見出し画像

対話の形と安心と

ここの研究員の皆さんはいつも多彩な視点と豊富な言葉で、わたしの心にフッと伝わる(safeologyな)発見や気づきをくださる方々ばかりだなぁ・・・と感心する日々なのです。

研究員のふじひらです。

前回の冨永さんの「何もしなくていい。」話から。
Safeology研究所では毎月1回、所員による月例のオンラインミーティングが開催されます。先週の冨永さんの記事の後にMTGがあったことから、この「何もしなくていい。」の話からも様々な話が展開していました。
一方で、別の話題では「自分のプライベートなことを話すと、頭や体が熱く感じる」といった方も居りました。
そして、MTGの最後には代表の山川さんから「今日の話は哲学対話みたいだったねぇ」というコメントがありました。

私も同じことを感じていました。
そうなんです。哲学対話には対話をスムーズに進めるためのいくつかの簡単なルールがあり、その中に
「ただ聞いているだけでも良い」
「モヤモヤしても良い」
というものがあります。

冨永さんの「何もしなくていい」と哲学対話の「ただ聞いているだけでも良い」は根底的には同じではないかと感じていて、どちらも言葉面では受動的な印象を受けますが、実は両方ともかなり能動的な行動だと思うわけです。日常の生活だけでは気づかないことに気づく機会に自らを投じているわけですし。

MTGでの「心や身体がカーッと熱くなる」と哲学対話の「モヤモヤしても良い」も結構近しい関係ではないかと思います。私の対話の師匠曰く「自分の常識を揺さぶられる」瞬間にこのような現象が発生するとのことで、私も何度も経験があります。

哲学対話ではルールを守ることによって、その対話コミュニティに知的安心感が生まれ、安心した対話が可能になるという仕組みがあります。山川さんの「哲学対話みたいなMTG」という感想は、まさに私たちが意図せずとも心理的安全性が担保されたコミュニティになりつつあることを示唆しているのかな・・・などと新参者ながら思った次第です。

といったわけで、先日のMTGの感想として私が話した内容を再構築して皆さんにもシェアしてみました。
私自身は哲学対話やサイエンスカフェなどを、所員の皆さんもそれぞれバラエティー溢れるコンテンツを皆さんに提供されていますので、機会がありましたらぜひご一緒しましょう。

文/藤平昌寿(Safeology研究所研究員/自治医科大学客員研究員)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?