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【資料作成】過去の自分への指摘

先日、偶然ではありましたが、以前に勤めていた会社の製品提案資料を見る機会がありました。
すでに退職してから5年以上になりますが、その時以来のことでした。

あれから新しい製品も発売され、新しい機能も某大学の研究チームとタッグを組んで、AIやRPAの技術を製品化しているようです。今の私たちの仕事で狙うターゲット層とは異なりますが製品コンセプトや方向性を見ると共通部分も多数あり、その会社での経験が私の考え方に大きな影響を与えているのだと感じました。

ただ、資料を見ていてあることに気づきました。
これ、俺が作った提案資料?

5年以上前、その会社で私は新製品ばかりをメインに売っていました。大半の社員が高齢化して、新しい製品を積極的に売ることに拒否反応を起こしていたのもありますが、発売されて最初に実用化で販売したのが私だったという製品が多数あり、それが今の製品のベースに残っています。
実際に作った資料に追加機能や変更になった点を編集しているだけで、私の作ったものと大きく変わらずでした。
正直、当時20代半ばの社会人経験もまだ浅かった私の作った資料は、今見るとつまらない内容で、恥ずかしくて世の中から抹消したいレベルでした。
もっとわかりやすい、面白い資料作ろうと思う人は、この5年以上の中で一人もいなかったのかと思うと、最新技術を踏襲した製品開発をしている企業でも、そこまで進歩できていないところも残っているのだと、苦笑いしかできませんでした。

そんな自分の過去の資料はお粗末なものと感じながらも、自分の作った資料とすぐわかる癖がありました。資料作成を始めると、どんどん構想が膨らんで、あれもこれもとどんどん追加してしまい、量だけ多い資料が作られます。
資料を作りながら考えるからそうなるんですよね。

あの頃の自分に今、自分が指摘を入れるとすれば、多数ありますが、一点だけに絞るなら、

全体構想を考えたら、重要点を洗い出して、2割程度の内容に絞って資料を作成すること

パレートの法則にもあるように、資料作成もまた8割は実は不要だったりします。
特にあの頃の自分は下っ端でした。上司から様々な指摘を受ければ、資料作成の大幅な変更になるため、最初の作成時間の8割近くが無駄になります(全て無駄とは言い難いですが)。

わかりにくくすることに時間をかけるのは、賢くは無いですよね。

あまり終わったことをどうこう言うことは好きでは無いですが、昔の自分の作ったものを見返してみるのも面白いかもしれません。指摘してみて、本当に今の自分が出来ているかを考え直す機会にもなりますし、忘れていたら発想もまた見つかるかもしれません。

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