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【小説】普通の生活

「俺はな、普通の生活がして欲しいのや。」酒に酔った父はいつもこう言った。

「普通って何?普通が解らんのだけど?」聞き返すと。

「普通と言ったら普通や、解るやろ、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供が出来て、そう云う普通や。」酔ってる時には大声になる。

机の上には夕ご飯に父親にだけ、お酒とおつまみのお揚げさんを焼いてしょうゆを付けただけのものが並んでいる。

「お父さん、酔っぱらい過ぎや。」母は父に意見はしない、こんな時の父には何を言っても無駄だと解っているのだ。

かしっ、かしっ、前歯を使って炙った揚げを齧っては酒を飲む、一緒に夕食を食べる時には、父にだけおつまみが余分だ。

そのおつまみを父は当たりまえの様に、かしっと齧っては酒を飲んでいる。

酒を飲むといつもは無口な父も雄弁になって、そこで一方的な話をする、自分の意見は正しいのだと。

私は普通が何かは解っていない、恋愛しても結婚できない場合もある、結婚しても子供が出来ない場合もある。

大体が恋愛なんて何だか解らない、単なる思い込みだったり、幻なのかもしれないじゃないか。

「私もな、早く結婚してほしいわ、女の子は早く片付けやんと。」母も参戦してくる。

母にとって女の私は片付ける対象なのだ、片付けって人間に使うものだったっけとは思うが、母にはその違和感が無いのだろう。


短大に通っている時期、母の勧める人とお見合いをした。

いい人そうに見えた、けれどそれまで父と叔父くらいしか、男の人と話したことも無い、これで良いのかとの思いもあって、返事はちょっと躊躇していた。

「あちらさんは30に成っとるで、早く決めて欲しいみたいやから。」母は結婚しろとは言わない、何処がいけないのかを言えという。

イライラするのは自分の思い道理に事が運ばないからなのだろう、私は自分がゴミ屑になった気持ちだった。

「どんな人か解らへんから。」自信なさそうに言ってみる、結婚なんてまだまだ先だと思っていたから。

「お前が嫌なら結婚なんかせんでええぞ、未だ20歳や今決める事は無い。」酒に酔うと、普通に生きろと言った父が気持ちを分かってくれる。

「何いっとんの、女は若いうちや、はよ結婚せな、行き遅れてしまうが。」母は強制はしないが、自分を動かそうとしてくる。


私は20歳で結婚して子供も産んだ、父の言うところの普通の人生だ、穏やかでは無かったが生活できていた。


50を過ぎて、子供が成人すると、自分の生きてきた場所が理解できなくなった。

60手前で離婚した、父がして欲しかった結婚、出産、子育てを経て、やっと私のための普通の人生を手に入れた。

結婚して、子供を産んで、子育てして、そして夫と別れて一人を手に入れる、それが私の普通の人生だった。




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