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「名」なのか、「来世」なのか、「子」なのか…報われない善行をする意味

松嶋菜々子主演のスウィートシーズンは、最後は不倫相手と結ばれハッピーエンドになります。

上戸彩主演の「映画版・昼顔」は不倫相手と結婚寸前で相手が死んでしまうと言う衝撃の展開でした。
ところが、相手の子どもが自分の体の中に宿っている事を知ったヒロインは生きる事を決意し…

史記・伯夷列伝は、善人でも報われない人がいる、悪人でも幸せに生きられる人がいる

天道、是か非か…(天の道は正しいのか、間違っているのか)と言う問いを投げかけています。

不倫が善行なのかと言うと、それは違うかもしれません。ただ、不幸せな出来事が起きた時、「子ども」がいると言う事が不幸を乗り越える力になることはあるようです。

実際、僕の知り合いでお姉さんが交通事故で旦那さんを亡くしたと言う人がいます。

このお姉さんは「自分も死ぬ」と大変な乱れようだったらしいです。その時、神父さんが「あなたの体の中には旦那さんの分身がいる」と伝えて、自殺を食い止めたのだそうです。

奥さんに先立たれて、もう生きていたくないと思った時、祈祷師に「今、ロウソクの灯が揺れたでしょう。あれはあの世から奥さんがまだ来るなと言っているのです」と言われて、生きようと思った人の事も知っています。

さて、先の述べたように史記・伯夷列伝は、
「正しい事をしていても報われない人がいる、悪い事をしていても幸せになれる人がいる=天の道は正しいのか、間違っているのか」
と言っています。

こういう場合、「子ども」が(宿って)いると言う事で「報われない」状態を乗り越える人もいるでしょう。

史記自体は、伯夷は孔子に称賛されて名前が知られるようになったと言う話を書いています。

「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」と言う格言があります。
人は死後も自分の「名前」が語り伝えられるように善い行いをすべきだと言う意味です。

史記は、この格言と同じ理屈に立っているのでしょうか。

映画「トロイ」でも戦争に先立って、兵士たちに人はいつかは死ぬが、「名」は永遠に残ると指揮官が伝えるシーンが出てきます。

「トロイ」はギリシャ神話の古典「イーリアス」、「オデッセウス」を元に作られた映画です。

イーリアスそのものが史実かどうか不明ですし、映画としても脚色もあると思います。

ただ、日本や中国の時代劇にも戦争の前に「名を惜しめ」、つまり、敵から逃げるような事をすると、「臆病者」として名前が語り伝えれれるから、勇敢に戦えと言ったセリフが出てくることがあります。

その時、たとえ死ぬことになっても「名前が永遠に残る」からそれが救いになるんだと言う発想は、西洋でも東洋でも広まっている考えなのかもしれません。

「名前が永遠に残る事が救いだ」と言う思想とは別に「来世で幸せになれるはずだ」と言う思想もあります。

「後生大事」と言うのは、元々、後生=死んだ後、次の世で幸せになることを願うと言う意味です。転じて、何かを大事に抱えている様子を表す表現になりました。

平たく言うと、善い事をしていれば、神様や仏様に認められて、死んだ後、天国や極楽に行ける、悪い事をしていると地獄に落とされる

と言う考え方です。

この考えも東洋・西洋を問わず、割りと広まっている考え方ではないかと思います。

そう言えば、徳川家康の旗印も「欣求浄土 厭離穢土」、つまり、汚れたこの世を離れて、極楽浄土を求めると言う意味のものでした。

なお、ダンテの「神曲」には、生きている間、詐欺を働いて地獄に落とされた人が、地獄の獄吏を騙して、刑罰を免れる話が出てきます。

こうなってくると、悪人は「この世」でも「あの世」でも裁かれないので「救い」がないと言う事になりますが…



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