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さよなら Good bye|さくらMemory

今日は、自分が参加しているたみみさんこと碇たみ子さんのコミュニティで、表現者ルーティンというnoteマガジンを作るよ!ということで、それに乗っかる。初回の締切が今日なんですよ、今日。またギリギリかよ。

4月のテーマはさくらMemory

わたしの桜の思い出は、子どものころに実家近くの公園で幼なじみたちとお菓子を持ち寄って毎年のように開いていたお花見。

歳の近い幼なじみたちと集まって、ジュースも持ってきちゃったりして。マンションの一角にある小さな公園で、飲み食いしては遊具で遊び、通りがかる近所の大人と時折話したりしながらする、ごっこお花見。
桜の名所と言われる場所でのお花見よりも、記憶に鮮明に残っている。

実家を出てからあまり帰らないので、この二十年近くは幼なじみたちにもあまり会うことがなく、桜が咲く頃に帰ることもなく。
久しぶりに顔を合わせたのは昨年末、一番近くに住んでいた幼なじみ姉弟のお父さんの告別式だった。みんな結婚したり子どもがいたり、顔はそのままに大人になり、礼服に身を包んでの再会。本当に顔が変わらないから面白かったなあ……何度でも言いたくなるくらいみんな全然変わってなかったからさ。

たくさんお世話になったし、可愛がってもらったから、闘病生活でやせてしまった姿を見て涙がでたけれど、それ以上に思ったことは、ご両親とわかり合うことなく一足先にこの世から旅立ったあの子は、お父さんとあちらで穏やかに話すことができるのかしら、だった。

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桜の季節は別れの季節で、彼女が肉体を捨てたのもこの頃。わたしが彼女に対してできることは大方やったから、「なんで」「どうして」以上に、「お疲れさま」だったなあと、振り返って思う。

だからといって寂しくないかといえば全くそんなことはなく、生きていれば子ども同士を会わせることだってあっただろうなあ、とふと考えてはちょっと切ない気持ちにはなる。どう頑張っても実現はしないことだけれども。

この前久しぶりにお墓参りに行ったら、ずっと幼なじみの名前だけだった墓誌に彼女のお父さんのお名前が刻まれていた。
お墓かあ……娘にお墓の管理で苦労をかけたくないからどうするか夫と相談しないとなー。あと、順番であれば自分が逝くより先に両親を見送ることになるはずで、これが全然想像できない。会えば確かに老いていることを感じるのだけれど。意向も確認しておかないといけないなあ。

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彼女を思いだす時にセットで脳内を流れる曲はいくつかあるけど、今回桜をテーマに書こうと思ったら出てきたのがこの曲だった。

ギターボーカルのはしえりこと橋本絵莉子ちゃんのまっすぐな声で紡ぎ出される生々しい歌詞。本当に切れ味の良い歌詞だなと、改めて読み返しながら思った。チャットモンチー、恐ろしい子。このアルバムのリリースが2006年かあ、早いなあ。


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