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『どこにでもある物がどこにもない物になる瞬間』

 ずっと1番になりたいと思っていました。
 でも小さい頃から1番ではなく、いつも2番目でした。

 小学校の頃は、絵を描くことが好きでした。図工では、工作は不得意でしたが、絵を描くことは得意でした。先生にも褒められたり、展覧会に出すポスターを描く代表に選ばれたりすることもありました。図工の時間だけでは足りず、放課後に残って先生に色の塗り方を指導してもらったり、夏休みに学校に行って描いたりすることもありました。
 字もそれなりにきれいに書ける方で、冬休みの宿題の書初めをコンクールに出すこともありました。学校の習字の時間はあまり好きではありませんでした。学校の流しで筆を洗ってはいけないという謎のルールがあったからです。1クラス35人ほどの生徒が1度に流しで筆を洗うとなると、時間がかかって次の授業の時間に間に合わない可能性があるし、流しが真っ黒になって掃除が大変だからだろうと、今なら容易に推測することができます。だから、当時は、授業の終盤、片付けの時間が始まると、筆についた墨汁を半紙でしっかり拭き取り、それでも周りに墨がついてしまうので、筆先を半紙でしっかりくるんで家に持ち帰り、家で筆を洗うというシステムでした。家に帰ってすぐ洗えばいいのですが、筆のことを思い出すのはたいてい次に習字の授業がある日の前日で、その頃にはもう筆がカッピカピにカビ臭くなっているのです。だから学校の習字の時間はあまり好きではなかったのですが、小学校時代の私はわりと、というかかなり真面目だったので、授業中はしっかり集中し、真面目に文字を書いていました。何度も先生に見せに行き、添削してもらい(あの添削用の朱色の墨は憧れでした。小学校の先生が使っているものはなぜ魅力的に見えるのでしょう?)、少しでも模範に近い文字にしたいと頑張っていました。当然、冬休み中の宿題である書初めも、家で何度も練習してから清書しました。母が、高校時代に書道部で字がとてもきれいだったので、自分基準で最終選考に残った2枚を見せ、どちらが良いが母に選んでもらったりもしました。
 絵を描くことも、字を書くことも好きだったのですが、結局ポスターも『佳作』、書初めも『銀賞』。1番にはなれませんでした。

 では、運動で!と意気込んでいたわけではありませんが、運動もそれなりにできる方でした。私が通っていた小学校では陸上部は春だけ、水泳部は夏だけ活動がありました。
 陸上部は、毎年、年度初めの体育の時間に少しずつ実施するスポーツテストで優秀な結果を出した生徒だけが集められていました。私はミニバスケットボール部所属だったので、文化部の子と比較すると運動ができる方でした。だから、陸上部にも毎年招集されました。
 水泳部は希望制でした。私は小学校3、4年生くらいまで泳げなかった記憶があります。夏休みに家族とプールに行く時はいつも浮き輪をつけていたし、姉や兄がいましたが、私だけ歳が離れていたので、一緒に同じ遊びができることはなく、兄や姉は自分が楽しむことに夢中でした。父は仕事が忙しく休日出勤していたし、母は書道はできましたが、運動は全然だったので、誰も私に泳ぎ方を教えてくれませんでした。1度、海に連れて行ってもらった時は、嫌がる私を家族の誰かが(もう誰だか忘れてしまいましたが)無理やり海に放り投げたのです。漏れなくトラウマになりました。もう2度と海なんて行かないと心に誓ったくらいです。ですので、水泳部にはできれば入りたくありませんでした。しかし、ミニバスケットボール部に所属していた仲良しグループの子たちがみんな水泳部入部を希望していたので、仲間外れにされたくなかった私には入部以外の選択肢はありませんでした。自信がないって生きづらいですよね。「私は入らない」って言えないんです。だから、毎年、春には陸上部、夏には水泳部に所属しました。
 しかし、そこでもやはり1番にはなれなかったのです。運動ができる方と言っても、やはり『文化部の子と比較すると』というだけで、運動部の子と比較すると見劣りします。マラソン大会で毎年1位になるような子や筋肉量がありパワーがある子、高身長な子など、チビでずんぐりむっくりだった私なんかより運動ができる子はわんさかいました。陸上部では幅跳びの選手に選ばれましたが、『万年補欠』。小学校5年生と6年生の2年間陸上部に招集されましたが、家が近所で登校班も、ミニバスケットボール部も、クラスも(なんと6年間!)同じの子がいつも正規の選手で、私はいつもその子の次。当然水泳部も補欠でした。もっと言うとミニバスケットボール部でもスターティングメンバーに選ばれることはほぼありませんでした(先生からも先輩からもたいして好かれていなかったのも原因の1つかもしれません。悲しい)。

