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食べる瞑想「Zen Eating」と言う考え方

メールを読んでいると、いろんな人が居るんだなー、なんて考えるのだが、驚いたのが食べる瞑想「Zen Eating」

食べるのが瞑想?????

頭が迷走している、だって食べるのが瞑想になるなら、みーんな瞑想してるって事になるよね。

だけど読んでいくと、そんなに簡単な考え方じゃ無いらしい、何事も簡単には行かないのですね。

食べるのは身体を整えたり、命を繋ぐための行為、必然が有って食べている、これはそうじゃ無くて体や心に根差した食をする。

それが生きる喜びを感じる物で、瞑想に繋がる様です、栄養補給じゃない食べ方が瞑想になる考え方らしいですよ。

私は小さい頃食が細くて、弟よりも食べ物が食べられなかった、(弟が大食漢と言うのもある)小学校入学時は、ランドセルが重くて後ろ向きにひっくり返りそうになった。

我が母はこれは食べさせなければならないと考えた様、完食するまで食卓に釘付けになっていた。

その頃は嫌いな物も多くて、完食するには随分時間が掛かったのを覚えている。

完全に栄養補給のための食事だった、子供心にそれは愉しくないよね、食事って嫌だなと思って居た。

高校生の時には太り気味になったのだから、しなくても良い努力だったんじゃないかな。

食べる瞑想は、食=栄養を取るというのではない、食べるのは整える行為との考え方になる。

Zen Eatingでは4つの所作を提案している。

①場を整える

食事の場所を整えて、頂くのに集中する、出来る限り食に集中して他を考えない。

②五感を活用する

見て、香りを確かめ、舌触り、噛む音、味を見るなど、自分の持てる感覚を総動員する。

③お腹の声を聞く

情報や時間、義務として食べるのを止めて、自分のお腹に正直になって食べる。

④命の繋がりを意識する

食べるのは命を頂く事、大きな循環の中で自分が生かされているのを意識して食べる。

これを行うと、自分が大事だと感じられるようになったという人が、出てきたらしいですよ。

良いな~この考え方、自分のお腹に合わせて食べる、生きているのを認識して、命を頂いているのを認識する。

頂きますと手を合わせる行為に賛否が有って、それは宗教的だから学校で止めさせた方が良いとおい意見を聞いたことが有る。

でもこの食べる瞑想「Zen Eating」だと違う考えになる。

自分の気持ちを整える、心と気持ちを体に合わせ、人生の悦びを感じる為に、手を合わせるのなら、それは良いのじゃ無いのかな。

人は命を頂かなければ生きていけない、だからこそ感謝する、だからこそ自分を大事にしていかなければならないのだ。

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