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#36 16年前のインド旅行記を読んで 〜拝啓大学4年生のわたしへ

今日は大学4年生のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

大学4年生って何年前なのか、電卓を弾いたら、16年前だった。(わたしは暗算がことごとくできない・・・)

今朝、実家で、母から「こんなの出てきたよ〜」と手渡された紙を持って帰ってきた。
わたしは、大学生時代は国際学部国際政治経済学部に所属していて、大学2年生で東ティモール、大学4年生でインドに3週間行かせてもらっていた。

新卒当初は、世界情勢に対して関心を持って、自分なりに影響力を持つことを志していたものの、ずいぶんわたし自身の雰囲気は変わってきたものだ。
ただ、何か自分の中に「必死さ」はふだんから感じていて、潔さや、覚悟や悟りがちょっとある気は、自分自身でも感じている。

今日、16年ぶりに自分の文章を読んでみて、少しなるほどなと思うことがあった。

これは、小4〜大学4年生まで続けていたラボ・パーティという団体での活動で、英語劇やキャンプなどを通じて年代横断的な経験ができる場所だったんだけれど、その、神奈川県の大学生として年に3・4回出していた広報誌に出していたものだ。仲間に添削もしてもらっているから文章がかっこいいところがあるなと思った。長いけれど、当時感じたセンセーショナルなインドの風景も盛り込まれているのでぜひ。

中学生からあだ名は「すー子」でした

16年経ってこれを読むと。良くもまあ、インドを見下したものだと感じたり、上から目線な自分の立ち位置に嫌気も感じるのだけれど・・・
当時から素直に書いているので許してほしい。

当時のわたしが受け取っているものは、「逃げないこと」だ。
いかにもわたしっぽいいいようだと思って笑った。
生活が安定して、安心に生活ができることが当たり前になっていると、どうしても守りに入ると思う。その守りが欲しい守りであれば問題ないけれど、攻めるのが大変だから、辛いから守るということをあまりいいと思えていないわたしがいる。

それは、きっと、生い立ちだったり、大学生の時に痛いほど目の前で見せてもらった、自分の頭をぶっ叩かれるような衝撃的な現実を見せてもらったからなのかもしれない。

実際の今のインドは全然違うインドだろう。東ティモールだってそうだと思う。

大学4年生のわたしは、今のわたしをみてどう思うだろう。
それこそ、「逃げている」というだろう。だって、当時の世界平和に貢献するという目標や道に立っていないのだから。

ただ、わたしは大学4年生の自分に正々堂々ということができる。
わたし自身を幸せにできないわたしは、世界の平和に貢献はできない。
よっぽど、自分の幸せに向き合っているよ。よっぽど、嫌なことも見て、成長・変化しているよ。と。
そして、その姿勢は学生時代のわたし、あなたたちに作ってもらったと思っているよと。

直接的に、海外に関わる仕事をしていない今、当時の恩返しをできていないとも思う。でも同時に、与えてもらった強い想いを、わたしは別の形で向き合っていくし、いつか何かしらの形で還元していきたい。
いやぁ、本当にありがたい経験ばっかりさせてもらってんなぁ、学生のわたし!!全ての進路において、最高の選択をしてるなと思う。そして、先生方に360度恵まれていました。先生方、本当にありがとうございます。
もろもろ、ナイスアクションッ!!

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