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ショートショート【嫌な奴】

 俺はヤクザだった。
 ある日、親分の命令で対立する団体の系列組長を拳銃で襲った。
相手の組長が地下の倶楽部に入っていくために階段を降りはじめところを背後から襲って5発の弾を打ち込んだ。組長の横には倶楽部のママとホステスがいた。その二人が死んだ。本命の組長は重体には陥ったが命は助かった。

 警察に捕まり、裁判が行われ、死刑判決が宣告された。

「どのような悪人であっても、阿弥陀仏の救いを信じ念仏するなら、必ず浄土に生まれ変われる」

 俺は拘置所で教誨師と出会い真宗の教えを聞いた。どんな悪人であっても救われるなんて、そんな都合の良い教えがあるものか。教誨師の話を聞いて真っ先に思ったのはそれだった。そもそも死ぬのが怖いようじゃあヤクザなんてやってられない。
 疑問と意地で凝り固まっている俺に、教誨師は根気強く話して聞かせた。

「阿弥陀仏の救いを信じるとはどういうことか? 『自分はどうしようもない悪人であるという自覚を持つこと』なのです」

 教誨師は続ける。

「そして、そのどうしようもない悪人であっても阿弥陀仏は必ず救ってくださると信じること。つまり、自分が悪人であるという自覚と阿弥陀仏の救いを信じるということのは二つで一つなのです」

 悪人である自覚を持つことが、なぜ阿弥陀仏の救いを信じることにつながるのか。最初はその意味がわからなかった。
 しかし、いつ刑が執行されるのかわからない拘置所での毎日は俺にこれまでより生々しく、現実としての死を見つめざるを得ない時間を与えた。

 本当に死んだら終わりなのか。だったらなぜ人類が発生して以来、宗教というものが存在し続け、人類は死後の救いを求め続け、死後の世界の存在を信じ続けたのか。作り話にしては人類が騙され続けた時間が長すぎやしないか。

 娯楽もない死刑囚としての毎日が、俺の心を少しずつ変えていった。

 罪の無いカタギの女二人を殺したという事実。ヤクザとしてやってきた様々な悪行。自分の罪と向き合う日が続いた。

 そして、ある日、俺は、はっきりと自覚した。

「自分は悪人だった。自分の力では自分ひとり救うこともできない悪人だった!」

 そう思ったとき、阿弥陀仏の救いがスッと心の中に入ってきた。

「ああ、こんな悪人だからこそ、阿弥陀仏は救ってくださるのか……」

 涙が流れた。

「救われた! 俺は救われたんだ!」

 心の中で、なんども、なんども叫んで、実際に声にも出して喜んだ。

「南無阿弥陀仏 ナモアミダブツ、ナマンダブ、ナマンダブ……」

 阿弥陀仏が救ってくださるという確信を得て依頼、俺は可能な時間を見つけては念仏を称え続けた。

 死刑執行の日。
 執行部屋に入る直前、教誨師と最後の会話を交わす場が設けられた。

「救われました。短い間でしたが、本当にありがとうございました。南無阿弥陀仏、ナモアミダブツ、ナマンダブ、ナマンダブ……」

 俺が念仏を称えていると教誨師が俺の耳に顔を近づけてきた。
 その目つきにはどこか冷やっとするものがあった。教誨師は俺の耳元で囁いた。

「言い忘れていたことがあったのです」

 何だ。ここに来て。俺は穏やかな気持ちが乱されつつあることに恐怖を感じた。

「阿弥陀仏に救われるためには、もうひとつ条件があったのだけれど、それを伝え忘れていました」

 どういう意味だ。阿弥陀仏の救いを強く信じて疑わない。阿弥陀仏に救われ極楽浄土に生まれ変わるための条件はそれだけじゃなかったのか。

「本当に信じただけで救われると本当に思っていましたか。あなたは筋金入りの馬鹿ですね。あなたみたいな極悪人が信じただけで救われるなんて虫のいい話しがあるわけないじゃないでか。あなたが行くのは間違いなく地獄です。当然でしょう」

 教誨師はそう言うと、俺の耳元から顔を離した。俺は教誨師の目をじっと見た。教誨師はうっすらと笑っていた。笑ってはいるが冗談を言っている顔には見えない。

 なんだって、俺は救われたんじゃなかったのか、信じて疑わないだけじゃだめだというなら、もうひとつの条件とはなんだ、その条件はこの残り少ない時間の間にクリアできるものなのか、もしそれが間に合わなければ俺は地獄行きってことか、教えてくれ、もうひとつの条件を、このままじゃ俺は地獄に行ってしまう、救われない、教えてくれ!!!!

 頭が真っ白になっていった。

「もうひとつの条件とはなんなんだっ」俺が大声を出そうとしたその前に、教誨師がまた耳元に顔を近づけてきた。

「あ〜あ、疑っちゃった。あなたはせっかくこれまで阿弥陀仏の救いを信じていたのに、さっきの私の一言を聞いた瞬間、阿弥陀仏の救いを疑ってしまいましたね。残念でした、あなたは『信じて疑わない』という唯一無二の阿弥陀仏の救いの条件から漏れてしまいましたねぇ。救われる条件なんて他にはありませんよ。信じて疑わない。それだけです。なのにあなたは疑った。今もまだ疑っている。私の言うことなんて信じられなくなってるでしょうからねぇ」

 教誨師は俺の目をじっと見つめながら、少しずつ俺から離れていく。

「さあ、死刑執行まであとわずかですよ。このわずかの時間で、もう一度あなたは阿弥陀仏の救いを信じ切る信仰心を取り戻せますかねぇ」

 俺は心の底から思った。
 この教誨師、本当に嫌な奴だな。

ー了ー

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