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学歴づくり思考の変わり目はそろそろなのか

私はカナダで上の子2人をホームスクールしています。
ホームスクールをするようになってから、子どもたちの学びについてもっと考えるようになりました。

そこで、私が気づいたことを書いてみました。


日本人の読み書きレベルは高い

カナダで暮らしていると、日本人の読み書きはなかなか凄いなと感じます。

【1】読むことについては、
そもそも日本人の本、とくに漫画を読む量が半端ないです。

「漫画なんて勉強じゃない。」という人もいるかもしれませんが、
文字を読んで理解することを日常的に楽しみながらできるなんて最高な学習方法だと思います。

【2】書くことについては、
こうした『note』のようなプラットフォーム:誰でも気ままな日記からコラムそして小説までをオンライン上でシェアできる場が賑わっているなんてスゴイです。

海外(英語圏)でも個人のブログや会社がつくる情報サイトはありますが、日本では職種や立場に関係なく誰でも情報を投稿して共有できるようなプラットフォームが各分野で定着していますよね。
例:キナリノ など


中学生までの学習で基礎知識はほぼ十分

私たち日本人の読み書きの習慣は、日常の中に普通に溢れています。
しかも、何かしらの角度から楽しめるようにもなっています。

そこでさらに気づくことは、
中学生までの学習で、この読み書き:社会で日常的に使う知識:基礎知識はほぼ網羅できているということです。

もう基礎知識はそれで十分なのに、まだ高校や大学を目指して行くのは当たり前、という風潮に多くの人が囚われているのはなんだかもったいない気がします。

もっと面白い、楽しいと感じられることに時間を使った方が本人(子どももひとりの人間として)のためです。

若くしていられる時間だって限られています。
その若いからこその勢いや活力を生かして、自分の好きなことややりたいことに向かって取り組んでいってほしいです。

それを続けた先には、必ず何かに繋がるからです。

アラフォーの私の経験上、人生は不思議なもので、今やっていることが後になってから繋がることの連続だったと感じています。

そろそろ全体的な教育路線の変わり目が来てもいい頃ではないでしょうか。


目先の知識を暗記することは学びではない

数学を例にすると、微分・積分を使う職業にまず出会う可能性はとても低いですよね。

かく言う私は、両親に高い教育費を払ってもらって進学高校に通い、偏差値の高い大学を目指して勉強していた受験生でした。

でもアラフォーになった今は、良い大学に進学するために、将来使わないことを頑張って覚える意味は果たしてあるのかと疑問です。

人より少し良い大学に行ったからといって、そこにある価値には私たちが期待するほどの差がないのが現実ではないでしょうか。

若いときの貴重な時間を、その儚い価値のために、目先だけの知識を暗記したり、つらい受験勉強をして過ごすなんてもったいないです。

そもそも暗記もある種の能力で、得意な人とそうでない人がいます。
そのため、

  • 暗記能力が高いからといって、すべてにおいて優れているわけではなく、

  • 暗記能力が低いからといって、その他の能力や特技が低いわけではない

と言えます。

暗記が得意で、大学や大学院でしかできないことをやりたい人だけが目指したらいいのです。


日本人としてただ過ごしているだけで読み書きは日々向上する

まず日本の場合、日常的に使う読み書き:基礎知識は、中学生までの学習でほぼ十分ですよね。

近年ではTikTokやインスタグラムなどのショート動画系のSNSが世界中で爆発的に伸びました。
日本でももちろんです。それでも日本では、

  1. まだまだ漫画は根強いです。
    =文字を読んで理解力

  2. 『note』のような執筆参加型プラットフォームも支持されています。
    =文字を書いて表現力

繰り返しになりますが、こうした日本特有の背景もあって、
日本人の読み書きが保たれていると思います。

文字を読んで理解することさえできれば、いつでも、古いものから新しいものまでどんな情報も取り入れることができます。

だから、子どもたちには自信を持って、学歴づくりではなくて、どんどん自分の好きなことや、得意なことに向かって挑戦してほしいです。

私たちはカナダに住んでいるので、日本とはまた少し違った環境ではありますが、私と子どもたちは日本語を話し、理解します。
この日本特有の言葉、習慣や感覚を持てることを嬉しく思います。


Image by freepik

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