色のないわたしが世の中を鮮やかに。~さあちゃんの今までとこれから~
はじめまして、さあちゃんです。
わたしは現在、イラストを描いたり、記事を執筆する活動をしていす。
もともとは、何のスキルも才能もない平凡な小学校教員でした。
教員を辞めたことをきっかけに情報発信をはじめ、約300日間、毎日noteを更新していくうちに、少しずつ読んでくださる方が増えました。
その結果、おかげさまで、2回ほど、note編集部さまのおすすめに取り上げていただきました。
今では、情報発信によって出会った、心から信頼できる仲間たちとともに、夢を叶えるため、充実した毎日を過ごしています。
このように書くと、順調な人生を歩んでいるように見えますが、決してそうではなくて、
・極端に低い自己肯定感
・就職活動の失敗
・信頼していた人からの裏切り
などたくさんの葛藤や苦しみがありました。
この記事では、わたしの生い立ちを含め、どう葛藤を乗り越えて、どんな未来を目指しているのかを書いていきます。
順風満帆すぎて平凡な学生時代
サラリーマンの父、看護師の母、4歳下の弟の4人家族で、どこにでもいる一般的な家庭で育ってきました。
両親からしたら第一子、祖父母からしても、初孫で、しかも女の子。
自分でいうのもどうかと思いますが、相当可愛がられて育ってきました。笑
学生時代は、それなりに勉強もできて、友達にも恵まれ、楽しい毎日。
ただ、ひとつ「人からどう見られているのか」を、気にすることを除いては。
小・中学校時代は、いつも3人の友達と一緒にいました。
彼女たちには、バスケットボールで県の選抜メンバーに選ばれたり、水泳や卓球で全国大会に出場したり、それぞれ強みがありました。
その反面、わたしには3人のように分かりやすく秀でたものがありません。
強いて言うなら、3人よりちょっと勉強ができるくらい。
しかし、勉強ができる人は、他にもたくさんいたので、3人よりちょっと勉強できる程度では、自分に自信を持つことができませんでした。
だから、わたしも他人から見て、何をやっている人が分かるような特技を身につけたいと思い、ピアノや書道、英会話や塾、バレーボールや茶道など、できる限りの習い事をやりました。
幸い、可愛いがられて育ってきたものですから、わたしが「やりたい!」と思ったことを両親は否定することなく、すべて習わせてくれました。
どの習い事も最初のうちは、初めてのことばかりで、いろんな知識や技術を得るのが楽しくて、ワクワクしながら教室に通っていました。
しかし、ある程度のところまでできるようになると慣れが出てきてしまい、楽しさが薄れてきてしまいます。
また、学年が上がるにつれ、部活動や通学の兼ね合いもあり、習い事をやめていくことに。
それでも、唯一、書道だけは、幼稚園から高校3年まで続けていました。
当時は、意識していませんでしたが、能力さえ身に着ければ、何者かになれると思っていたのでしょう。
特段、秀でたものがない自分は、価値のない人間。
だから、いろいろなことに手を出すことで満足感を得ていたのかもしれません。
けれど、表面だけをよく見せても、自信を持てるようになるわけではありません。
自分自身を信じることができないということが、この先もずっと自分を苦しめるのでした。
とはいえ、勉強だけはまじめにやっていたので、希望していた高校、大学に入学でき、大学を卒業する直前までは、誰もが思い描く人生を歩んできました。
しかし、大学4年の秋、大きな挫折を味わうことになるのです。
人生で初めて味わった大きな挫折
わたしが進学した先は、教員養成課程の大学。
教員を育てるのが目的の大学で、ほとんどの学生は卒業後、教員になります。
もちろん、それを分かって入学したのですが、正直、それまでの人生の中で、学校の先生になりたいと思ったことは一度もありませんでした。
子どもが好きだということ、教員免許があれば企業への就職ができなくてもなんとかなるだろう、そんな安易な考えのもと、大学に進学しました。
それが、人生で初めての挫折への入り口になるのです。
大学では、遊びつつも授業をまじめに受け、単位を落とすことなく、気づけば就職先を決めないといけない時期。
自分に教員という仕事は向いているのだろうか、本当に先生をやりたいのだろうか。
講義を受けたり、教育実習をしたりする中で迷いがありました。
でも、ほとんどの友達は教員を目指していました。
わたしが通った大学は、一般的な大学とは異なり、企業に就職するということは、多くの人が進む道から外れるということ。
小学生のころから自信のないわたしは、自分だけ違う道に進むことに不安がありました。
だから、周りに流されるままに採用試験を受けることを決めたのです。
採用試験を受けると決めたからには、真剣に勉強をしました。
朝早くから研究室にこもってひたすら問題集を解きまくったし、週末も図書館や駅前の公共スペースに通って、参考書を開いていました。
