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映画『パーフェクト・デイズ』


話題のヴィム・ヴェンダース監督映画『パーフェクト・デイズ』を観てきました。

主人公の役所広司扮するトイレ清掃員平山は、仕事の合間に毎日木漏れ日の写真をフィルムカメラで撮影するという趣味を持っていて、気に入った写真を年代別にコレクションしています。

その平山がシャッターを切った瞬間、木漏れ日に向かって一礼するのを見たとき、私は思わずあっと映画館の中で叫びそうになりました。

昔、これと同じ感覚を持った人がすぐ身近にいたからです。

その人はベンチの隣で、木漏れ日を見上げながら私に向かって言いました。

「あいつらにはかなわねえよなあ」

あいつらって誰ですかと聞くと、その人は木漏れ日を指差し、あいつらひとつも同じ瞬間がないんだ、そんなの、人間がどう頑張ったってかなうわけないじゃないかと。

ヴィム・ヴェンダースとジム・ジャームッシュとダニエル・シュミットを若かりしヒヨコの私に教えてくれたその人は作曲家で、特に格好つけるわけでもなく、本当に残念そうでした。

そんな感覚は一度も持ったことがなかった私は本当に驚いて、この人、住む世界が違っている、そう感じたのを覚えてます。

違うといっても善悪ではなく、そういう意味ではこの映画に悪い人はひとりも出てきません。
明らかに富裕層の人間である平山の妹にしても、人としての情を持つごく普通の人間です。

でもあえてその違いを言えば、それは作中に出てくる田中泯扮するホームレスの姿を認識しているかしてないかではないでしょうか。

平山は街で彼を見るとつい目で追ってしまいますが、妹の方はたぶん目に映ってても見えていないと思うのです。
そしておそらくこの映画に共感するのは、ある種聖者のようにも見える田中泯の姿が間違いなく「見えている」側の人間です。

そんなことを考えていたら、ちょうどそのとき、映画のスクリーンの中で平山が同じことを言いました。

「同じ世界にいるようでも、僕らは住んでいる世界が違うんだ」


のどに刺さった小骨のように、長年心に引っかかっていたなにかがとれた瞬間でした。

気づくと私は暗い映画館の中でぼろぼろと泣いていました。
悲しい涙ではないんです。ああそうだったのか、そうだったのか、という、妙な納得の涙です。

あれはたしか能の創始者、世阿弥の言葉だったと思うのですが。

芸能とは人の「想い」を凝縮したものであり、
その「想い」は見た者の心中の何かを解凍するものであると。

何かを見て具体的な理由がわからないまま心動かされるときというのは、心の中のなにかが解凍されているときなのかも知れません。

そういう、心の中の何かを丁寧にレンチンしてくれる映画でした。

ほとぼりが冷めないうちにまた観に行こうと思ってます。

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