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降りてくる瞬間

前回の冨永さんの記事を読みながら、またもピンと来る内容が頭の中に「降りて」きます。研究員ミーティングや他の方の記事を見ていても「降りて」くることが多いと感じます。

何でなんだろう・・・?
何か理由があるんだろうか・・・?
不思議な感覚です。

あ、研究員のふじひらです。

冨永さんが合唱の話から「フォーカスとボヤカス」の話をされていました。以前も書きましたが、わたくし、音楽の仕事もしております。
主に「合奏」と呼ばれる複数名での楽器演奏を指導する形態がほとんどです。また一時期、趣味の一環として「合唱」に類する活動もしていました。

指揮を振ったり指導をしたりという、ある種のファシリテーションをしているような中で自然と、フォーカスとボヤカスをしていることに気付きました。
合奏や合唱といった音楽には、同じ楽器やパートなどを複数名で演奏・歌唱することが多くあり、これらは全体の中では1つのサウンド(まるで1人で演奏しているかのような表現をすることもある)として扱われることが多いのです。言い換えれば、個の音の集まりを全体として溶け込ませながら1つの音楽として聴く、という作業を観客や聴衆は行っていることになります。

通常の聴く側は、1人1人の音よりも全体としての音楽を聴いているわけなので、どちらかといえばボヤカス側に近いのでは?と推測しますが、指揮や指導する側はそれだけというわけには行きません。
メロディ・ハーモニー・リズムなどの要素が複雑に絡み、ソロなどがあったりもしますから、場面に応じてそれぞれの要素にフォーカスしつつ、時にはズームアウトして聴衆に近い俯瞰的な音楽も感じる、といった作業を1曲の中でもかなりの数こなしていることになります。

あまりこのような自覚をしたことは無かったのですが、考えるとなかなか複雑なことをしているんだな、人間は・・・と感心してしまいます。

また次回のコラムも、ふと何かが降りてくるでしょうか?

文/藤平昌寿(Safeology研究所研究員/自治医科大学客員研究員)

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