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自分の人生の中で一番良い思い出


8歳の時、私は原因不明の微熱が1ヶ月ほど続き、柳橋の病院に入院しました。今思えば詐病だったのだと思います。当時、私は学校へ行くのが嫌で嫌で仕方ありませんでしたから。

私の両親は娘の私の教育に手を焼いていたようでした。
今の私を知る人には信じてもらえないと思いますが、なにしろ当時の私は普段から感情をほとんど出さず、放っておくと1週間でも10日でも同じ服を着続け、そしてこれからの時代はこれが来る、といきなり庭中の土を掘り起こしてミミズの養殖を始めるような子供だったからです。
そんな私は高度成長期時代を生きる両親にとって相当ハードルの高い娘だったと思います。

幸い私が原因不明の熱を出した時、診てくれた近所の町医者がこれは小児リューマチに違いありません、とありがたい誤診をしてくれたおかげで、私はめでたく大手を振って入院できることになりました。

病院の隣には芸者さんの置き屋があり、病室の窓からは夜な夜なきれいに着飾った女性たちが出勤していくのが見えました。芸者というのがどんな職業かは知らなかった私ですが、ああ大人になったら私もあんな服を着て働きたい、と子供心に思ったものです。

入院生活は快適でした。なにしろ誰にも邪魔されず、好きなだけ本が読めるのです。友達が要らない子供だった私は、見舞いに来る父親さえ早々に追い返していました。
お父さん私はいいから早くうちへ帰りなよ、というおためごかしの私の言葉を、父は健気な娘の思いやりと勘違いして泣きながら帰ったそうです。

病室は6人部屋で、斜向かいにアユミちゃんというバセドウ氏病の女の子がいました。
これが悪魔のような性格で、なんでも信じるたちの私にいろんな嘘を吹き込んでは、私が失敗したりお医者さんに怒られたりするのを見て喜んでいたのです。

その日も病院の避難訓練で子供も参加しなければいけないとアユミちゃんに嘘を教えられ、私は病室の窓から地上に降ろされたビニールのチューブの中を滑り降り、あとからそれが発覚して看護師さんにこっぴどく叱られました。

罰としてその日のおやつを抜かれて悲しい気持ちになっていると、隣のベッドの佐藤さんという年配の女性がそっとお菓子をくれました。

「どうか許してやって頂戴ね、アユミちゃんはね、もうずっとここにいていつ退院できるかわからないのよ」

そんなの私に関係ないじゃないか、と内心では思いましたが、癒し系の佐藤さんにそう言われると反論ができません。

佐藤さんはとてもおっとりした感じの女性で、身寄りがないのか、私が入院していたあいだとうとう誰も面会に来ませんでした。
何の病気だったかは聞きませんでしたが、たぶんこの人もうここからは出られないだろうな、となんとなく思った記憶があります。

そして私が退院間近になったある日、何かの流れで私はふと佐藤さんに訊ねられました。

「なおちゃん(私の本名)て面白いわね。将来何になりたいの?」

「私、小説家になるんです」

私は即答していました。

なりたい、ではなく、なる、と言い切ったのに自分でも驚きましたが、佐藤さんはあらそう、と私の言葉をすんなり受け取り、それから、本当に当たり前みたいな顔でこう言ったのです。

「すごいわねえ。じゃあわたし、その時まであなたの名前ちゃんと覚えておくからね」

次の瞬間、私は泣き出していました。

自分でもどうしてかわかりません。親にも見せたことのない涙です。でも、その時の感覚だけは50を過ぎた今でもはっきり覚えています。

あれは確かに、私にとってひとりきりの世界で生きてきた自分の中に、生まれて初めて他人の思いが入ってきた瞬間でした。
そして、それは同時にそれまで誰にも相談事をしたことがなかった私の、人生初のカウンセリングというか、進路相談だったのだと思います。

私は決してひどい環境で生まれ育ったわけではありません。むしろ恵まれている方だと思います。生まれたのは人情味あふれる昭和の東京の下町ですし、親は多少問題はありましたが、それなりに愛をくれましたし、他にも私を可愛がってくれる大人は周りに大勢いました。

なのに、この課題をいただいた時、真っ先に思い浮かんだのはあの詐病の入院の時の佐藤さんの言葉なのです。私学校で友達いないんですと言ったら、佐藤さんは笑顔のまますらっとこう答えました。

「それでいいのよ。ものをつくるような人はね、孤独とお友達になれないとだめだから」

あと、この文章を書いていていま唐突に気づいたのですが。

私の最初の小説の出版が決まった時、私が表紙に私の顔写真を使いたいといってきた編集者の申し出を断らなかったのは、今思えばデビューする時、名前を本名でなくペンネームに変えてしまった代わりに、私はもしかして自分の顔を晒すことで、佐藤さんに私の存在を見つけてもらおうと思ったのかもしれません。

あの入院からデビューまで30年もかかったのに。



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