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地球って誰のもの?ハタラクって何?人生って何?(畑を作って地球を救う)

世界人類が生きている場所は地球です。この地球は誰のものなんでしょう?…誰のものでもないのが答えです。
人間は神の名を使い、争ってきました。

こちらの神が正しい、こちらの神が絶対だ。

そちらの神がいるのなら、その神に助けてもらえ。

人間はもう気づかないといけない、自分の中にいる「神と悪魔」に。
神のせいにしても、悪魔のせいにしても、自分の内にいるのであって、外にいるのではない。この世は全て物語。「自分自身」の物語ではなく、自分で自分の座を明け渡している者の物語を読んでいるに過ぎない。
私たちには、その神の物語を読み終える責任がある。

最後の審判

私,は無宗教ですが、世界中で崇められている神の物語を読んでみました。物語の中で、神は神を殺し、沢山の人間を殺しました。人間は神の子ですから、当然、親の罪は背負っているのです。
そして、聖書に書いてある、最後の審判は必ずある事を人間の魂は分かっています。でないと、嘘をつくはずがないからです。
生きているうちにつく嘘は、自分を責められたくない、自分は悪くない、「相手がこうだったから、こうなった」と自分を守る方へ思考が動きます。自分の波動で引き寄せた、もしくは発現させた責任を人間は知らな過ぎたのです。人間の体の性能は素晴らしく高いのです。
気念呪くらいの波動は、毎日作り出し、発しながら生きています。そして、もちろん他人の波動も受けて生きています。
悪性波動は、人からだけではありません。土地からも、モノからも、家からも発せられているので、毎日凄まじい影響を受けながら生きているのです。
その状態で生きていると、もはや自分の思考から出した答えなのか、この波動=情報によって脳内に置かれた情報なのか分からないのも事実です。
しかし、自分から発した言葉や、感情、波動、行動は自分の責任になってしまいます。人生には記録が残っています。そして、最後の審判とは、これから起こる事が決まっています。今まで一度も起きたことのない審判が起こるのです。

祈り

どうして、無宗教の私がこれほど祈りを大切に思っているのかは、人に出来ないことが沢山あって(戦争も止められない、災害も止められない、傷ついた人々を助ける事も出来ない)唯一出来る事があるとしたら、正しい祈りをし続ける事しかないからです。(支援物資を送っても、現状は変わらないし、人々は活きるのが精一杯の中で、痛みや、苦しみから解放されて癒されることを祈るしかできません。)
光の宇宙、天というべきなのかわかりませんが、そこからの光は
地球にも、私たちにも届かないのです。
心の目で見れば、地球は大きな闇に覆われていて、もはや光が届かない。肉眼で見れば、欲や絶望が渦巻く青く光る美しい地球です。
人の魂も同じようにつくられています。魂の中心には光があって、その周りには薄いグレーの層、そして、その周りには黒い層があります。外からの光は届かない。

だけど、正しい祈りなら天に届きます。祈りが届けば、それは結晶となり、必ず現実に降りてきます。

祈り②

世界中の人々が自分以外の人に祈れたら戦争は起きないでしょう。しかし、人間の魂の中には神から悪魔まですべて存在しているので、戦争は起き続けています。自分は正しい、自分が一番、それは神の本質だからです。神と魔は表裏、光と闇を分けるために、人間には脳があります。思考し、情報を分析する、理解する、処理する。この世で起きているすべての事柄には波動が関係しています。
波動=情報
夫婦喧嘩、親子喧嘩は一種のコミュニケーションですが、自分の正当性をお互い主張しあうので言い争いになります。自分のルールと相手のルールが違うので、感情的になります。もしくは、日常生活で精神的にも肉体的にも疲労が蓄積し、それが、小さな問題が原因で感情が爆発してしまうこともあります。
このように些細なことだったら、相手が癒されるよう祈ってあげなさいと言われてもできるかもしれません。

だけど、現在戦争をしている国の民に、相手に祈りなさいと言っても祈れないのは誰にでも理解できるでしょう。目の前で親子供が爆撃によって吹き飛ばされバラバラになって死んでいく様を見て、憎しみしか生まれないのも理解できます。
だから、平和な場所で生きている私たちが、人々が地球が、光によって癒されますようにと祈るのでしょう。祈りは、どこにいても、誰にでもできるのです。地球の反対側にも届きます。

能力は他を活(生)かすために

働くことは、世のため人のためになる事。三方よし、日本人はずっと、そう教えてもらってきたではありませんか。人の役に立つことが、私の生きている意味だという単純明快な答えがここに言葉として存在しています。自分の夢に向かって走ることが、今生きている人々、これから生まれてい来る人の未来を明るくするんだ!と意気込んで力いっぱい生きられたのは、いつまでだったんでしょう?
うつ病(精神疾患)が増えているのも、自分の未来や、日本の未来を考えさせない教育、社会構造が、彼らの生き場を無くさせているのも原因の一つでしょう。
人の能力や得意なことを、集団生活の中で見つけるとしたら、普段の生活の中、もしくは何か共同作業の役割分担の中で初めて発揮され、発見されるものもあったりします。
もちろん勉強が出来る事に越したことはないのですが、テストの点数だけで、一人の人間の能力を知り引き出すことはできません。

人生とは

人生とは、人として生きること。命をさずかって、人として生まれてきたこと。命は時間です。この時間を何のために使うのか、それを考え始めた時に、道は作られ、その上を自分の足で歩めるのだと思います。何のために生きているのかわからなくても、役に立ちたい、何かやりたいと思っている人は沢山います。歩んできた道を振り返った時に、残したいものを残せていたら最高でしょう。私は、光のビジネスモデル、光の経済をつくりたいです。




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