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うまくいけば嬉しい、しくじれば悲しい。カジノで働いて1年目の備忘録。

日本で人に会う時、「アメリカで働いている」というと100発98中「頑張ってるね」とか「英語使って働いてるんだね!」とか、優しい労いの言葉をいただく。だが、「アメリカで働く」といっても、スーパーのレジからIT企業の億万長者まで千差万別、英語を話さなくったってできる仕事は山ほどあるし、「日本で働く」と「アメリカで働く」の違いはそんなに大きくないと個人的には思っている。頑張って働いている人は、どこの国でもすごいし、えらい。肩書きによって価値を決められるものでもない。

もちろん、マリファナの匂いがぷんぷんする街で働くとか、急に100ドルのチップがもらえるとか、世界的セレブが突如やってくるとか、環境的な違いは大いにある。あとは、日本はサービス残業などチームのために自分の身をちょっと削る文化が無言の了承としてあるけど、アメリカは残業をしたらむしろ仕事ができない人に思われるから、定時の15分前くらいから帰る支度をして、定時にはさっさと帰宅するのがベーシックとか、そういう慣習的な部分でも小さな違いは星の数ほどあると思う。

でも結局のところ、働くとは社会に価値を提供する「人間の営み」であるわけだから、そこに人間ドラマがあるのには変わらないし、うまくいけば嬉しい、しくじれば悲しい、そういう基本はむしろ変わらないよな、と思う今日この頃なのである。

こういうことをつらつら書いておこうと思ったわけは、私の働く会社ごとカジノから契約を打ち切られるという、要は会社ごとクビ!宣言を受けたからである(私はカジノと契約を結んでいるフラワーデザイン会社でフラワーデザイナーとして働いている)。カジノで花を作り始めてもうすぐ1年になろうとしているが、いままでチームで春夏秋冬、たくさんの花を生けて、生けて、生けてきた。そこで突然の、会社ごと切られる宣言。昨年末からさまざまな点で予算削減が行われ、カジノの経営が芳しくないのは感じていたが、予期せぬ事態に「おっとっと!」と驚き、たじろいでしまった。私のアメリカでのキャリア、順風満帆に行くかと思ったらそうは問屋が許さない。仕事に限らず、人生に山あり谷ありなのもまた、どの国で暮らしていようが変わらないのだとつくづく思った。

そんな重大発表をされても契約終了まで今まで通り働かなければいけないので、気を取り直して花を作っていたのだが、顔に出ていたのだろうか、花を生けた花瓶をカートに入れて運んでいたら、顔見知りのバトラー(VIPゲストの執事のような仕事をする人)に「Keep Smiling!(笑顔、笑顔!)」とど突かれた。思わず笑ってしまう。人の顔を見て、ぴったりな言葉をかけてくれる人って、本当に素敵だよな、と思う。そうそう、この1年、カジノで働いて学んだのはフラワーアレンジだけじゃない、そういう人の機敏なコミュニケーションの在り方だった。ホテルの一室一室をきれいにしていくサービスチームの人たちは、ほぼ100%移民のチームだと言っていい。英語が得意じゃない人もたくさんいて、だからこそ、お互いの辛酸を知っているというか、思いやりのある言葉、目線を与え合える人が多かった。「今日は元気?」「頑張りすぎないで!」そういう一言をかけ合える人がいる、それだけでちょっと頑張れることを体験できてよかったな…

そんなことを思いながら歩いていたら、重かったカートがいきなり軽くなった。後ろを振り向くと、今度はクリーニングチームの一人がニコニコしながら私のカートを後ろから押してくれていたのだった。自分もゴミがたくさん入った重いカートを持っているのにもかかわらず。

私が「え!?」と言う顔をしていたからだろうか、「ずっと下向いて疲れてそうだったから」といたずらに笑った。名前も知らない若いメキシカンの男の子だったけれど、向かう方向が異なる別れ際に「Keep your chin up!(前向きな!)」と手を振ってくれた。バトラーや、メキシカンの男の子に化けたいたずらな神様が「こんなことで落ち込みなさんな!」と言ってくれているような気がした。

あるポットキャストで「10年前に思い描けた夢の中を生きるより、10年前に想像だにしなかった今を生きている方が面白くないか」というフレーズを耳にした。そうだな、私も10年前はまさか自分がラスベガスのカジノで花を作っているなんて想像だにしなかった。そして1年も経たずに会社ごとクビという未来もまた、夢にも見なかった。そんな今を、さまざまな人に助けられながら生きていることが、ちょっと間抜けで面白くて、同時にとてもありがたいことだなと思う。30代も後半なのに思い描いていた大人にはなっていない、仕事も失敗ばかり。それでも、時々、もう全部投げ出して逃げたいと思う時に、人混みの中で小さな神様に出会うような経験をする。どちらかといえば私の勝手な思い込みなのだろうが、でもその小さな、そっと背中を押してくれる出来事が、高校受験の時に握りしめた、母がくれた溶けたキットカットのような存在になってくれている。

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