あっという間に試験の日。
これまで試験という試験に落ちたことはなかったので、受かる自信しかありませんでした。
けれど、届いた通知を見てみると、「不合格」という3文字。
(一応1次試験には、受かっていましたが。)
これが、人生で初めての挫折でした。
これまで、勉強ばかりしていたのに、
自分の意志はなく、流されるままに選んだ道。
当然と言えば当然の結果です。
あのとき、しっかりと自分の気持ちに向き合っていたら、結果は変わっていたかもしれません。
しかし、この経験が、大きなチャレンジへと繋がったのです。
日本を飛び出し上海へ
採用試験1本に絞り、その他の就職活動はしていなかったので、地元の小学校で常勤講師として働くことにしました。
最初に勤務した学校は、校舎の周りが田んぼで埋め尽くされてた、ど田舎にある全校児童6人の学校。
わたしは、2・4年生の複式学級で、3人の担任になりました。
大学時代から、
「歳をとっていようが若かろうが、正式採用されていようがいまいが、子供たちからしたら同じ先生。先生としての自覚をもって子ども達に接しなさい。」
と言われていました。
素直で真面目なわたしは、
「たとえひとりふたりの子ども達でも、教師として堂々と振る舞わなければならない。」
と気持ち新たに仕事へ没頭しました。
朝7時30分には職場へ行き、休憩もなく12時間以上、仕事をするのは当たり前。
子どもたちが下校するまでは、トイレに行くことさえできませんでした。
多忙な日々ではありましたが、朝、子どもたちが教室に入って、少しでも元気を出し、やる気になれるよう、毎日黒板にイラストつきのメッセージをかくことだけは続けていました。
子どもたちと触れ合うのは楽しかったし、授業をすること自体も嫌いではありません。
ただ、毎日、朝早くから夜遅くまで仕事をしても、失敗はするし、他の先生たちに迷惑をかけてしまう自分がどうしようもないくらい嫌でした。
いつも心のどこかにあったのは、
「わたしは教員に向いていないんじゃないか」
「子どもたちもこんなわたしに教えてもらうより、もっとベテランでしっかりとした先生に教えてもらった方がいいよな。」
という思い。
そんな自分を変えたくて変えたくて、仕方ありませんでした。
教員として1年半が過ぎたある日、いつものように疲れ切ってダラダラと過ごしていた休日のことです。
何気なくFacebookを見ていると、大学時代の知り合いが、フィリピンとオーストラリアにワーキングホリデーに行っている様子をアップしていました。
SNSに写る彼女の姿は、とてもキラキラしていて、充実した毎日を送っているように見えました。
日本の田舎で、毎日仕事に追われているわたしとは大違い。
わたしも海外に行って、今いる環境を変えれば、自信のある自分に変わるかもしれない。
「海外で生活したい!」という思いが強く湧き上がってきました。
しかし、まだ仕事を始めて1年と少しか経っておらず、奨学金の返済もあり、金銭面が心配でした。
だから、仕事をしながら、海外で生活できる方法はないか探し始めることに。
調べてみると海外に住んでいる日本人の子ども向けの学校があることを知りました。
しかも、タイミングよく教員の募集があったのです。
これは逃せないと思い、早速応募することにしました。
2017年1月に応募し、その年の4月には、上海にある学校で勤務することが決まりました。
今振り返っても、あれほど自分に自信がなかったのにも関わらず、海外で仕事をするという決断をよく下すことができたなと思います。
きっと、それほど自分を変えたかったのだろうし、「自信を持って周りに流されない自分になり、不安から解放されたい!」と思っていたのでしょう。
夢見る結婚生活のはずが・・・
そこから、3年間上海で生活することになります。
仕事は、日本でやっていることと変わりませんでしたが、日々の生活は、目にするもの耳に入ってくるものが新鮮で、刺激的。
日常会話程度なら中国語を話すことができるようになり、ガイドの人がいなくても中国国内を旅することができたりと、海外で生活することができている自分を少しばかり誇らしく思いました。
そんな中、同じ職場の人と付き合うことになり、日本に帰国するタイミングで結婚。
新婚生活に心躍らせながら、3年ぶりの日本での生活。
コロナが流行して、なかなか外出はできなかったけれど、彼といれば毎日楽しく生活できる、そんなふうに思っていました。
けれど、その生活は一瞬で消え去ってしまったのです。
何をやっても、自分に自信のないわたし。
それでも自分を好きになってくれる人がいて、本当に嬉しかったし、必要とされていることに自分の存在意義を見出していました。
彼がいるから自分がいる。
彼がいなかったら、わたしのいる意味はない。
自信のないわたしは、自分で自分を幸せにする方法を知りません。
