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【思い込みの威力】下校や時報でお馴染みのあの大正昭和風唱歌は日本のオリジナル曲じゃなかった!!!

人間の思い込みってすごいなと思います。脳内を構築する力が絶大すぎて、なかなか修正できません。最近、そんなことを痛切に実感する出来事がありました。

それは、ひとつの動画が発端でした。ピアノを初めて1年くらいのスペイン人の女の子が練習成果を送ってくれました。

"Se llama Largo"(ラルゴという曲です。)

かわいく曲紹介をして、ピアノに腰掛ける女の子。スマホ片手に、ソファでリラックスしながら、小さい画面に目をやりながら聴きはじめた始めたSacha。ここまではいたって普通。

でも、

「あれ?この曲・・・!知ってる!」

耳馴染みのよい曲調に動揺が隠せません。ソファから落ちそうでした。それは、おなじみの唱歌というか、下校の歌というか、時報の曲というか、、、

なんにしても、ここスペインで”Largo”という題名で聴いても、日本の旋律にしか聞こえないのです。題名がどうしても思い出せず、スマホで鼻歌検索しても、Google先生は、「ゆずの雨のちハレルヤ」としてしか認知してくれず、、、(涙)どんだけ音痴?!

悪戦苦闘の数十分の後、諦めてコーラスが趣味の母親に「この曲、なんだっけ?」とメッセージを送ると、即答でした。

「遠き山に日は落ちて」

さすが!コーラスひとすじの年季が違う!知ってる曲数が半端ない。
それは、こんな曲。(キャンプファイヤーを囲んで歌うのも定番)

なんと、作曲はドヴォルザークでした。ドヴォルザークといえば、有名な作曲家です。チェコ出身で、代表作に交響曲「新世界より」というものがあります。それは、1892年、彼が51歳のときアメリカで受けた強い印象をもとに作曲したものです。

その第二楽章Largoに、”Going home"という歌詞が英語でつきました(1922年)。それを日本語版にしたのが「遠き山に日は落ちて」なのです。堀内敬三の作詞で1932年頃ということです。

ちなみに英語の歌詞はこんな感じ。

Going home, going home,
I am going home, Quiet like some still day,
I am going home.

It's not far, just close by,
Through an open door,
Work all done, care laid by,
Never fear no more.

Mother's there expecting me,
Father's waiting too,
Lots of faces gathered there,
All the friends I knew.

I am just going home.

もっと長いですが、続きや詳細を知りたい人はこちらから(参考サイト)。

でも、小さい頃から、日本の旋律として聴いていたので、その刷り込みが強すぎて、世界的なヴァイオリニストが美しすぎる旋律を奏でても、どうしてもどうしても日本の曲を交響曲風にしたように聴こえる・・・!

やっぱり、目に浮かぶのは、あれです。

日本の田舎の原風景!夕焼けの空が目に浮かぶーーー!カラスも2、3羽飛んでいる!カァアー、カァァー!?

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海外で暮らしていると、妙なきっかけで日本のものだと思っていたものが、実は違ったと気付くこともあります。曲については、ちょくちょく、こういった驚きがあります。ほかにも気付いたものがあるので、また別の機会に投稿したいと思います。

ちなみに、昭和初期の言葉使いは好きです。(「いざや~」とか。)

以上、現地リポートでした。

Sacha




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