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英検もっていない私が海外の大学院で生き残る秘策

先日、大学のときの友人と電話したときに「そういえば、授業は全部英語なの?」と聞かれた。「そうだよ」といえば、「無理でしょ?」と笑われた。

たしかに、無理なはずなのに、どうして一学期は生き残れたのかとふりかえってみる。

1.分からない授業は無視する
基本的に、授業は半分しか聞き取れない。先生がジョークを言って、みんなが笑っても、私はひとりきょとんとしていることがある。
分からない部分は、どうしようもないと思う。だから無視する。先生が大事なことを言っているのかどうかは、表情やトーンでなんとなくわかる。大事そうだったら、真剣に聞く。それでもわからなかったら諦める。でも聞き取れないときは、だいたいどうでもいいジョークか補足説明のときが多い。

2.分からない論文は無視する
論文の分かりやすいものと、わかりにくいものは差が激しい。正直、読みずらい論文はたいしたことないと思っている。読者のためにわかりやすい文章で書いてある論文こそ、良い研究なはずだと信じている。

3.分からない友達は無視する
聴き取れる英語を話すひとと、聴き取りずらい英語を話す人がいる。逆に私の英語を理解してくれるひとと、まったく理解してくれないひとがいる。後者のひとと付き合うのはあきらめた。往々にして、気が合う人の英語は聴き取れるし、聴き取ってくれる。それはお互いが話したいと思うこと、意見が似ているから、拙い語彙でも伝わるのだと思う。そしてみんな聞き手(わたし)に配慮してコミュニケーションを成功させようとしてくれるひとたちだから、総じて優しい。

結論として、わからないものは無視している。

英語はいまのところ、大事なものとそうでないものを自動的にふりわけてくれるフィルターだ。理解できない、ひと、こと、ものはきっと私にとって大事ではないのだろう。
私にとって、興味があること、素敵なひと、面白いはなしは理解できるはずだと思う。




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