だから、彼が離れていくと、自分の存在理由がなくなってしまう。
1人になるのが怖くて怖くて、自分が本当に思っていることを言わず、うそをついたり、些細なことで嫉妬心を抱いたりしていました。
そんなわたしに、彼はきっと愛想をつかしたのでしょう。
いつも通り仕事から帰ってきた彼に、いきなり話があると言われました。
リビングでお互いに向き合い、開口一番に言われたのが「別れてほしい」の一言。
そのときは、そこまで深刻にとらえていませんでした。
話せばどうにかなるだろう、分かってもらえるだろう、と思っていたけれど、解決の糸口を見いだせることができず。
何度も話しをしたり、自分の気持ちを紙に書いて伝えたりもしましたが、お互いの意見は平行線。
状況があまりにも変わらないので、数か月後、話し合いの場を設けるという約束の元、わたしが家を出ることに。
しかし、2~3か月経って、会う日程を決めようと連絡をしたとき、
「もう離婚届出したから」
と言われました。
今振り返ると、これって普通に犯罪じゃん!って思えるのですが、当時はそんなことを考えている余裕もなくて、信じていた人から裏切られたという事実に、ただただショックで。
比較的立ち直りが早いわたしでも、さすがにこのときばかりは、泣き崩れました。
それからというものの、生きる気力がなくなって、空が青いだけで泣くし、ご飯を食べただけで泣くし、とりあえず何をしてもしなくても、涙だけが出続けました。
仲間との出会い
「環境さえ変えれば、自分を変えられる。」
そう思って海外で生活したけれど、わたしはわたし。
何も変えることができませんでした。
おまけに、就職も結婚もうまくいかない。
この頃は、朝起きては涙を流し、スマホを手に取って「命を絶つ方法」を調べる毎日。
早く人生が終わってほしかったし、終わりにしたかった。
けれど、そんなうまくいくはずもなく。。。
そんなとき、ふと目にとまった、とあるコミュニティの募集。
そのコミュニティのテーマは、
「想いが通じ合う仲間づくり」
思えば、ずっと自分に自信がなくて、そんな自分をさらけ出すのが怖くて、関わった人とは、表面的な付き合いばかりでした。
こんなわたしでも「想いが通じ合う仲間ができるかもしれない・・・。」
藁にもすがる想いで、このコミュニティへ参加することを決めました。
「想いが通じ合う仲間づくり」とは言っても、ビジネスを学びながらのコミュニティなので、起業したりとか、副業で年商数千万~数億円とかを出したりとか、もうすごい人たちばかり。
「わたしなんかがいてもいいのだろうか・・・」
「場違いなんじゃないか・・・」
一瞬、怯みもしましたが、もうそんなことを言っていられる状況でもなかったので、思い切ってセミナーに参加することにしました。
初めて参加したセミナーで講師の方から言われた一言。
それは、
「自分のためではなく、誰かのために時間を使いましょう」
小さいころからたくさんの習いごとをしてスキルを身につけ、生活する場所を変えてまで、わたしが叶えたかったのは、自信をもって堂々と生きている自分。
そこには、人のためとか誰かのためとか、そんな考えは微塵もなくて。
ただただ、自分が、自分さえよければ。。。
講師の方の一言で、今までいかに自分のことばかりを考えて生きていたのかを思い知らされました。
その頃、同じコミュニティに所属しているやぶなおさんが”心に月明りを”をテーマに、人生やビジネスのコンセプトを考えるclubhouseのルームを立ち上げました。
Twitterと連動しながら、たった1人のために、みんなで意見を出し合いながらコンセプトを考えていきます。
これまでどんな人生を歩んできたのか、どんな経験をしてきたのか、話を聞き、意見やキーワードになりそうな言葉をTwitterに書き込んでいきます。
みんながどんどん書き込んでいく中で、わたしは、速さについていくことができないし、気の利いたキーワードすら頭に浮かんできませんでした。
やっぱり、自分は何もできない。。。
また、いつもの自信のない自分が顔を出します。
そのとき思い出したのが「誰かのために時間を使いましょう。」の言葉。
なぜか、このときだけは
「意見を出すことができないならできないなりに、何か力になれることはあるんじゃないか」
と前向きに考えることができました。
そうして、行きついた先が「話の内容やみんなの意見を1枚にまとめる」ということでした。
幸いにも、教員をしているときのスキルが活かされました。
子どもたちから出されるたくさんの意見を集約したり、1枚の黒板にどう表現すれば学習内容が分かりやすくなるのかを毎日考えてたりしたので、Twit話されている内容をまとめることは、自然とできました。
そうやって続けていくうちに
「分かりやすくまとまっている!」
「見やすいので、振り返りにも役立ちます!」
「話をしっかりと傾聴してくれるのがありがたい!」
