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トンチンカンな音を集めてみれば・・・☆ 何かである前に、一人の人間なんだということ

このあいだ、夜、兄から電話があり久しぶりに話す。

小さい頃の記憶が、

たった三歳差なのに、

全然違っていて、というより

三歳下の私は、知らない事ばかりで驚いた。

「おじいちゃんちの近所にそんな家あったかな?」

「さっきから言ってる『先生』って誰だろう?誰の、何の先生?」


それは、今の私の時間軸で考えていたからで、

例えば私が1歳なら兄は4歳。

小さい頃程、当然、大きな差がある。


「全然、分からんわ~」と言うと、

「ああ、お前はまだ生まれてなかったかも・・・」と言い、

色々教えてくれた。

私の知らない話と

知ってる話を30分ほど。

同じ家族、兄弟、見てきたものは同じかと思っていたけれど、

結構違うんだなぁと気が付く。

すると、価値観・考え方が違っても当然だなぁと思えた。

それぞれの目線でしか物事を見ていないので、

兄妹といえども、

例えば母に対する思いに違いはあっても

私がそれを否定することはできない。

私たち三兄弟、母に対する思いには相当の違いがある。

という事に、本当の意味で気が付いたのは最近。

私が心震えた事でも、兄にとっては響かず、

こんなにも捉え方が違うのかと驚いたけれど、

それはそれで私が何か言う事ではないなぁと感じたので、

ただただ「ふん、ふん、、、」と聞くだけ。

家族の中で橋渡し的な役目を担っているのだけど、

だからと言って、私が変えられると、

勘違いしてはいけない。

そういえば大事な事を決める時に、

まあまあトンチンカンな事を言う母の意見は誰も聞かない(笑)。

ふと、あれ?と思った。

無意識に、世の中の

「母」というのは偉大で、

家族の中では、普段は控えめにしているけれど、

ここぞという時、一目置かれているような、

そんな素晴らしいイメージを持っていたけれど、

家では全く当てはまらないなぁと(笑)。

そのイメージを当てはめようとする人、

あるいは、

そのイメージで自分自身を縛ってしまう人

などがいるのではないかなと思った。

「母」である前に、一人の人間なんだった。

ところで、「トンチンカン」の語源、

鍛冶などで師と弟子の、鉄を打つ間や音がずれて響く音を

「トンチンカン」と模した擬音語であったらしいのですが、

実際、聞いたらどうだろう。

私だったら笑っちゃうなと思う。

揃わないといけない音が、揃ってない。

外れた音が何だか小気味良く感じて、きっと笑ってしまう。

一音だけではメロディは生まれない。

不揃いな音もたくさん集まれば、何か音楽が生まれるかもしれない(笑)。

でもその音楽には美しさは求めない。

美しくはないけれど、どこか小気味良いメロディ。

私もきっとトンチンカンな音を出しているだろうから(笑)。


自分の子供に対しても、

「私の子供」である前に

「一人の人間」であることを

たまにちゃんと意識する。

私にはない視点・感覚を持って生きている。


「家族だから、同じ」

と思っていると、

見落としてしまうものがある

ような気がして。




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