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しわよせはどこへゆく

昨夜つくったごはん。
夫が苦手な味で食べられなかったらしく「ごめん、苦手な味だった」と言って律儀に手を合わせつつお椀を遠ざけた。「あらあ、かなしいけどしかたないね」と思っていたら、娘がわたしの一瞬の悲しみを一瞬で察知して「お母さんがつくったのに」と泣いてしまう。愛しいやら申し訳ないやら。

夫は現在仕事で大疲弊中。いまとても忙しいのだ。今回食べられなかったのもそのせいかもしれない。全身から負のオーラを出している。でも、おうちで放出せずどこで出すというのかと思う。よく心の病にもならずここまで乗り切れているものだ。なんとか生存してほしい。

それでも娘は娘で一週間頑張っていて、お父さんに聞いてほしい話も多い。彼の全身からの負のオーラを感じ取り、言いたいことを言えずにいた。そのうえ今日の夕ご飯をお母さんがわりとがんばってつくったことをそばで見ていてしってるゆえ、遠ざけられたお椀を見て彼女の目から涙がこぼれてしまう。

私の反省は夕ご飯をがんばって作っちゃったことだ。ホントは疲れてるのに無理してしまった。すごい楽してのらくらしてたら、娘も「楽してるしいっか」くらいに思えたはずだ。もしくはわたしが頑張ってつくってる間、聞いてほしい話がたくさんあったのかもしれない。ふーむ、できあいのごはんを買ってしまえばよかったなあと思いながら、抱きついてきた彼女をぎゅっとする。

ご飯が食べ終わり、ちょっとだけ夫から離れて洗面台に向かいドライヤーで娘の髪をかわかす。娘はあたたかな風で頭を撫ぜられ、調子を取り戻していく。今日学校で教わったことわざを意気揚々と話していた。すると、夫が「ちょっと散歩してくる」といって、外に出ていった。散歩で精神を整えに行くのだ。こういうときはひとりになって体を動かすのがいい。いっしょにいるのはときに正解じゃないことがある。彼は賢く、人をむやみに傷つけない。死なないでねと心の中で祈りながら送り出す。

夫が出ていったあと、娘が鏡越しに目を合わせて「おとうさんしんどそうやな。心配やな。」とわたしにいう。「そうだね。いまお仕事忙しくてね、3月まではこんなかんじかも」と返す。「〇〇(娘の名前)も、一週間がんばったね。」と言うと、また彼女の目に涙が溜まってしまう。あちゃ。

しずかな距離。しんどさの放出。それぞれの背景。こんなに小さな家族のなかにも、いろんなことがある。なるべく楽をして過ごそう。いろんな無理はしわよせがいく。しわよせの行く先は、こういう一番小さな単位のコミュニティや一番大切なひとのところだ。最終的にはこどものような、選択肢やネットワークや機会がすくない人のところに行くのかもしれない。

社会の縮図のような、いち家庭。半径1メートルから平和をつくりたい。

※追記:この文章だけに出会うと夫が悪いみたいに見えるけど、疲れてるだけで彼は一切わるくないです。食べられないものだってあるし。彼はふだん全体の家事育児の5-6割はこなしていて、PTA的な役職もやっていて、ちゃんと家庭にコミットしてるひとです。でも人間だからこういう日もあるんです。散歩もよいことです。自分で自分の回復方法をしってる人は安心感があります。でもやっぱり娘はひとりで夜中に散歩はできないし、自分で自分を回復する方法はたくさん試せていないし、なんでも話せる人は少ない。そういうひとにしわよせがいくし、それが社会の縮図だなって、思うのです。

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