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「キャパ(身の丈)相応で生きる意志」について【自分語り】

まえがき

「身の丈にあった生き方をしたい」と思うことがしばしばある。身に余ることばかりし続けると疲労でパンクするし、あまりにも単純だと退屈で死にそうになる。
無理して背伸びしても破滅したリスクの方が大きいじゃん。 誰もケツを拭ってくれないし、一度張り切って10割の出力を出したとて、のちに疲労がたたってダウンしてしまっては、無難な出力と負荷で積み重ねていくよりもしょぼい結果に終わることだってある。
「だからバランスを取りたいな」と、だらだら考えては手を付けている。
けれど、キャパ相応に生きるのに抵抗があった。それにはいくつか理由がある。

1.後天的な「呪い」について

まず、これまで生きてきた場所で蓄積していた「呪い」だ。 その呪いは、自分の発達の遅さと逃げ場の無さが強く結びついているように思う。

俺はこれまで家族、学校と新卒で入った会社という立て付けの中で集団生活を送ってきたのち、そのどれもが嫌になってニートになってしまった。特に中学生から大学生の頃、自分の身には余る負荷で毎日逃げ出したい気持ちの中で生きていた。
3年くらい前までは知能があまり発達していなかったことに加えて、経験不足によるミスで追いつめられる状況が常態化していた。

はじめての職場へのとっつきづらさとノルマをこなすプレッシャーで、精神的な余裕は速攻ですっからかんになった。
学生時代は中途半端に暗記だけできてしまったせいで進学校に入ってしまった。入学後は、論理的思考をゴリゴリやる進学校のペースについていけずに落ちこぼれとなった。
中1の中間試験で自暴自棄になって以降は赤点ギリギリの点しか取れなくなったし、成績以外にいろいろやらかした。おかげで今でも、母校に行くと教師陣に煙たがられるレベルだ。

それに輪をかけて、挫折した後の処置もまずかった。これは最近になって言語化できてきたことだ。
しばらくしんどい状況から遠ざかって、回復する時間も場所も知識もなかった。家族もその辺の心当たりを広げるだけの余裕はなかったし、転校先について知識も経験もなかった(今思えば専門学校とか通信制の学校に移ってもよかったなとは思うけれど、当時の状況でその決断をする難しさはあるよなー、と振り返る)。
死体蹴りの如くおのが精神をすり減らしながら、そのミスマッチに相対し続ける日々。それを「卒業」という時効が来るまで待つ選択をしてしまったのだ。

学校から出された宿題は見ても全然分からないから放置。
先生に質問しに行っても、根本的な概念の理解ができてないせいで双方の時間と労力の無駄。
放課後は速攻で帰るも、家にも安心できる居場所がないから門限ギリギリまで三軒茶屋のブックオフで立ち読み、二子玉川の橋を渡って帰るのが日課だった。
帰宅しても勉強に手が出ず、家族の目を盗んでニンテンドーDS Liteか漫画に現実逃避する日々を送った。着実にインキャガチ勢としてのキャリアを実らせていたと言えるだろう。

2.「頑張る」の使い方と、青天井の期待で締まる首

学校ではゴリゴリにノルマをこなすこと、自分のリソースをつぎ込んで成果を出す意味合いで「頑張る」という言葉を使い、それの励行を是とされた。大学ではその傾向は表立っては言われないが、単位取得の段階で同様に立ちはだかった。
一度好印象となる実績を出すとそれが「基準」となり、それを超える出力を求められる構造は、学校や会社だけでなく家庭環境にも及んだ。基準に満たない努力には非難と侮蔑の目線が集まり、落ちこぼれの烙印を押される羽目になる。人によって印象に差異はあれど、ネガティブな判定を食らうことが常々だった。
(思えば、国公立か医学部以外の進学先を三下呼ばわりするあの進学校の価値観にも馴染めなかったな)

前述した通り、俺は数年前まで知能が足りない状態で余裕のない日々を送っていた。「理解」の概念さえ、よくわからなかった有様である。
その状態で日々過去の実績を超え続けるデスマーチ生活に身を置き(ことの重大さを【理解】してないからね)、時効が来るまですり減る生き方を送っていた。
足りない頭でなんとか捻り出したのは、「周りが頑張れと言っても俺ができることはあまりにもしょぼい。だから、自分の中でボーダーを決めてしまおう。それさえこなせればいいや」だった。

進学校には卒業するまでは通い続けたし、大学も中退しなかった。今思えば青臭くて見切り発車な決断であるが、この辺から「キャパ相応に生きる」概念を知り、なるべくそれを叶えようとし始める。20歳くらいのことだ。

そうはいっても、自分基準のキャパの中で頑張ればうまく行く状況など、そうそう訪れるものではない。
新卒の職場でサボりながら働いても、結局蓋を開ければ冬季鬱と発達障害で破滅。今では傷病手当をもらいながら生きるニートになっているのだから。