 そんなこんなで、高校、大学時代の私も、1番になりたい欲を継続していました。特定の人の1番ではなく、誰でもいいから誰かの1番になりたいと思っていました。周りの子に彼氏ができると羨ましがり、とにかく早く彼氏が欲しいと思っていました。
 私は、別段美人なわけでもなく、優秀なわけでもなく、人を魅了する特技があるわけでもなかったので、ずっと自信がありませんでした。自信がなかったから、周りと同じことをしたかったのでしょうね。同じじゃないと不安だったのです。
 高校生や大学生の時は、スタイルアップのためにダイエットをしたり、ファッションセンスを磨くために雑誌を読んだり、女の子が1度はするようなことはしましたが、こうなりたいという明確なビジョンがあったわけではないので、なんとなくやっているだけで、目に見える成果が出たことはありませんでした。結局は、周りの楽しそうな子たち、今でいう『リア充』の子たちを見て、「あの子は美人だし」、「あの子は可愛いから」、「あの子はスタイルが良いもの」などと、羨ましがるだけのダメ人間でした。
 その頃は、自分に自信が持てないのは彼氏がいないせいだと思っていました。周りの子たちには『元カレ』がいて、私にはそれがカルティエやロレックスを持っているのと同じくらいステータスに思えました。私は『元カレ』を持っていない。だから、とにかく早く彼氏が欲しかったのです。とても浅はかな考えです。
 高校3年生(舟木一夫さんと同級生の時ですね)の夏休み前に人生で初めて彼氏ができました。同じクラスの仲が良かった子(A子ちゃんとしましょう)の『元カレ』でした。A子の『元カレ』で、私の今カレである男の子(B君としましょう)も同じクラスでした。席替えで席が近くなったことと、家でインターネットが使えるようになったことが付き合うきっかけになりました。は?と思われた方も多いと思います。高校時代、携帯電話は持っていましたが、私はIDOで、彼はNTTdocomoでした。当時は違う携帯電話会社だとショートメッセージ(Cメールとかショートメールとか)のやり取りができませんでした。私は携帯電話でeメールを送信することができませんでしたが、家にネット回線を引いたのでパソコンのeメールアドレスは持っていました。彼は携帯電話でeメールを送受信することができたので、私は家のパソコン(しかも父の!)からメールを送って、彼とやりとりを始めたのがきっかけで仲良くなりました。(時代を感じますね)
 私は男の子とやり取りをすること自体が初めてだったので、私の地元で毎年開催されてる七夕祭りに一緒に行く約束をしただけで舞い上がり、当日はお祭りの屋台が並ぶ道(地元の商店街に並んでいたので結構長い道のり)を2往復して、帰る頃にやっと告白してもらえ、天にも昇る思いでした。それから毎日メールでやり取りをし(私はわざわざPCを立ち上げてからなので、だいぶ面倒でした。現代の子たちからは想像もつかないダルさだと思います)、デートの約束もしましたが、何せ初めての彼氏なので何をしていいかわからない!そこで、私はB君の元カノであるA子に、「付き合ってる時どんなことしてた?」と尋ね、それを実行したのです。どう考えても意味不明な行動ですよね。別れたということは、しっくりいかない何かがあったからなのに、別れたカップルがしていたことを聞いて、それをなぞって実行したのです。恋愛偏差値どころか普通に偏差値が低かった(笑)。ここでも自信のなさ炸裂です。自分で考えて、自分で決めて、失敗するのが怖かったのです。当然ですが、A子と私は容姿も性格も全く似ていないし、A子と付き合っていた頃のB君と私と付き合っているB君は同じだけど違うので、同じことをしてもうまくいかないことはわかりきっていました(どちらにしろA子とも別れたので、その時もうまくはいっていないのですが)。当然、私とB君はお別れすることになりました(3週間の命!)。B君は別れたくないと泣いてくれたようですが、恋愛偏差値底辺の私は、恋愛や『彼氏』に対して謎な理想だけはちゃんと持っていたので、泣いたとメールで伝えられても、「キモッ」と思うだけでした。B君ごめんなさい。

 そんなこんなで、学生時代の私は、容姿や変な理想や一般論だけ掲げ、自分の内面を磨く努力もせず、体裁だけにとらわれているクソ野郎でした。そんな中身ぺらっぺらの人間が1番になれるはずがありません。
 今は、1番なんてものは、『どこにも無いし、どこにでも有る』と思っています。1番なんて誰が決めてんの?という『無い』派の自分と、私が1番と思ったら1番だ!という『有る』派の自分を、いつでも都合よく使い分けられるようになりました。
「私の1番はクリープハイプだけど、旦那の1番は私でしょ」と、自分が幸せでいられるように『1番』を都合よく使っています。
 私の1番も、私が1番になりたい場所も、どこにでもあるわけじゃないんです。

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#エッセイ

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