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【冒涜探偵の血煙り自白録 序章】 前編

 ◇総合目次 ◇後編


 霧が立ち込めている。石畳の上に転がる薄汚い死体と血溜まりをすっぽりと覆い隠してしまう程、深い地霧。

 この街では珍しくも無い。ここで何かに躓いて転んだなら、疑うべきはまず死体だ。ブラッドの父もそうして発見された。彼が十四の時だ。
 夕日はすっかりビルの向こうに隠れ、深い藍色の空に橙色の街灯が靄の中でぼんやりと光っている。ブラッドは身を切る寒さを堪えて商店街を黙々と進みながら、その光景に妙なノスタルジーを覚えていた。今日はあの日から丁度一年だった。弟を殺した、あの日から。

「またなオッチャン。明日も来るからよ」

 通りの酒場から白髪の酔っ払いが顔を出し、千鳥足で横切って行く。途中で転ばなければいいが。ブラッドは気の毒に思いつつその背中から視線を外し、向き直る。

 そこに、男が立っていた。

「ブラッド・ホーンだな?」

 黒スーツにサングラスの男は問いかける。ブラッドは男の右手に拳銃を認めた。サイン欲しさにって訳じゃあないらしい。彼は肩を竦める。

「人違いだよ」

「屑め。今さら逃げられると思っているのか? ボスはお前の命をご所望だ」

 男はその長い銃身をこちらに向け、間髪入れず引き金を引く。銃口から鋭い光が炸裂し、次いでパンと乾いた音。直後、たなびく霧を貫いて弾丸が一直線に迫り、死の予感がブラッドの脳神経を走る。

 あの日もそうだった。走馬燈のように巡り出した記憶に呼応するように、銃弾が、視界に映る全ての物体が速度を失い、スロー再生のようになっていく。ブラッドは瞼を閉じ、色褪せた過去に思いを馳せた。彼と弟、ホーン兄弟の破局に。


               ◇◇◇◇


「ウッヒャッヒャッヒャァーッ!」

 近道しようとしたのが間違いだった。慣れない裏路地に迷い込んだブラッドは、突如立ち塞がったミストギャングに通行料を求められ、拒んだ。
 港湾区はならず者の吹き溜まりだ。そういう連中にとって、入り組んだ裏路地は絶好の餌場だった。霧の街に溢れる霧は身を隠すのにもってこいであり、不用意に迷い込んだ者は狭い空間で地面に潜んだチンピラたちにいつの間にか囲まれ、為す術なく身ぐるみを剥がされるのがお約束である。

「万札をぶちまけろォ!」

 レザージャケットのモヒカン野郎が鉄パイプを振りかぶり、ブラッドに猛然と襲い掛かる。背後にはチンピラ仲間が二人、正面奥にもう二人。道幅は二メートル程で、立ち位置は路地のど真ん中。無理矢理突っ切って逃げるのは困難な状況だ。

 鉄パイプが勢いよく肩口に振り下ろされる。ブラッドはすり抜けるように左前に踏み込み回避。振り向きざまにモヒカンの膝裏を蹴って姿勢を崩し、下がった側頭部に鋭い蹴りを浴びせた。情けない悲鳴を上げ蹲るモヒカン。だが間髪入れず四人の仲間が同時に襲い来る。その手にはバット、鉄パイプ、角材、バール。一撃でもまともに喰らえば激痛で怯み、そのままタコ殴りだろう。

「うおっ!?」

 ブラッドは迫り来るバットのチンピラにスライディング。不意に足を取られたチンピラは盛大にすっ転び、ブラッドは勢いそのままに包囲網を突破し、体勢を立て直した。

 これで挟み撃ちは解消。ブラッドがそう判断した矢先、背後の霧に潜んだ伏兵のスキンヘッド男が飛び出し、ブラッドの両腕を後ろから羽交い締めにした。

「今だ、やれ!」

 バールのチンピラが駆ける。距離は五歩分。猶予は約二秒。

「ギャアッ」

 ブラッドは両手の親指で伏兵ハゲを目潰し。急所への攻撃に拘束が緩む。すかさず長い脚を水平に蹴り出し、眼前の男にケンカキックを見舞った。脆い下腹部にめり込んだ一撃はダッシュの勢いと合わさり破壊的な威力だ。チンピラはバールを取り落とし、嗚咽を漏らしながら倒れ込んだ。

