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謎の人

その人は生きている間ずっと私にとって謎の人で、とうとう最後まで何考えてるのかわからないまま死なれてしまって、でも残された身としてはモヤモヤが澱みたくたまったままだったから、その答えを知りたくてその人のことを書く、ときがあります。

今、まさにそういう作業のまっ最中。

生前ニコニコ笑うばかりで決して本音を吐かなかったその人は、死してなお相当手強く、書いても書いてもコートの上からカサブタを掻くような歯痒さが消えません。
でもはい書きますとお返事して取りかかったものは仕方ないから、何かの拍子になんか降りてこないかなー、などといちるの望みを抱きながら、なかば廃人のようにダラダラしながら悶々とする日々が続いていました。

こういうときの現状打破のコツは、決して脳を動かさないこと。
なぜなら、脳内で思考が働き出すとロクなものが出てこないから。
それよりは目の前のささいなことに全集中した方が100倍マシ。
忙しい時に限って掃除したくなったり、映画見たくなったりするアレです。

だから昨日もおもいきって師匠のお芝居を観にいったのですが、その間、まったく関係ないシーンでふいにその人の本音が聞こえてきました。

え、そんなこと考えてたの?
意外だったのでちょっと驚きました。

今の私ならもうちょっと精度のよい解析ができたかもしれないけど、あの頃、本当にその人が何を考えてるのかちっともわからなくて、あまりにも立派なその人をただのひとりの人間として見ることができなかった。

でも、その人をひとりの人間として、いいも悪いも描ききること。
正解じゃないかもしれないけど、私なりに「もしかしてこうだったの?」というひとつの問いを投げかけること。
今ならできるかもしれない、そう思ったから書き始めたのかもしれません。

でも私もあれから本当にいろんなことがあったので、今なら少しは芯に迫ったものを書けるかもしれない。
そんな淡い期待でも抱かなければやってられない、てとこもございますが、まあやってみるしかないのです、人生は有限だから。

歳をとると物覚えが悪くなったり徹夜ができなくなったりしますが、代わりに人にたいして想像力が働くようになったり、物事についての解析度があがったりというのは間違いなく加齢の報酬です。
食べられるご飯の量は減ったけど、豆腐やゴボウの美味しさはわかるようになりました。

今11月、12月とふたつやる舞台の台本を書いてます。
もしよかったら観にきてください。
まだゴールは先だけど、その頃にはできてると思います。

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