言葉が凶器にならぬこと願う〜形なきネット世論の時代で
ドラマ「3年A組」、ついに迎えた最終回を視聴。ボロボロ涙がこぼれた。
あらぬ疑いで誹謗中傷に苦しんだ結果、自ら命を絶ってしまった少女・影山。3年A組の担任・柊が「最後の授業」を通して、影山の死の真相に迫る物語。
※以下ネタバレあり。
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以下ネタバレあり(このくらい繰り返し書かないとサムネイルにラストが表示されてしまう…)
最終回では、最後の力を振り絞って「影山を殺したのは「SNS」だ」と伝える柊。その最中も、SNSで柊への誹謗中傷の言葉が浴びせられる。
形なきネット世論
今回のドラマを見ていて、改めて思った。
世論には、形がない。
ぐにゃぐにゃと形を変えて、アメーバのようにまとわりついて誰かを苦しめることもあれば、風のように誰かの活躍のあと押しになることもある。
一人ひとりの発言には「個」があったはずなのに、「世論」になったとたん人格が失われる。個々人がどう考えているのかわからぬまま、拡散、拡散、拡散されていく。
言葉が凶器になる時代だから
今回の「3年A組」の影山も、SNSでの誹謗中傷を苦に自ら命をたったのだった。これはドラマだったけど、現実でも毎日毎日、誹謗中傷や炎上が繰り返されている。
SNSがない時代であれば、週刊誌でスキャンダルが撮られた芸能人の悪口をご近所さんと噂しても本人には届かなかった。それに、自分たちとは関係のない芸能人の悪口なんて話題として一日持てばいいほうだろう。小さい悪口の泡がポコッと生まれて、そのままシャボン玉のように消えていった。
だが、今は違う。叩こうと思えば、悪意を持った者同士でいくらでも叩き会える。自分たちとは関係のない人物であっても、対象者に悪意を持った者同士であればどんどん盛り上がりエスカレートしていく。そして、その言葉たちはシャボン玉のように消えることはなく、ネット上に刻まれ残される。そして罵詈雑言が「世論」とされ、報じられ、さらに炎上が加速する。
私たちは自覚を持たなくちゃいけない。
自分の発信した言葉が、凶器になるかもしれないということを。自分の言葉が大きな大きな凶器の、刃の一端になっているかもしれないということを。正直に思ったことをそのまま発しただけ、というのが許されないことを。ときには正しさを振りかざしたときの言葉でさえ、誰かを突き刺すかもしれないということを。
SNSがある時代の形なきネット世論に、人間が飲み込まれるのは悲しすぎるから。これからもっともっと、ネット世論のちからが強くなっていくだろう時代だから。自分の言葉が凶器を生み出さないように、胸に刻んでおきたい。
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