 間髪入れずにブラッドの後ろ回し蹴りがハゲのこめかみを撃つ。体重の乗った蹴り足がもろに入り、壁に吹っ飛んだハゲはコンクリートに頭を打ち付け、昏倒した。

 これで、残りは三人。

「まだやるか?」

 ブラッドは既に腰の引けた三人に問う。

「や、やんねえよバーカ! 覚えてやがれェー!」

 リーダー格の男が踵を返し、一目散に逃げだした。

「アラン待ってくれぇ!」

「ベイカーの兄貴ぃ!」

「フルネームをばらしてんじゃねェーッ!」

 チンピラたちは倒れた仲間を見捨てて大慌てで逃げ去った。ドタバタと響く足音が次第に遠ざかり、薄暗い裏路地に相応しい静寂が舞い戻った。ブラッドは息をつき、袖をまくる。腕時計の針が示すのは六時二十四分。こりゃ遅刻だな。ブラッドはズボンのポケットからスマホを取り出し、バーで待つ弟に連絡を入れた。今夜の酒代は高くつきそうだ。


 バー「フォグ・パーティション」は荒くれの集う港湾区においては珍しい程落ち着いた店だ。駅前の商業ビル地下一階に、喧騒から隠れるようにひっそりと佇むその様はまさに隠れ家。バーカウンターの奥には酒ソムリエのツボを押さえたボトルの歴々が整列し、スポットライトの脚光を浴びて色気を放っている。

「いらっしゃいませ」

「どうも。オズ、います?」

「奥の個室に」

 右目と頬の深い傷跡が特徴の店主、ハイアットが部屋の隅を指す。

「そうですか。オールドキングを」

「どうぞ」

「いつも弟がお世話になってます」

「これはどうも。彼はよく働いてくれます」

 白髪のマスターは軍人を思わせる厳つい顔付きを綻ばせながら言った。新品のボトルを慣れた手つきで取り出し、グラスを二つ添えて渡す。

「どうか楽しんで」

 ブラッドは笑みを返し、個室へと向かう。ドアを開けると、弟の赤ら顔が目に飛び込んできた。

「おいオズ、今日は記念日だろ。何先に飲んでんだ」

「おお、来たね兄貴。いいだろ俺の成人記念だ。俺に乾杯!」

 オズワルドは酒のボトルで自分の頭を小突き、そのままグイとラッパ飲みした。透き通るような白い肌は赤く染まり、体はゆらゆらと舟を漕いでいた。

「もう半分開けてるじゃねえか。銘柄は……切り裂きジェイソン? いきなり飛ばし過ぎだろ」

「うるさいよ兄貴。遅れて来といてお説教かよ」

「すまんすまん悪かった。ほら、お祝いだ」

 ブラッドはオールドキングを開封し、二つのグラスに注いだ。オズはグラスを受け取り、一気に飲み干す。二杯とも。

「馬鹿お前っ」

「ブハァッ! ……ほら、兄貴も」

 オズは切り裂きジェイソンのボトルを差し出す。ブラッドは肩を竦め、弟に倣いグビグビとバーボンを喉に流し込んだ。五十度の強烈なアルコールが喉を焼き、独特の煙臭さが鼻を抜けて漂う。堪らずブラッドはせき込み涙を流した。

「ゲホッゲホッ! ああ畜生、暖まったぜ……あっそうだ、乾杯」

「乾杯」

 カン、とボトルとグラスが小気味よい音を奏でた。ブラッドは革張りのソファに腰を落ち着ける。向かい合う弟は、今日は覆面もつけずに素顔だ。数年来の懐かしい顔がそこにはあった。
 
 激動の二十一世紀を人類が乗り越えてから早十年。縺れに縺れた四王国連合の情勢は”霧の王”が統治者として君臨し、大陸の近隣諸国と停戦協定を結んだ事で漸く落ち着きを見せ始めた。街に溢れる深い霧も、今やすっかり日常と化した。

