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「タツノコプロ」を改めて知る

先日、出張で羽田空港の書店にふらりと入った時に偶然見つけた本があります。
タイトルは「タツノコプロを創った男〜アニメの神様 吉田竜夫の全仕事〜」(宝島社)。
「タツノコプロ」は現在、日本テレビグループに入っているというご縁もあり、私もコラボで何度もお仕事をさせて頂いているのですが、その本を見つけて思いました。
“そう言えば、俺、タツノコプロのこと実はそんなに知らないな“、と。
勿論、タツノコプロさんのメンバーの皆様とは懇意にさせて頂いており(現在も進行中のネタもあり)ますし、自分史を振り返れば子供の頃、当時のタツノコアニメはほぼ全て観ているし…なのですが、タツノコプロの本質の部分は知らないんじゃないかと。
引き寄せられるようにその本を手に取りレジに向かいました。
ちなみに、買った後知ったのですが、その出張は11月13日(日)で本の出版日は10日(木)でした。

初めて“吉田竜夫“という人間を知る

「タツノコプロ」のオフィスに行くと、エントランスにドーンと創業者の吉田竜夫さんの写真が壁にプリントされています。
これまでは正直「この人が吉田竜夫さんなのね」くらいの思いしかなく、吉田竜夫という人物についてほぼ全く知識がありませんでした。
で、今回この本を読んで知ることになるのですが、いやはや、エンターテイメントを創る身としてはめちゃ心に響くことだらけでした。

タツノコプロ=日本のディズニー

色々と印象的なことはあるのですが、一言で言うとタイトルのとおり。
アニメの製作にとどまらず、その体験の拡大をご本人も考えられており、実際に「タツノコランド」の計画もあったそうです。
単なる“コンテンツビジネスの発展ビジョン“ということではなく、一つの信念、ポリシーに基づいてのビジョンなのです。
それは―――

「世界の子どもたちに夢を」

これが創業からのタツノコプロの指針。
ある意味、この実現のために、“漫画家“吉田竜夫は“アニメ“を始めたとも言えます。
つまり乱暴な言い方かもしれませんが、アニメも“手段“の一つ。
これは本文中にもありますが、ご本人がご存命であれば、今はきっと“ゲーム“も創られていたかもしれません。
“子どもたちに夢を与えるゲーム“は一体どんなものになったのでしょうか?もしかすると、これは吉田竜夫が今のエンタメクリエイター/ビジネスに残した(残してくれた)貴重なテーマ/視点であるかもしれません。
ちなみに、吉田竜夫さんは1977年、ヤッターマンのOAが始まった年に45歳の若さで肝臓がんで亡くなられています。

半径5mの人を幸せにする

この言葉は宮崎駿さんの言葉(であると本文中にあります)ですが、吉田竜夫さんのスタンスもまさにこれだったのです。
実際に、長女のすずかさんを始めご自身の子どもさんが喜ぶかどうか、幸せに出来るかをとても大切な指標にしていたようです。

エンターテイメントというビジネスにおいて、“人“を「マーケット」として捉えるのではなく「幸せにする相手」として捉えること
これは今も昔も変わらない本質であると思います。
そして、その本質がブレないことが、実はビジネス的にも一番“堅い“ということ
これを改めて心に刻むことの出来た本でした。

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