見出し画像

【心理学】第66弾 アルバート・エリス 「論理療法」




こんにちは( ´ ▽ ` )ノシ




最近少し暖かくなってきまして、
完全に洋服の選択を間違っている
さび抜きでございます⊂((・x・))⊃汗だく



昔から服に関してあまり関心がなく
コーディネートを考えたりするのとかも
苦手でした( ̄▽ ̄)



でも最近は、コロナの影響で
お外に出ることも少なくなったので
逆に、お洒落してお出かけしたいな〜
感じることが増えましたね(°▽°)



さてさて今回のお勉強は( ´ ▽ ` )


アルバート・エリスさん
についてででございます。



それでは
スタート_φ( ̄ー ̄ )


⭐︎⭐︎⭐︎


今日もまた、プロフィールを
でベーっと書いていくよヽ(´ー`)



【アルバート・エリス】

1913年ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれ、ニューヨークで育つ。ニューヨーク市立大学経営学部卒業。ビジネスマンになりきれず、小説家を志すが挫折。人間の性的傾向に関する論文を何本か発表した後、1942年にコロンビア大学で臨床心理学を学ぶ。1943年修士号を取得すると、家庭やセックスに関するカウンセリングをパートタイムで始める。
1947年博士号を取得。ラトガーズ大学とニューヨーク大学で教えるかたわら、首席の臨床心理学者として北ニュージャージー精神衛生クリニックに勤務。
彼の考え方はアメリカの心理学会になかなか受け入れられなかったが、今日では、アーロン・ベックとともに認知行動療法の父と見なされている。1959年論理情動療法研究所(現、アルバート・エリスREBT研究所)を開設し、現在も療法の普及に努めている。エリスには600を超える学術論文と50冊以上の著書もある。主な著書は、「神経症者とつき合うには」「どんなことがあっても自分をみじめにしないためには」などがある。2007年死去。

エリスさんは、このプロフィールを見ていると
ビジネスマンや小説家など、違うお仕事にも関心があったようだけれどコロンビア大学で臨床心理学を学び始めてからは、30歳で修士号、34歳で博士号を取得し、心理学の世界で仕事をするようになったのだね_φ( ̄ー ̄ )
エリスさんも若い頃には自分の人生に悩んだ時期があったのかなあ( ´ ▽ ` )
きっと臨床心理学の勉強はそれまでとは違う感覚があったのだろうね。

【論理情動療法】

論理情動療法の考えによれば、感情はフロイトが主張するように抑圧された欲望や要求の結果ではなく、人間の思考、考え方、信条などから直接生まれる。人間の精神的な健康に一番重大な影響を与えるのは、日頃自分の心に語りかける何でもない言葉だ。このような言葉が積もり積もって我々の人生哲学になるが、常々自分に言い聞かせる言葉を変える気さえあればこの人生哲学はいとも簡単に変えられるという。

自分の心に語りかける言葉が重要だという考え方なのだねヽ(´ー`)
「自分に語りかける」という感覚もちょっと難しいけれど、何かがあったときに重く受け止めすぎたりすることや、あとはツラいのにツラくないと気を張ってしまったり、自分の気持ちにふたんををかけてしてしまうことが精神的健康を保てなくなる原因なのかもね( ´ ▽ ` )

【自分に語りかける言葉が現実に?】

言語を作り出す動物である人間には、感情や思考を言葉や文章で系統的に表現する傾向があるが、この表現されたものが実質的にわれわれの思考や感情になる、とエリスは述べている。基本的に自分に語りかける内容で自己が成り立っているとすれば、どのような変化を求めるにしろ、まず心の中の会話を見直さなければならない。

自分を変化させたいと考えているのならば、まず冷静になれる環境で落ち着いて心の中の会話を見直すことから始めるのか⊂((・x・))⊃ムズカシソウ
外に理由を求めるのではなく自分の内に理由を聞いたり語りかけるのが大切なのだね( ´ ▽ ` )

