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母は今年の1月で

「そう。よかったね。だったら、あなたしか書けないもの、書かなくちゃだよ」

母が笑顔で、生き生きと語る。私は、ゼロになった。何も浮かばない──

☆☆☆

こんにちは。フジミドリです。今日は母の日ですね。私物語ミーナラティブで思い出を書きます。

私物語は造語ぞうごです。小説のような随筆エッセイのような。どちらでもある。どちらでもない。

道術家どうじゅつかの私は種観霊シュミレイするのです。人間の目を通してではなく、霊魂たましいがどう観るか。お読み頂ければ嬉しく思います。

☆☆☆

当時の私は、追い立てられていた。経済的な苦境くきょう、仕事の行き詰まり、そして人間関係。

悩み苦しんだすえに、自力ではもう、乗り越えない、そう観念していた──

今こうして振り返ると、記憶がらめいて、本当にあった事とは思えない。何をそんなに悩んでいたのだろう。

☆☆☆

母と会う。投げ出したい人生でも、母の顔を見て声が聞けたら、力はきそうだ。

その頃、母の物忘れはひどくなっており、同じ話を繰り返すことも多かった。

顔つきが、どこかぼんやりしている。向かい合って話しても、あいだに曇りガラス一枚、へだてられる印象ようだった。

☆☆☆

物書ものかきになりたいんだ。
私は、言葉に出した。

どうしてそう言ったのか。話の流れが思い出せない。苦境に立つ中年男の台詞セリフとしては、なんとも青臭あおくさく感じてしまう。

しかし──

途端とたんに母は、パッと花の咲いたような笑顔。私がよく知っている、あの笑顔に戻った。

☆☆☆

「そう。よかったね。だったら、あなたしか書けないもの、書かなくちゃだよ」

母の声は溌溂ハツラツとして響く。薄暗うすぐら湿しめった現在いまの中へ、明るく晴れやかな過去むかしが飛び込んで来た。目を細め、白い歯の並ぶ笑顔。

よかったねと繰り返す。

その日は、私が帰るまでずっと、母は上機嫌ウキウキだった。伝播でんぱしたように、こちらまでが高揚ワクワクしてくる。久しぶりの感覚だった。

☆☆☆

新橋しんばし駅で東海道線を持つ。横浜よこはまへ20分ちょっと。昼下がりのホームは人もまばらだ。

月に一度、父母のいえへ顔を出す。

塾講師の仕事は、生徒が学校を終える夕刻ゆうがたに始まる。出勤前に会うのがつねだった。

今日は父が不在いない。近くに住む馬仲間と麻雀卓を囲む。口論言い合いにならずホッとする。

不惑ふわくも過ぎてなお、先行きの定まらない息子を案ずるがゆえ、父は詰問調キツい言葉になるのだ。

☆☆☆

ホームでたたずみ、鈍く光る線路や立ち並ぶ高層ビル、走り去る新幹線の車体をながめながら、ぼんやりする。体の輪郭りんかくが薄らぐ。

私は私でなくなる。体と外界を隔てる境界線がぼやけ、意識は周囲まわりへ溶けていく。

母の笑顔で、私に充溢じゅういつしていた苦悩は浄化じょうかされた。体のしんから溌溂とする生命いのちの流れが、波紋はもんのように響いてきた。

☆☆☆


オレは何者だれなのだ。
ここで何をしている。
あなたしか書けないもの?


