「帰宅部」という言葉を広めたのは中居正広?説

「バツイチ」は明石家さんま、「最初はグー」は志村けんなど、言葉や事象の出自や由来はしばしば注目される。そこで私も、自身の記憶の精度を確かめるべく、1つの説を唱えたい。

「帰宅部」の生まれた時期

「帰宅部」という言葉についてWikipediaで調べてみると、まず【俗語】とある。つまり、「用いられているものの標準語ではないとみなされる口語表現。文章語に対して日常語を意味するようになった。」という説明の通り、公的な表現ではなく、あくまで生活の中で出てきた表現(言い回し)で、正式な言葉ではないということになる。

続いて、「帰宅部」という言葉が誕生した時期についての項目を見てみると、

1980年代後半から使用例(山岸駿介 (1986年9月11日). “高校新聞様変わり 「怒り」古びて「優しさ」 「反戦」は健在” (日本語). 朝日新聞(東京夕刊、らうんじ))が見られ、読売新聞の解説記事(吉川正義 (1986年12月31日). “流行語でつづる「'86プッツン回顧」(解説)” (日本語). 読売新聞(東京朝刊) (読売新聞社))では1986年昭和61年)における流行語の一つとして「帰宅部」を挙げている。また、1996年(平成8年)の産経新聞(日刊じゅく〜る 338号 様変わりする中・高部活事情” (日本語). 産経新聞(東京夕刊、塾2面) (産業経済新聞社): p. 6. (1996年8月20日))の記事では「『帰宅部』は死語になった」とも報じられている。

Wikipedia

とあり、少なくとも1986年には確認され、96年にはもう「死語」と言われている。

第2次「帰宅部」拡散の瞬間

ではなぜ、令和の現代にも「帰宅部」という言葉は存在・流行し続けるのか?そこで私はタイトルの説を唱えたい。

90年代後半、フジテレビ系列で『中居正広のボクらはみんな生きている』というバラエティー番組が放送されていた。

Wikipediaによると、その第2期(『サタスマ』内 1998年10月31日~1999年3月20日まで放送)の『中居正広のボク生きII』で行われた、「様々な境界線を見定める「境界線クイズ」(人やモノが横一列に並べられる)」の、「本物の女子高生と小学生・成年女性との境界線」を当てる企画があったとある。

そしてここから私個人の記憶の話になるのだが、その「境界線クイズ」で、司会の中居正広氏を介して、パネラーが”推定女子高生”に「部活はなんですか?」と質問した。その時の少女が「帰宅部です」と答えたのだが、あまりなじみのない言葉だったようで、一瞬、スタジオ中が「?」となったのを記憶している。
そして少なくとも、当時小学5年生の(もちろん部活をやっていない、そして兄・姉がいない)私は「帰宅部」という言葉を認識したのを覚えている。

部活動とは無縁の小学生がたまたま知らなかった可能性は高い。
また、もしかしたら少女の声がスタジオでは小さくて届かなかった可能性もある。

自分で説を掲げ、スターの名前を勝手に使い(中居氏はその場にいたに過ぎない、また、番組で毎週連呼したり、中居氏の口からもほぼ発されていない)ながらも、私はこの説を信じたい。
あまりにあやふやな根拠かもしれないが、この番組以外で、そして以前に、「帰宅部」という言葉を聞いた覚えがない(中高生を取り扱っている事も少なかった)。
また、インターネットが一般的に普及されていない90年代後半は、テレビが圧倒的な情報源だった。おそらくこの当時の番組の視聴率も15%~23%ぐらいはあったと見積もれる。
であるならば、スマホを持たず、塾通いもそこまで多くない時代(特に地方)の子供たちの間で広まった可能性は高いのではないだろうか。


この説に賛同いただける方は「スキ」を、
この説を覆す、別の根拠を御存知の方は、コメントでご一報ください。

※ タイトルには”釣り”の意味が多々含まれるかもしれませんが、中居氏の圧倒的人気、個人で持っている視聴率が世間への伝播を加速させたことは想像に難くありません。

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