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10.幼少期の別れというもの

その当時、私の祖父(トシオさん)は職業を引退していた。私の祖母(ミツヨさん)と一緒に私を連れて紀南に出かけた。シラハマやカツウラに行った。

私はこの旅をよく覚えている。夜中に私は両親が恋しくなった。「家に帰りたい」と祖父母に言った。それは真夜中だった。家に帰るには三時間はかかっただろう。それでも祖父母は私を家まで送り届けた。

どういうわけかこの記憶が深く刻まれている。残念さと申し訳なさが入り交じった感情が保存されたからだ。今となっては、祖父母は死んでしまったので、これはもはや思い出の形で振り返ることしかできない。

葬式に参加したこともよく覚えている。誰のものであったかは、今でもわからない。6歳の私にも、それは自由に騒ぐことを許されない空間であることがわかった。黙っているのがつらかった。どういうわけか自分のことを知っている人がたくさんいた。居心地が悪かった。

その後、私は幼稚園を卒業した。問題のある幼稚園の生徒だったので、苦労かけた先生は目を赤くしていた。子供たちの間で泣くのは愚かだと評される傾向にあった。

しかし、私はその場にいた人たちのほとんどと別れてしまうことをよく理解していなかった。「さようなら」という言葉の意味がわからなかった。寂しさも感じなかった。ただどうやらこの場は、人々の心を打つものであるとは理解した。

それから私は小学生になった。

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