風の強い日を選んで歩く

 最初に注意するが、このnoteは極めて私の個人的な情けない、眉を顰めるような話である。

 私にはとてもとても苦手な事がある。この現代において、他人が聞いたら眉を潜めるような欠点。それは人と連絡することが苦手だということだ。

 仕事の電話もメールはまだいい。一番苦手なのがプライベートな連絡の"返信"だ。本当に本当に出来ない。苦手なんだ。友人は嫌いではない家族も嫌いじゃない。ただただ本当に"返答"したくない。電話もLINEもチャットもまるでダメだ。

 発信するのは全然いい。
 言葉を選んで、話題を選んで、タイミングを選んで発信するだけだ。でも返信することは違う。

 相手から来た連絡にすぐ応えて、気持ちよく返信しないといけない。だから通知が来たら一旦こころをして掛かれるように時間をおいて、時間をおいたらもっと勇気が出る時を待って、日を跨いだら返信が遅くなるのが申し訳なくなって、そうやって私はいろいろなものを取りこぼして来た。

 こんな私だからかお察しの通り知り合いは多く、行動を共にする友人は少ない。なんでこうなってしまったのか分からないが、気がついたら私はこんな風になってしまっていた。

 高校生の時が一人だけ携帯を持っていなかったからだろうか? それとも幼少期から一人で過ごすことに慣れていたからだろうか? いやそんなものはただ言い訳である。

 突然だが、あなたは『嫌われる勇気』を知っているだろうか。そこに取り扱われる「アドラー心理学」というものがあるのだが、これをNHKの番組でみていた所胸に刺さるシーンがあった。

「誰かが苦手、連絡しづらいのは、その誰かのせいではない。その人と関係を変えたくないと君自身がそう思っているからだ」(意訳)

 というのだ。
 なんと厳しい言葉なのだろう。そしてアドラー心理学はこうも続ける。

「他人は変えられないが自分は変えられる。そして自分を変えたいと思えば自分をすぐにでも変えられると言うのだ」

 強烈な自己責任、強い個人主義の流れを感じる。だが私はこうして知ったのだ。
 一生このままフラフラと都内をうろついて、連絡が取れなくなってしまった友人のことを思い出しながら、一人で生きていくのかと思ったけどそうじゃない道はすぐそこにあるということを。

 自分で自分を見下げるこの苦しみから脱することができる。ほんの少し自分の弱さを受け入れて勇気を振り絞るだけで、今よりほんの少しなりたい自分になれる。だと言うのなら、今から変わるのもいいかもしれない。

 他の人にはできる、誰かにとってはどうというとこのない当たり前が出来ないのは辛いことだ。
それがお金も知識もコネも身体的な能力も要らないことなら、それはいっそう惨めである。

 だがしょうがない。その惨めなものがこのわたくしであるのだ。惨めに、情けなく、勝手に罪悪感を感じる弱さを受け入れるしかない。信頼たりえない自分の情けない姿を誰にも見せたくないが、隠すとそれはそれは情けない嫌なやつが出来上がるのを知っている。

 そうなりたいと思ったら、そう、と行動するしかないのだ。

 好きな歌詞の中に「風の強い日を選んで歩く」というフレーズがあるように、私はそういう道を歩くような人に変わりたいのだから。


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