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村上春樹でさえ「自分に取材」しているという話

数日前から、村上春樹さんの新作『騎士団長殺し』を読んでいる。もうすぐ第1部の「顕われるイデア編」が終わるところだ。今作、かなりおもしろいと思う。

主人公は36歳の画家で、妻との関係がうまくいっていない。テーマのひとつは、クリエイターのミドルエイジクライシスだ(平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』も、40歳目前の音楽家が主人公だ。そういう時代なんだろう)。

この作品には、著者が「自分に取材」して書いているんだろうなと思える場面が、たくさん出てくる。主人公は、自宅で簡単な昼食を作って食べる、コーヒーを入れる、ソファーで軽く昼寝をする。6年間の空白期間を終えて、自分の作品をつくろうとして苦労するシーンだって、もしかしたら自分の心境を重ねているのかもしれない。

第1部でぼくが特におもしろいと思ったのは、主人公が絵を描く過程だ。白いキャンバスの前でしばらくぼんやりする(キャンバス禅と表現している)。着想を得たあとは、大枠を木炭で描く。ある程度で切り上げて1日寝かせ、翌日に修正する。またその次の日に、絵の具をのせていく。ちょっとはなれて眺めてみる。

こんな感じだ。なるほどプロの画家はこうやって描くのかと思えてくるし、それだけでなく、なぜかこのシーン、スリルさえ感じるほどおもしろいのだ。どうして著者はこんな文章を書けるかというと、これは、村上さんがいつも文章を書く上でやってること、そのものだからだろう。こんなふうにして着想を得て、うまくいくかわからないまま、ドキドキしながらすすめて、あとからやっぱり直したり、コーヒーをいれたり、昼寝をしたり、また書いたり。それをずっとやっているのだ(文字通り、何十年も)。

だからこんなふうに、とてもおもしろい文章になる。ものづくりをする上で、「自分に取材をする」というのはすごく大事なことなのだと思う。

最近、普通に仕事をするときにもそうだし、もっというと、幸福に生きるためにも「自分に取材」というのは大事なんだよなとよく考えていた。そうしたら、村上さんの文章を読んで、自分に取材しまくっていることがわかってうれしくなったという話でした。手帳とかブログがいいのも、だからだよね。

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