不倫を求める気持ちは破滅の美学

芸能人や政治家の不倫報道が凄い。

何が凄いかというと、その報道を見た一般の人達の反応だ。
知り合いでもない有名人の不倫報道にここまで熱くなれるのが羨ましくなるほどだ。
不倫はひどいというのは至極真っ当な正論だが、自分に全く関わりのないテレビなどでしか知らない人の不倫など、はっきり言ってどうでもいい話なのではないかと思う。

それに対して、自分の身近な人で不倫を見せられると、それは不快なものがある。
不倫をする人の傾向なのかもしれないが、不倫を自慢するようなことをしたりする。

以前の職場で、職場内の係長と派遣社員がそういう関係だった。
係長は既婚者で、結構嫌なやつだった。
その関係は職場内では公然の秘密で、その現場には出くわしてはいないが、係長が帰ったあとの職場に、奥さんから夫は帰っているかという電話もあったという。

これだけの状況で職場にバレていないと思ってれいれば相当な鈍感だ。

不倫をしている人間の特徴をもう一つ上げると、自分はできる人間だと思いこんでいるということもある。
その係長も色々と上司から寵愛されていたフシもあった。
仕事も家庭も愛人関係も、すべてが自分の思い通りになって、人生を謳歌していた係長だった。

自分が職場を離れて数年後、その係長は離婚したそうだ。

うまくやっていると思っていたのは自分だけだったようだ。
その後、部署も移動され、うるさい上司に手を焼いていると聞いた。

ここで一つの疑問が生じる。
なぜうまく行っている人ほど不倫をしたがるのだろうか?
その答えは、破滅の美学にあるのではないかと私は仮説を立てる。

日本は一夫多妻でないから不倫に走るという人もいるが、仮に一夫多妻だったとしても、うまく行っている人は妻以外の人とつながろうとすると考える。

シムシティなどの都市建設ゲームをやったことがあるだろうか?
自分で大きくした町を突然、災害などを起こして壊したくなった衝動に駆られたことはないだろうか?

不倫をする心理はこれに似ているのでは?と考える。

うまく行っているものを壊さなければ、新しい何かが生まれない。これを求めている本能的な部分が不倫となって現れているのではないだろうか。

これこそが、太宰治も人間失格で描いた破滅の美学だ。
どれだけ成功した人でも、恥の多い人生になる、それが破滅の美学だ。

今日はかなりいい文章がかけました。
不倫には、あまり興味がないので、これからシムシティで怪獣を出現させて街を壊そうと思います。

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