見出し画像

オフライン活動への回帰と逆行する感情の狭間で

ここ一年くらい「一人でいたい」「誰にも会いたくない」といった感情が渦巻いている。とはいっても人間関係の大切さは知っているし、自分に関わってくれる人を大切にはしたいので、全く人と関わっていないわけではないが、『社会性を失わない最低限の会話』を意識することがあるのは事実で、人がいる場所から帰宅すると、ベッドに倒れこむことも多々ある。

2022年3月に蔓延防止等重点措置が解除されてから、新型コロナウイルスに関する大きな規制が敷かれることは無くなった。感染者や死亡者が以前より多いのにこういう潮流になったのは、科学的な合理性などなく、単純にみんなコロナ禍に飽きたんだろう。2022年度は社会全体として、コロナ禍から脱却し、オフライン活動への回帰を目指した一年だったと言えよう。数万人が参加するマラソン大会が普通に開催され、各種コミュニティでは飲み会が夜8時以降も気兼ねなく行われ、授業やゼミ・インターンは対面で行われ、国内のみならず海外旅行ですら周囲の目を気にせずできるようになった。

オフライン活動の良いところは、「余白」があるところだ。オンライン活動は場所(・時間)に依らず業務・用件を淡々とこなせるという点では合理的であったが、オフライン活動ではちょっとした空白の時間の何気ない会話とか、時にその会話から広がる新たなチャンス、移動中に目に入る風景や人物、言語化できない各空間の雰囲気など、そういう刺激があり、日々に彩りを与えてくれる。

再びその刺激を求めていた…はずだった。2021年の秋にもコロナ禍脱却の兆しがあって、その時期のサークルみんなでワイワイした遠征とか、久しぶりの大規模飲み会とか、心躍って特大自己ベストが出た公道ハーフマラソンとか、はじめての対面ゼミとか、そういう戻ってきた「日常」にかなり喜びを感じていたはずだった。
「ないものねだり」ではなく、心からオフライン活動を願ってTwitter上で発狂を続けてきたつもりだ。それなのに、2022年度、対面授業や対面ゼミ、酷い時には旅行や飲み会、マラソン大会すら辛いと感じてしまっている。オンラインに戻ってほしいと思ってしまった。

社会全体として、「非合理」なオフライン活動への回帰傾向があるということは、やはり多数の人間は色々な他者や空間との関わりに幸せを見出しているということなのだろう。そしてそれが辛いと感じてしまう人間は本調子ではないのだろう。

最近、パーソナルスペースが肥大化していて、図書館や飲食店で隣の席に座られると居心地が悪い。なんならグリーン車並みの京阪特急プレミアムカーでも隣に座られると窮屈さを感じてしまった。無駄にだだっ広いソーシャルディスタンスを取っていた時代に戻ってほしい…
これ、なんとかしないとまずいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?