加えて、「頑張る」ことへ恐怖と拒絶が入り混じった感覚を覚えてしまった。その余波かわからないが、「頑張り続けている」と自分が認識した人に対して嫉妬とほんの少しだけ苦手意識を感じるようになってしまった。
頑張り続けている人の存在自体が、その「頑張る」をできなかった自分を否定しているような気分になってしまうというか。
noteを投稿するたびに出る「●日連続投稿です!すごい!」とか「●週連続投稿です!このままいきましょう!」的なポップアップにものすごく圧迫感を覚えてしまうのも、同じ構造からくる症状だと捉えている。 まるで「一回だしたんなら、この先も出せるよね?」と、過去の実績を基準にそれ以上を暗黙のうちに要求された、あの頃のように。当分この傷は癒えないし、自分に内蔵された繊細レーダーも機能し続けるだろう。

3.今はだいぶマシ

ただ、幸いにもあの頃より知能は熟してきた。
無職の道を選ぶ上で行政の提供する支援や、発達障害者が社会とうまく馴染むための施設について、多少の知識が集まりつつある。逃げ場があると知っている分、あの頃に比べてだいぶマシにはなったと思う。
そして「どうせ自分の出力はクソである」という前提を持つことが、ある種のセーフティネットとして機能することを知った。無理なものは無理だから、少し抑えめの出力で、質より量を考えようと。最大限の満足でなかろうと、SlackやYoutubeに書き込んだコメントが「(編集済み)」であろうと、まずは出してから整えればいいじゃん。内面で抱え込んだまま出せないでいるよりも何倍もマシだと。ネガティブなようで希望めいたニュアンスを、この言葉から感じる。

「頑張り続ける」を例に出したのは、俺にとって絶えずぶつかっていた壁であり、ハードルの高いことの筆頭として頭の中に居続けた言葉だから。
性分として「好奇心旺盛。でも飽き性」を持つ人間なので、よほど興味や魅力を覚えたものでないと続けられないのだ。 自分にとってのコスト感覚ではなく、沼れるポテンシャルが基準である。
そして、この「続ける」で積み重ねたものを持たざる者は、今後生きづらくなるのでは?という感覚がある。 今現在ニートで「自分のキャパに合う生活方式を探す」が初めてという状況も大きいかもしれない。おまんま食うための実績を納めるためには、その実績をこなすだけの能力や経験を溜め「続ける」わけで。

でも、それをずっとドロップアウトしてきた俺がやれんの?今まで速攻で飽きて投げ出してきた「続ける」をするの?…ムリじゃね?投げ出すことなら、ずっと続けてきたけどさ。そんなメンタリティなので、「続ける」に対する警戒心・苦手意識がめっちゃこびりついているのだ。

4.今まで続けられていることは何か?

一応やっていることを出してみる。 
なんだかんだ一番やっていたのは、イラストを描くことだ。大好きで、暇さえあればやっていたこと。学生時代に現実逃避のためにやれていた数少ないこと。
勿論自分よりも長い間向き合ってきた人、上位互換の質と量を出し続けている人はごまんと知っている。芸大に行って、しっかり知識と経験を蓄えてきた人の存在も知っている。その人たちと比べたら自分の実力などたかが知れているだろうけれど、自分なりの実績を積み続けられるものといったら、ほかにあまり思いつかない。
ゲームはしてたけど、イラストを描くよりも熱中はしてなかったし、技量もビミョーだし…。
風呂で10年くらい歌う生活はしてるけど、あれを有用なものに転用するアイデアもないし…。

そんな事情で、イラストを描いて投稿する活動は、今後も続けていこうと思う。毎日・毎週はキャパ的にキツいから、月一以上くらいのゆるさにして、年一でイベントに出す立ち回りでやれたらと思う。量を増やすのは、それでは飽きてしまうレベルで成熟してからでいいと、今は思う。

pixivのリンクはっといた。よかったらみてね~

5.まとめ?

キャパ相応に出力をすること、少し肩の力を抜いて向き合うことは、ネガティブではないと思う。
人は機械のように同じ出力を出せる存在ではなく、それぞれ個性や傾向を持つ。出来る事のジャンルも量も質も違う。なんなら機械にだって手入れや修理が必要だしあんまり稼働させたら壊れてしまうこともある。人間なら尚更ではないか?

自分にとって継続できる範囲で負荷を抑えた上で出力をすることは、短期的に見れば物足りないかもしれない。ただ、長期的な視点では安定したアウトプットで実績を積み重ねられるという安心感を持てるという、代え難いメリットを享受できるじゃないか。
そのスタンスをもってして、俺は自分の人生を積み上げたい。俺はニートで発達障害者だから、健常者のそれとは異なる立ち回りや知識、前例のないチャレンジなどが転がっているかもしれないが。

そんな感じで、この文章を皮切りにこれまで蓄えてきた「頑張る」への抵抗感、呪いを抑えながら生きていければと思う。 禊にしては長かったかな?
ここまで読んだ人はお疲れちゃんでした。またね。

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