【トークセラピー】

患者と話し合うトークセラピーは患者が真実だと思い込んでいる「論理の誤り」をさらけだすのが目的だ。例えば、ひどい不安感にさいなまれている患者なら思考をたどって不安の原因になった思考を見つけるようにする。すると、決まって「もしも、、、なら、とんでもないことになりはしないか」あるいは「今、、、の状態だけど心配はないかな」と自分に語りかけていることがわかる。この機を逃さず、自分に問い直す必要がある。「これこれのことが起れば、心配した通りとんでもないことになるのか?」そして、「たとえ不安が現実になったとしても、それが永久につづくだろうか?」
初めのうちは難しいが、そのうち自己への語りかけがどれほど生き方に影響を及ぼすか分かってくる。ある出来事に「災難」とレッテルを貼ると本当に災難になってしまう可能性が高いのだ。それが良いものであれ悪いものであれ、われわれは自分に語りかける言葉に従って生きるしかないのである。

考え方の癖として、具体的ではない漠然とした不安や恐怖感が襲ってくることって結構あると思うけれど、その時自分にもう一度「本当にそうなるのかな?」と聞いてあげるだけで「あれ?なんでそう思っていたのだっけ?」「よく考えてみたら、そうでもないじゃん」に変わっていくことって意外と多いのかもしれないね_φ( ̄ー ̄ )

【嫌なことを思い出すから不幸になる?】

感情をコントロールしながら生活できるかどうかがわれわれにとって主要な課題である。人間関係が壊れたり、失業したりした時に気落ちするのは、理にかなっている。しかし、その気分をいつまでも引きずると大変なことになる。雪だるま式に精神状態が悪化して、「不幸と感じることでますます不幸に」なり、合理的な状況判断ができなくなると言う。ある物事が「不快だ」と感じ続けるのは、自分にそう言い聞かせているからに過ぎない。何度も思い起こさなければ、持続するはずがない。
早くも、1960年代に、うつ病の薬物療法は依存性が生じやすいので問題がある、とエリスは訴えていた。二度とうつ病になりたくなければ、実際に考え方を変えて、否定的感情にしつこく襲われるたびに「自分を説得」し、それを振り払う必要があるということだ。わざわざ自分を変えるのが面倒なので、内心このままでいたいと思っている人もいる。とエリスは鋭く指摘しているが、「憂鬱な気分にはならない」と心に決めれば、気分が変わる場合もあるのだ。

自分にとって大きな出来事、ショックを受けて落ち込んだりすることはなくならないし理にかなっているけれども、それを引きずらないことが重要になるのか( ´ ▽ ` )
落ち込み自体をなくそうとするのではなくて、自分がコントロールできる部分に焦点をあてて、対策を考えていくと言うことなのだね( ̄▽ ̄)
うつ病に関しては、様々な状態の方がいると思うから一概に「自分を説得したら治る!」とは言い切れないかもしれないけれど、自分の心に向き合えるような状態になったら否定的感情を振り払うきっかけになるんじゃないかと思うねヽ(´ー`)

【最後に】

自分の思考をコントロールし、極端な感情に流されず中庸を得ることを重んじる点で、論理療法は明らかに仏教の影響を受けている。過去に何がおきようと大事なのは現在であり、苦しみを和らげるために今何が出来るかが問題なのだ。
そうエリス自身が思い至ったのは子供の頃だった。母親は厄介な躁鬱病に苦しみ父親は出張で留守がちだったため、エリスが幼い兄弟の世話を引き受け、毎日身支度をさせて学校に送り出していた。腎臓を患って入院しても、両親が面会に来ることは滅多になかった。
このような経緯から、自らそうしたいと思わない限り、どんな状況に対してもうろたえる必要はない、感情をコントロールする余地は常にある。と言ったことを学んだのだ。その独特の療法は、押しの強い非情な印象を与えるが、実は人間に関する極めて楽観的な見方を象徴しているのである。

エリスさんは実際に子供の頃体験した出来事がきっかけで、様々な感情を自分でコントロールできることを学んでいたのだね_φ( ̄ー ̄ )
確かに仏教でも「あるものを、あるものとしてだけみる」みたいなお話があった気がする!
ツライ出来事があったからツラくなってしまうのではなく、
ツライ出来事を自らツライと捉えるからツラくなってしまうのだと言うこと
なのだね(°▽°)
あってる?( ̄▽ ̄)


今日は
心にずーっと残しておきたいと思う
お話を学んだなあ(*´∇`*)



つづく



さび抜きのTwitterは
プロフィール欄から飛んでね⊂((・x・))⊃ブーン

もし良かったら、サポート頂けると とーっても嬉しいです🐹🐶🍀