☆☆☆

どうして母は、あんな風に生き生きとしたのだろう。まるで、私の言葉を待ち構えていたような雰囲気ふんいきさえあった。

やっと言えたね。
よかったわ。
それでいいの。

私が発した言葉は、場違いな印象であるし、母の変わりよう唐突とうとつに感じてしまう。

けれど、母は満ち足りた様子。私もまた高揚こうようした。目の前に立ちそびえる大きな壁も、飛び越えてしまいそうな躍動感。

☆☆☆

今こうして、私は書いている。

文章が上手うまいか下手へたか。感動的か然程さほどでもないか。人気はあるかないか。売れるかいなか。

私には、どちらでもよいことだ。あなたしか書けないもの、であれば──

☆☆☆

今こうして、私は書いている。

少し眠り、母に逢った。夢としては思い出せないが、逢えた感覚は確かに残っている。

母さんの言うように書けているかな。私の問いに母が答える。あなたの好きでいいのよ。

☆☆☆

不意に情景きおくが浮かんでくる。まだ小学校へ進む前。二間ふたま平屋ひらやで貧しい暮らし。

母が台に腰掛こしかけて、本を読んでいた。

大きな木板もくばんち台で、普段いつもなら母は、その前へ正座して内職の服を縫うのだ。

夜には、勤め帰りの女性せいとが訪れ、縁側えんがわから台の前へ座る。母に洋裁を習っていた。

二間6・3畳に親子四人が住む。み取り式の便所トイレ。風呂はない。自転車で銭湯せんとうへ通った。

二段ベッドに私と妹が眠る。机は一つ。あたし、宿題するの、お兄ちゃんどいて。そんな暮らし。でも、笑顔があった。

☆☆☆

家事かじの合間に、台へ腰掛け、好きな本を読む母。真摯しんし眼差まなざしに、私は見入っていた。

「どうしたの。何かある?」

気づいた母が問う。私は首を振る。用があっても、黙っていなければと感じたのだ。

「それなら、ちょっとゴメンね。お母さん、本を読んでいるところなの」

☆☆☆

それから、私は本を読むようになった。記憶が次々と浮かんでくる。

自転車で通う図書館。1階で区切られた子供向けの本棚。階段をのぼって薄暗い2階へ。

脈略つながりもなく、母との思い出が、浮かんでは消える。一つひとつ、辿たどって味わう。

☆☆☆

ふと思う。こうした話を情緒じょうちょ豊かに描けば、心揺さぶられる人があるかもしれない。

あなたしか書けないもの。

けれども、思いつきはスッと消える。一つの話に、背景が連綿れんめんと続くのだ。書き出せば、めどなくあふれてしまう。

読み手を置き去りにして──

☆☆☆

父や妹も同じことだ。

短い描写だけでは、くちうるさい父、めた性格の妹、そう読まれるかもしれない。

父や妹と、様々な交流がある。私にとっての二人を、正確に描くなど至難しなんわざだ。

書き尽くせはしない。そう思いいたった途端、記憶の情景は薄らいでいく。

☆☆☆

「私はね、本当に好きな人の子供を産みたいと思ったの。だから今、幸せなのよ」

どういう流れで、この話になったのか。

前後が思い出せない。ただ母は、望まれた生い立ちでなかったことを淡々と語る。

☆☆☆

あんたさえ産まれなければ、離婚したのに。幼い頃に、そう言われたようだ。

どんな思いで育ったことか──

しかし、この逸話エピソードも、背景を語り尽くせば、全体の印象が変わってくるだろう。

実際、祖母は離婚した。女手おんなで一つ、人生を切り拓く。子供三人、母と弟妹ていまいは引き取って、あの時代に大学まで出させたのだ。

☆☆☆

祖母が他界する前、入院先へ、母は足しげく通っていた。祖母も母と暮らしたがる。

「いっつも忙しい人でね。ゆっくり話す時間がなかったのよ。ちょうどよかったわ」

男勝おとこまさりの性格だが、祖母なりに私を可愛かわいがってくれた。命日は私の誕生日でもある。

☆☆☆

母は今年の1月で、89歳を迎えた。
入院先のベッドに寝たきりだ。

私が、同じ病院に父を見舞みまったのは、去年の春、まだワクチン接種の制限しばりがなかった。

面会は、危篤きとくの父だけが許可ゆるされたけれど、こっそり隣の病室ものぞく。

母は眠っていた。

☆☆☆

思い返す母との交流日々。生き生きとした笑顔。真摯な眼差し。淡々と語る声。眠る姿。其々ぞれぞれが独立して私を包む。

不連続なのだ。

私は同じ一人の母を見るが、霊魂たましいはそう観ていない。場面ごとに別の母として観る。

☆☆☆

母の気遣きづかいを重く感じ、うとましい。物事のとらえ方がズレる。見解いけん相違ちがい苛立いらだつ。

そんな時もあった。

あの折々の、其々が母であり、私であった。不連続なのだ。統一しなくてよい。

好きで嫌いで、愛して憎んで、笑って泣く。それでよい。そのままでよいのだ。

☆☆☆

ある情景きおくが浮かぶ。団地の一室である。

私が中学に進む年、一家は3DKの団地へ引っ越した。トイレが水洗で風呂もある。

高度経済成長期の終焉しゅうえん石油危機1973年。団地の商店街で、スーパーからは長蛇ちょうだの列が並んだ。トイレットペーパーがなくなると風評デマ

そんな時代だ。

母は、相変わらず裁ち台で服を縫う。ラジオから流れる曲を聞きながら。

ふすま一枚、隣の部屋で、私は机に広げた本から顔を上げると、曲の世界へ浸った。

☆☆☆

母をおもうただった。

貧しい暮らしで揶揄やゆされて、泣きながら逃げ帰ったけれど、働く母の姿に心を打たれて、学校へ戻っていく少年。

後年こうねん技術者エンジニアとなった少年は、苦労の果てに亡くなった母を思い出す──そんな曲だ。

私は感銘かんめいを受けていた。生きていくことの、深い領域に触れる心持ちになった。

聞きながら、母は何を思ったろう。

☆☆☆

あなたしか書けないもの。
いまだ、手探りでいる。

64歳。来年から年金暮らしを考える。これから、古希こきを超えてもなお、続ける仕事は、あるだろうか。不安がただよう。

でも、決まってるんだよ──

そうささやけば、スッとしずまる。肉体からだはそのままにして、意識ほんらいの自分へ広がっていく。

☆☆☆

私は、此方こちらの世界にりながらも、幽界人ゆうかいじんとして思いの中で生きているのだ。

そして、さらに意識を研ぎ澄ませば、今ここで私は霊界人れいかいじんとなる。

ついには神界人しんかいじん
ただ光り輝くばかり──

本来の私は、四つの世界を、自由自在に行き来できるのだ。そうか。そうだった。

☆☆☆

人生は決まっている。

前世ぜんせの理解を元に、自分の霊魂たましいが組み込んだ人生である。怖れる必要ことは何もない。

自分しか書けないもの。死ぬまで続けられる仕事。ああそうか。そういうことだ。

私の仕事は、意識の使い手!

☆☆☆

これなら、何歳いくつになっても仕事ができよう。例えば、寝たきりとしても。

意識とは生命いのち異名いみょう──

今ここに在る。意識を使ったから。意識は自由自在。何でも可能できる何処どこへでも行く。

そして私は生まれた。
母の息子として。

あなたしか書けないもの。こうして母を語ること。母の息子は、私だから。

母さん、ありがとう。



イラストは朔川揺さん💝


☆☆☆

誰しも母から生まれます。

この世に誕生する。これ以上の奇跡かみわざはございません。生まれるだけで成就じょうじゅなのです。

次回、5月15日午後3時。
連載は残り6回となりました。

明日の午後6時。西遊記で創作過程をお届けです。作中にえがいた曲、ご紹介致します。


ではまた💚



ありがとうございます🎊