからやめなよ」と叩かれていたっけ。意外なところで、アイドルとバンドの文化の違いを考えることになった。

「もしも」はもう長年歌っているから個人的にはそこまで違和感がないんだけれど、それでも、空気に構わず飛び交う歓声と「その曲は違うだろ!」と言いたくなる手拍子にはちょっぴり辟易してしまった。だったらライブなんか行かなければいい、というそれだけの話なのかもしれない。でも、わたしはRADWIMPSが好きなのだ。彼らがライブでセッションをするときの、あのヒリヒリした空気感と、それを楽しんでいるメンバーの表情を見るのが大好きなのだ。だから、RADWIMPSを好きで居続けたい。自分と音楽とのつきあい方を大きく変えてくれたこのバンドを、その生演奏を、まだまだ見続けていたい。一方で、これ以上彼らのライブに足を運んでいたら、いつか彼らの音楽とまっすぐ向き合えなくなってしまうんじゃないかという懸念がある。それが、ひどく寂しい。

とはいえ、わたしがRADWIMPSのファンを「降りる」ことはない。きっと、いや絶対。文句を言いながら、不安を口にしながら、それでもわたしは野田洋次郎の鳴らす音楽から離れられないんだと思う。今までもずっとそうだったし、これからも変わることはないのだろう。ごちゃごちゃといろんなことを考えながら、今日もわたしは、大好きなバンドとのちょうどいい距離感を模索し続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?