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#平成最後の夏 とは、結局なにか?

平成最後の夏、私はなにを思い出すのだろうか。
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​​生まれも育ちも平成なわたくしですが、想像力が貧相なもので、
​​平成最後の夏といっても頭に浮かぶイメージは『時をかける少女』『サマーウォーズ』の真っ青な空の、真っ白な入道雲ばかりなのです。
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​​要は、私の中の夏っぽい夏は「テレビのイメージ」でできているという訳です。

​​​でもよく考えれば、私の夏は、テレビをみることそれ自体なんでしょう。
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​​朝起きてニュースをつけて、家に帰ったらアニメを流して、親の観たいニュースを挟んで、21時からは洋画劇場をみる。
​​これを上京する18歳まで続けたのだから、テレビ漬けといってもいい。
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​​加えて言えば、義務教育の間で学舎ではなした内容の多くは、テレビから得ていました。
​​笑う犬の冒険やら、遊戯王やら、WBCなんかも観てましたからね。そりゃもう、テレビが無いはずの学校ですらテレビだらけなのです。
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​​それが今やどうでしょう。
​​私の一人暮らしの家にはテレビがない。
​​昔視聴用に買った、デスクトップ用の大きなディスプレイもほとんどつけません。
​​NetflixやAmazon videoなんぞは、手元のスマホで観る具合です。
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​​とっくの昔に私は、あの日の夏の習慣を手放していたんですね。

​​しかしそう思うと少し寂しい。とっくの昔に無くしていたなら、飲み会の口実、盛るためのハッシュタグくらいにしか使えないじゃ無いか。
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​​私の夏休みといえば、
​​朝はNHKのおはよう日本、朝の連続テレビ小説からはじまり、
​​ちょこちょこ再放送しているドラゴンボールの再放送を観て、ちょっと家事を手伝って勉強をすすめる。
​​昼はそうめんすすりながら甲子園をみて、ずっと再放送しているショムニカを観て、ついでに韓流ドラマも観る。
​​銀魂の再放送をみて、ゴールデンタイムのアニメをみる。夜はめちゃいけをみて、21時からは木曜洋画劇場。
​​最後に深夜2時に放送してるよくわからないB級映画と24の一挙放送を予約録画して、ちょっと勉強して寝る。
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​​もう二度と、これほど無駄な夏なんてこない。
​​もし現在、一ヶ月の夏休みがあったとしても、こんな使い方はしない。
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​​平成最後の夏は、既になくしてしまった青春の夏の時間を思いだす作業。
​​​もしくは、今年の夏を、きちんと最後の青春の夏の時間にするための儀式、なるんだろう。
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​​だけど、それでいい。それがいい。

​​私たちは忙しい。
​​働き方改革などと仕事も忙しけりゃ、プライベートではLINEの通知がうるさい。
​​面白いドラマや映画は沢山あって、新しいタレントがいつの間にか電車広告で笑いかけてくる。本屋に行けば、
​​ただでさえ目の前の事に精一杯なのに、過去の良いことも悪いこともごちゃごちゃにして襲ってくるのです。
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​​ちょっと整理がてらに、だれかと平成最後の夏呑みなどと称して集まるくらいが我々には必要なんでしょうよ。
​​これはあれです、儀式であり、程のいいピットインなんです。

​​儀式というのは、
​​所属する特定の集団において、集団の結束を確認、周知するためにやったりするもんだったりします。
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​​当てはめると、私たちは平成に青春があるこの島国のコミュニティで、同じく平成が素晴らしい時代であったことを確認、称え合い、そして同じ「世代」であることを認め合うんでしょう。
​​私たちは、こうしてこの夏が終わる頃には、青春をなくした仲間になるんでしょうよ。この緩くて弱いしめくくりがいかにも日本らしいではないですか。
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​​そうして、自分のFacebookかinstagramに#平成最後の夏 とタグをつげれば、もう日常に戻れる。
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​​卒業式の感傷をすぐ忘れて、新社会人になって連絡を取り合わなくなったりするように。時々遡って友人との会話のネタにするだけの、アルバムになるんでしょう。
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​一括りにタグ付けされた夏が、私たちの平成最後の夏だ。

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