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人の欲について

ふと、死にたくなる瞬間が増えてきました。
絶対に死にたいわけではないけど、生きることに疲れてしまって「あ〜、死んだら楽になるかなぁ」くらいの軽い気持ちです。
その希死念慮が切羽詰まったものであるかどうか今の私には判じ得ないのですが、しみじみと「死にたいな」と思ってしまうわけです。

私は一般的に見て、いわゆる「しあわせな家庭」に産まれていると思います。
家族の仲も良いです。
父は40代で自分の家を建て、奨学金をもらわずとも子供2人を大学に進学させました。
兄は国立大学、私は私立大学です。
2人とも浪人し、2人とも一時体調を壊し留年しました。
両親は幼い我々にたくさんの習い事をさせてくれましたし、定期的に家族旅行などにも連れて行ってくれ、いろんなものに触れさせてくれました。
趣味や好きなこと、努力を否定され続けたりと少々「毒親」とも言える片鱗はありましたが、基本的に私は両親が好きです。
これは洗脳なのか、心の底からの愛情なのかわかりませんが──兄は両親の育児や教育方針には相当懐疑的なので、私がおかしいのかもしれません──私はおそらく、やや病的なほどに親離れが出来ていませんし、親も子離れ出来ていません。

そんな私ですが、かつて自分が、というか、「親が望んだ」進路に割と上手い具合に乗っかって生きてきました。
高校も、親に勧められました。
大学も、親に勧められました。
職業も、親に勧められました。

前職に就くのはなかなかしんどかったです。
何度も試験に落ちました。
筆記試験はまあ受かるのですが、元来人と話すことが苦手なので面接が苦手でした。
けれども、面接の練習をすることも嫌で面接対策の講義なども受けずにいました。
そのくせ、あまりに面接試験に落ちるので、自分の人格全てを否定されたような気持ちになっていました。
ああ、自分は社会の落伍者なのだ、と本気で落ち込みました。
そんな思いでしたから、ようやく試験に合格し、内定をもらったときは本当に嬉しかったです。
何度も内定通知を見返して、親と一緒に泣きました。
デブでなんの取り柄もないけど、この職業に就けたから絶対にこれをきっかけに人生は変わるのだと信じて疑いませんでした。

あれから数年経ちましたが、私はみじめなデブのままです。

さて、人の欲とはなんでしょうか。
今の世の中は少し「欲」が多すぎる気がします。
少しのきっかけで承認欲求を満たせるがゆえに、インターネットで過激な投稿をしたくなる欲があったり、食べきれないほどおいしいものに溢れているから食欲が止まらなくなったり、それこそインターネットなんかで相手を探して手軽に性欲を満たせたり、なんだかすごいですね。

昔、マズローというおじさんが心理学的に欲求について考えてくれたようです。
マズローさんいわく、人間には低次欲求と高次欲求というものがあって、低次欲求は生命維持に不可欠な睡眠欲とか食欲とか、そういう生きていく上で必要な欲求であり、高次欲求はそれらが満たされてから湧いてくるいろんな欲求のことだそうです。

原始時代の人間は、睡眠をとる、食事をする、子孫を残すといったことがもう何よりも大切で、それすらなかなか満たせないような生活だったことはみなさんもご存知でしょう。
恐ろしい獣が跋扈している原始時代、ゆっくり安心して眠れることは少なかったかもしれません。
食事だって満足にとれない日もあったでしょう。
医学が発達していない時代、出産だって現代の何百倍も命懸けだったはずです。
私のような甘ったれのクソデブコミュ障クソオタクは1日だって耐えられそうにありません。
毎日生きるのに必死で、1日はあっという間に終わったことでしょう。

でも、古代の人々は「あ〜、なんか死にたいな」
と思うことはなかったでしょうか?
ただ記録がないだけで、「あ〜!死にたい!」と思う人は少なくなかったんじゃないでしょうか?
「死にたいと思う欲」は現代人だけの欲求なのでしょうか?

私はそうは思いません。
たぶん、昔の人はもっともっと死にたかったと思う。
ひもじい、さむい、あつい、こわい、病気、子孫が残せない、死にたくなる理由はいくらでもありそうに思います。
現代人のメンヘラかまってちゃんが言う、「死にたい🥺」ではなく、本気の「死にたい」はたくさんあったはずです。

いろんな宗教で、自殺は禁じられています。
たとえばキリスト教なんかは、人がいつどのように死ぬか決めるのは神だけであり、人ごときが勝手に自死するということは神に対する冒涜である、ということだそうです。
自殺をした人はキリストの救いを拒んだから地獄へ行くのです。
はっきりと「地獄へ行く」と言われているのに、それでも自殺するって、相当覚悟がないと出来ないと思います。
宗教で縛らなければならないほど、宗教が出来る前の世界では自殺が横行していたのではないでしょうか。

以前、Xでこんなポストを見かけました。

どこのどなたか存じませんが、こんな極東の国の自殺志願者を慰めてくれるなんて優しいですね。
でも、WHOの資料を見てると、アフリカも案外自殺率が高くて驚きます。

なんというか、私は勝手にアフリカの人たちは幸せだと思っていました。
数年前、ブータンが「世界一幸福な国」と言われていたように、なんというか…語弊があるかもしれませんが、発展途上国は「幸せのハードル」が低いと思っていたのです。
仕事で成功する。
お金持ちになる。
美男美女と結婚する。
豊かで便利な暮らしをする。
安全で健康な暮らしをする。
こう言った欲は、低次欲求を満たし切った社会で起きると思っていました。
それが出来ないから、それを得た人と比べてしまうからみじめになり、苦しくなり、しんどくなり、死にたくなる人が多いと思っていました。
でも、そうでなくとも貧困や病、国の政策による生活の苦しさなど、いろんな理由で自殺している人は多いようです。

私だって、不労所得で毎年800万円くらいもらえるなら、あ〜死にたいナァと思う頻度は格段に減ると思います。
でも、不労所得で毎年800万円もらっていたら、たぶん次は毎年1600万円くらい欲しいナァ、もらえないなら死ぬしかないナァと思うようになるかもしれません。

欲って怖いですね、どんどん膨らんでいくのですから。

私も、目指していた職業に就けたとき、もう何も望むまいと思っていました。
何年も望んでいた職業に就けたのだから、人間関係がクソであろうと業務が激務であろうと全て耐えられると思っていたのです。
実際、ダメでした。
「もっとまともな人事配置にしてくれよ」とか「なんで私ばっかり業務が集中するんだ、こんなのおかしい」とか、そんな不満ばっかりあったと思います。
結局、私もひとつの欲求(=就職)が満たされたら、さらに上の段階の欲求(=人間関係の改善や、業務改善)を求める人間だったのです。
それが悪いとは思いませんが、人間の欲って本当に尽きることがないんだなぁと思います。

色々書きましたが、もちろんいい欲もありますよね。
こんなふうになりたいから努力する、みたいに欲が発奮のきっかけになるとか。
後々楽したいから今のうちに頑張っておくとか。

私もいい欲の使い方をしたいものですね。
死にたいという欲がこれ以上出てしまう前に。









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