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吉祥寺散歩 気が付いたこと


この前の休みの日の朝、家で朝食を食べながら今日は何をしようかと話していたら「この前吉祥寺で見かけたちょっとおしゃれなカフェに行ってみたい」と子ども。
今時の小学5年生男子が思う「ちょっとおしゃれなカフェ」とはどんなカフェなのか気になり、よしそこでお茶しようということになり出かけて来た。

向かいのマンションに朝日が当たっていた


吉祥寺駅から案内してくれる子ども。「自転車漕いでて偶然見つけたんだ」という場所まで歩いていく。東急も通り過ぎ、北西方向にどんどん歩いていく。
自転車で来なかったことを後悔し始めてさらに10分くらい経った頃、

「あ、ここ!」

子どもが嬉しそうに指差す先には、美容院。

「え、ここ?」

「そう、おしゃれだよね」

「おしゃれだけど、ここは美容院だよ」

「えー!」

その美容院は半地下になっていて、ぱっと見では店内がよく見えずカフェと間違えてしまったようだ。(お店の前に美容院のメニューが書かれた立札があったので大人なら0.2秒で美容院だとわかる)

小学5年生男子の『おしゃれ』基準では間違えてしまうのも仕方ないのかもしれない。子どもは「間違えちゃってごめんね」と言っていたけど気にするな息子よ、間違えは誰にでもある。この世にはカフェのような美容院があり、美容院のようなカフェもある。パパだってたまに間違えるよと伝えた。

さ、と気を取り直して来た道を戻り、通り道にあったカフェに寄っていくことにした。(実は美容院に行く途中に見つけていて、よさそうなカフェだなと思っていたのだ)

cafe キチム


お店は地下。右側に見えるドアはキチムではなく画廊兼雑貨屋のようなお店だった。


カフェ店内は2つのお店が入っていた。サンドイッチを提供するキチムと、その奥にカレーを提供するお店。



子どもはカレー。僕はクロックムッシュ。どちらも美味しかった。クロックムッシュについて来た小さいガトーショコラは今まで食べたガトーショコラの中で1番美味しくて思わず店員さんに感動を伝えてしまった。




美味しいランチが食べられたから結果オーライだったねと話しながら帰り道へ。

途中でにじ画廊に寄っていく。

motoshi tsuda solo exhibition
Parallel with Each other



にじ画廊を出たら、隣の百年(本屋)も見ていく


店内の壁を使って丸山 紗依さんの個展 antennae が開催されていた



前から欲しかった小原晩さんの「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」を購入。面白い話と悲しい話が詰まっていて、笑いながら泣ける素敵な本だった。大変なのは自分だけじゃないんだと気づくことができて、他人の目線を通して自分を見つめ直すことができるから本はいいんだよな。


その後はコーヒーを買って井の頭公園をちょっと散歩した。

コーヒーを待ってる間に


散歩中「パパどうしてこの前の学校公開に来てくれなかったの」と聞かれた。
この前の土曜日に、小学校の授業参観があったのだ。

僕はその日何も予定が無かったのだが、持病による歩き方がおかしいことを気にしていた。他の人に、自分の歩き方を見られるのが恥ずかしかった。お前の父ちゃん歩き方変だなと友達に言われないだろうか。そんなことを考えて行かなかったのだ。

「僕の発表を聞いて欲しかった。頑張って作ったから。」
「パパが来てるかなと思って、たまに後ろを見て待ってたんだよ。どうして来てくれなかったの。」

子どもは、僕の歩き方のことなど全く気にしていなかった。
ただ自分の親に発表を聞いて欲しかったのだ。
教室の後ろに並ぶ親の列の中に、僕が来ていないか気にしてそわそわしていた様子が目に浮かぶ。
そして来ていないことがわかりがっかりした様子も、その気持ちのまま発表している様子も。とても残念だっただろう。鋭い針で胸を刺されたように痛くなった。申し訳ない。

僕は自分のことばかり考えていて、子どもの気持ちを全く考えられていなかったのだ。

自分がどう見られるかばかり気にしていたけど、本当に恥ずかしいのは自分の歩き方を見られることではなく、それを理由に閉じこもってしまうことだと気がついた。

子どもに見せるべきなのは、こうやって家に閉じこもる姿ではなく、こんな歩き方の自分でも、積極的に外に出て行き色々なことにチャレンジする姿勢なのだろう。
お前の父ちゃん歩き方変だけど色んなことにチャレンジしててすげえな!と友達に言ってもらえるくらい頑張ってみようか。大変なのは自分だけでは無いのだから。

そのことに気がついた日だった。

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