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命を守るために必要だったこと、震災からの生き方

以下の文章は、東日本大震災で被災した私の体験と、そのときに役立った対処方法について書いたものです。

震災から12年経ちましたが、今でもその日のことを忘れることができません。自分の体験が、これからの防災や復興に役立てば幸いです。

茨城県では、震度6強の地震に見舞われました。家は大きく揺れて、家具や食器が倒れたり割れたりしました。水道や電気もすぐに止まってしまいました。生活に必要なものが何も使えなくなるのは、本当に不便で困りました。

トイレの水は、お風呂の水をバケツに汲んで流しました。水はとても大切なので、無駄に使わないようにしました。

水の確保には、近くの小学校に来てくれた自衛隊の方々のおかげで助かりました。自衛隊の方々は、水だけでなく、乾パンや毛布なども配ってくれました。私は感謝の気持ちでいっぱいでした。

小学校の体育館は、避難所として開放されていました。私はそこで一夜を過ごしました。体育館には、ストーブや寝具も用意されていました。外は寒かったので、暖かくして眠ることができました。

情報は、ラジオから得ることができました。ラジオは、電池で動くので、停電でも聞くことができました。ラジオからは、地震や津波の被害状況や、救助活動や支援物資の配布などの最新情報が流れていました。

当時は、携帯電話が圏外になったり、通話がつながらなかったりしました。家族と連絡が取れなくて、とても不安でした。幸いにも、私の家族は無事でしたが、亡くなった方や行方不明になった方もたくさんいました。私は、その方々のことを思うと、胸が痛みます。

一番大事なのは自分の身を守ることです。私は、親切な親戚や近所の方々と助け合いながら、なんとか生き延びることができました。命さえあれば、どうにでもなるということを実感しました。

今は、平穏な日々を送っていますが、震災のことを忘れることはできません。一日も早く、被災地が復興し、被災者の方々が笑顔になれることを願っています。

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