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ペニー・レインのような彼女

映画『あの頃ペニー・レインと』(Almost Famous)に出てくる

ペニー・レインのような友達がいた。

音楽を愛し、バンドのそばにいつもいる女の子。

その映画のキャメロン・クロウ監督が
ペニー・レインとそれを演じたケイト・ハドソンの共通点として
あげた一文の中に

「・・・・存在感がありながら、儚いという相反する魅力を備えた人」
という言葉がある。

私の友達もまた、そんな感じの女の子だった。

彼女が乗る愛車、Hondaの赤いシティのカブリオレには、
前に乗っていた人が貼ったらしいリンゴのステッカーがついていて、
彼女はそれもすごく好きだった。


まだ朝焼けが残るなか、
みんなで彼女の車に乗り、公園へ出かけた。
車内のサイドウィンドウには理科で使う試験管のような細い花瓶に
赤いガーベラが挿してあり、
”車で生花を飾る”
その感覚に感動したのを覚えている。

開けられたルーフで、ガーベラが風に揺れる。

その時、車内に流れていた曲は
archie bell & the drell の
「tighten up」


彼女の部屋には、無造作に置かれたCDの山。
洋雑誌が入ったマガジンラック、
スーパーの袋が入った網目の手さげまで、
どこを見てもお洒落で、綺麗に片付いているのに
その無造作感は計算されたものなのか
彼女から出る自然なものなのかが分からず、私はため息をついた。
またある時は彼氏の新しい家、そう、出来たばかりの家を
一緒に同棲するからと、早々に部屋の壁を緑に塗り替えていて
本当に驚いた。それも彼のお母さんと一緒に。


ある時、誰かの家でみんなで集まっておしゃべりをしていて
私がお菓子をつまもうと、
いつものようにスカートが汚れないよう
膝上にハンカチを広げると、
彼女は目を丸くして驚いていた。

彼女はいつもジーンズを履いていたからかもしれない。

そして、「sachiさんは絶対、幸せな結婚がしたい人ですよ」
と言った。

今思い返してみると、
私はあの頃、自分の居場所を見つけるのに必死だったけれど、
彼女は逆だった気がする。

誰にも、何にも、束縛されたくない。

年下だけれど、私は彼女に憧れていた。
でも彼女のようにはなれないし、
本当はそれを望んでいないことを
彼女は知っていたからこその言葉だったと思う。

自分の事を知らないままでは、自分の居場所を見つけることはできない。

時間が見つけてくれるわけではない。
自分の事を知らないからこそ、たくさんのものを見て、
また新しい場所で、新しい出会いがあり、
新しい価値観に触れ、新しい楽しみを知り、
そんな風にいつの間にか、たどり着いている。


彼女が今どうしているか、知りたいけれど
きっともう会うことはないのだろうなと思う。
なぜだか分からないけれど、そんな気がしている。

振り返りはしないけれど、
彼女の事を忘れることもないだろう。



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