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病院と藤棚と私

今ごろの時期になると、むしょうに藤棚が見たくなります。

藤棚には個人的にいくつかの思い入れがあります。

あれは震災の年の5月初め、父が今日死ぬという日の朝、私はがんセンターのホスピスの藤棚の下にボンヤリと座っていました。

前の晩に母と2人で父の病室に泊まり込み、父の具合が悪くなるとナースを呼んでモルヒネを打ってもらったりしていたのです。

握った父の手の先がもう半分冥界に続いているのがわかり、それが怖くて夜中までテレビをつけっぱなしにしていました。

画面の深夜番組ではいとうあさこさんが映っていて、そのひまわりみたいな陽の気に嘘みたいに救われたものです。

翌朝、寝不足の頭を抱えて病院の庭の藤棚の下でボンヤリしていたら、ふと今日が友達の誕生日であることを思い出し、お祝いのメールを打ちました。

「お誕生日おめでとう」

するとすぐに「サンキュー✌️」みたいな返事が来ました。

ものすごく寂しかったです。

もちろん、誕生日の主は今私が置かれている状況なんか知るよしもありませんし、私もいちいち「いま父が死ぬのを待っているところでーす✌️」なんて言いません。

でもあれは、未だに私の人生における「寂しい瞬間オリンピック」でメダルが獲れるほどの寂しさでした。

人ってやっぱりどんなに明るく見えてもそれぞれ壮絶な孤独の中で生きているんだ。
そんな風に思えたのです。

でも思えば私だってこれまでに、そんな状況の中から「お誕生日おめでとう」とメールしてきてくれた友達がいたかも知れないのです。

そんなこんなで悲しい気持ちで病院の庭を歩いていたら、ノドに手術跡のある60代くらいの女性が草むらに座り込んで四つ葉のクローバーを探していました。

目が合ったので会釈して、ちょうどポケットにのど飴があったのでひとつどうぞと渡したら、彼女はいきなり私に向かって嬉しそうに手を合わせ、ほとんど聞き取れるかとれないかのかすれ声で言いました。

「ありがとうございます。マリアさまからもらった飴、大事に大事にいただきます」

私はもう驚いて、何が起こったかわからないまま動揺してその場から離れました。

誤解を受けるのが嫌でこれまでほとんど書いたことのない話です。
(一回くらいは書いたかも)

ですが、私が夜中のテレビでいとうあさこさんを見てものすごく癒されたように、その女性も私の中に何かを見たのかもしれません。

それはきっといとうあさこさんにとってはあずかり知らぬことだったように、その女性が私を見てマリア様と呼んだのも、私自身とはなんの関係もないことだったと思うのです。

人生ってなんだろう、人はどうして病気になるんだろう。
まとまらない頭を抱え、理由のわからない涙をだらだら流しながら藤棚のところまで戻り、ひょいと上を見上げた瞬間、私は「あ」と叫んでいました。

藤の花に香りがあることに、その時初めて気づいたのです。

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佐伯紅緒(作家)

小説家/脚本家/女優。2006年、『エンドレス・ワールド』でデビュー。他に映画『RE:BORN』(脚本)ドラマ『シグナル』『僕の初恋をキミに捧ぐ』等。お問い合わせは株式会社アンドリーム https://www.and-ream.co.jp/ まで。
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