などなど、嬉しいお言葉をいただけるようになりました。
そして、中には
「これ、仕事にしないともったいないよ!」
と言ってくださる仲間まで現れたのです。
この言葉を聞いたときは、めちゃくちゃ嬉しかったし、こんな自分でも誰かの役に立てることができるんだ。。。と初めて思えた瞬間でした。
その後も、かき続け、たくさんの方から感謝の言葉をいただくうちに、”かくこと”を通して「誰かを照らす太陽みたいになりたい」と思うようになりました。
試練を乗り越えた先に見えたもの
とはいっても、思っただけでなかなか行動に移すことができません。
そんなとき、所属しているコミュニティで「14日間チャレンジ」という企画が始まりました。
この企画は、5~6人のチームになって、個々人が設定した目標にチャレンジするというものです。
これまで、表面的な人付き合いしかしてこなかったわたしにとって、チームで活動するというのは、心理的なハードルがめちゃくちゃ高く、初めは不安しかありませんでした。
おまけに、ひょんなことから、チームのリーダーをやることに。。。
でも、
「ここで変わるしかない。ここで変わらなければ、これから先、ずっと同じままの自分でい続けることになる。」
そう言い聞かせて、チャレンジがスタートしました。
わたしがこの期間に設定した目標は、「ポートフォリオサイトを作成する」でした。
初めは、勢いよくスタートダッシュを切れたのですが、次第に失速。
だんだんモチベーションが下がり、
「やっぱり自分なんて。。。」
「どうせわたしは何をやってもダメなんだ。。。」
と自己肯定感が下がるばかりでしょう。
いつものわたしだったら、「やっぱり武器になるものを見つけなきゃ」と思って、別のことに取り組んでいたことでしょう。
けれど、今回は、チームを組んでいます。
思い切ってチームメンバーの1人に相談してみることにしました。
すると、メンバーから、
「そんなことで悩んでいるなんて、バカじゃないの?笑
光るものもっているんだから、悩む必要なんてないじゃん!
そうやって悩むってことは、これからイラストを描いていくことに対して覚悟が決まっていないから。自信をもってやっていったらいいよ!」
振り返ってみれば、”自信がない”ことを言い訳に、「自分にできるのはここまで」とブレーキをかけ、仕事も人との関わりも、何もかも中途半端。
そうやって、中途半端にした結果が、就活の失敗や、離婚でした。
仲間の言葉には、厳しくも優しさが込められていて、愛ある想いに大事なことを気づかせてもらいました。
そんな気づき以外にも、この14日間は、チャレンジの成果をまとめた仲間の動画がたくさんの人に評価してもらえたり、リーダーとしての役割を全うしたことで仲間から感謝されたり、嬉しい出来事がたくさんありました。
そして何より、自分の弱い部分をさらけ出し、何でも言い合える仲間に出会えたことが一番の報酬でした。
世界中に温かさを広げるために。
わたしがどん底な状況から這い上がれたのは、決して自分一人の力ではありません。
温かい言葉をかけてくれた人、本音で話してくれた人、闇を受け止めて光に変えてくれた人、強みを見出して引き上げてくれた人、応援してくれる人。
こんな素敵な人たちに出会えたおかげです。
そうやってわたしが、周りの方々に引き上げてもらって、支えてもらって、人生を変えるきっかけをもらったように、
わたしも、暗いトンネルの中をさまよっている人の一筋の光になりたい、陽の目を浴びず陰に1人たたずんでいる人に、太陽のような温かさを届けたい。
それを実現するためにわたしができるのは、”書いて・描いて”伝えること。
そんな想いで、noteやTwitter、Instagram、で日々、発信しています。
ただ、わたしには、たくさんの課題もあります。
・あれこれ考え、よからぬ結論を1人で出してしまう
・「助けて!」と素直に言えない
・想いはあっても、具体的な行動に結びつけられない
・積極的に人と関わることに苦手意識がある
・すぐに人の意見に流されてしまう
何より、”書いて・描いて”光を届けたいけれど、その先の未来を、まだはっきりと想い描くことができていません。
だけど、色がない真っ白なキャンバスだからこそ、誰の色にでも染まることができる、余計なフィルターを挟まず、あなたの魅力をそのままに伝えることができると思っています。
今現在も、失敗しながら、試行錯誤しながら、仲間の助けを借りながら、一歩一歩進んでいる途中です。
より多くの人が、自分の魅力に気づき、明るく照らされた陽の光のもとで、人生が輝き出すように。
そして、その輝きと温かさが周りの人に伝わっていくように。
そんな喜びあふれる世界を目指して活動していきます。
光あふれる温かな世界を目指して、一緒に進んでいきましょう!
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