 代わりに顕在化したのが呪術師による犯罪だ。新聞の朝刊にはでかでかと”スタッグ・ビートルズ、メンバー惨殺! 世紀末にゲットバック!”の見出しが国民的バンドのベース担当の遺影と共に一面を飾っていた。

 呪術師とは、いわば超能力者である。世紀末を機に、不特定多数の人間に齎された、謎多き力である呪術。人間離れした怪力だったり、機械を遠隔操作したり、心を操ったりと、人間の身に余る超常の妖術が降って湧いたように人々に宿ったものだから、世の中は当然荒れた。”呪いの王”たちによって領土が分割され、それぞれの支配域で独自の秩序が築かれるまでに実に多くの血が流れ、中には文明が滅びた地域さえある。

 オズも呪術師だ。超能力を使えない人々からすれば羨望の的だが、彼らがあくまで呪術師と呼ばれる所以は、その悪辣な呪いにあった。その力を授かった者は、代償として何か大切な物を奪われるという、理不尽にして不可逆の現象。大病に犯される、身体の一部が欠損する、果ては肉親が死ぬ等、その種類は千差万別だった。

 オズの呪いは、顔に顕れた。

 ブラッドは酔いつぶれてまどろむ弟の素顔をつぶさに見つめた。ケロイド状に爛れた顔面は痛ましく、右眉の辺りは骨までもが露出している。ブラッドは見慣れた筈の弟の素顔に、未だに生理的嫌悪感を覚えてしまう自分を恥じている。オズがこの姿になって六年、彼は外出時に必ずマスクを被り、自宅でさえもなるべく外さないようにしていた。傷は治りもしなければ悪化もしない。それは超能力を手に入れた代償を支払ったという証に過ぎず、恐らく生涯消えることの無いであろう、まさしく呪いの傷跡であった。

「なに見てんの?」

「おっ、いや、何でもないんだ」

「マスク、付けた方がいい?」

「いや、その……好きにしててくれ」

「へへ。じゃあ被るよ」

 オズワルドはソファに置いてあった覆面を被った。今日はクッモマンのなりきりマスクだ。バーでの仕事では使わないが、自宅では頻繁に被っているお気に入りだった。

「なあ兄貴。兄貴の仕事ってさ、結構物騒なことやってんだろ?」

「まあ、多少はな。どうした、急に?」

「辞めようとか、思った事ないの?」

「え?」

 弟の言葉にブラッドは困惑した。兄弟の間柄であるにも関わらず、これまで仕事の話に言及されたことは無かったのである。

「どうしたんだ、急に?」

「ほら、二三年前だったかな。兄貴が血だらけになって帰ってきたことがあっただろ」

「ああ、あったな。確かに」

 ブラッドはどきりとした。彼の所属する職場で扱う仕事は幅広く、血生臭い案件も少なくない。しかし、弟の指摘する件ではそのような物騒な事案は扱っていなかった。王国赤十字社に忍び込んだ吸血鬼を確保しようとし、反撃の輸血パック投擲で血だらけになったというのが真相だが、ブラッドはどこから話せばいいのか分からず答えに窮してしまった。

「あの時さ。凄え怖いって思ったんだよね。あれが何の血かとか、聞く気ないんだけどさ」

 オズは手元を見ながら言った。その姿から先刻までのへべれけな様子は見て取れない。弟が真剣であることを、ブラッドは肌で感じ取った。

「これから俺、彼女とか出来てさ。兄貴に合わせるって時にさ……胸張って紹介したいじゃん。兄貴だって今の汚れ……仕事の後のしみったれたツラを見せるのは、その、嫌だと思うんだけど」

「……そうだな」

「いや、別に兄貴の仕事で俺が困るとかじゃないんだ。ただちょっとマジに考えて欲しくて」

 ジリリリリリ! 黒電話のベルが鳴り響く。スマホの着信音だ。ブラッドは内心ホッとしながらスマホを取り出し電話に出た。

「はいどうも」

『私だ。今から来れるかい』

「あー、今は……ええ、大丈夫ですよ」

 店で飲み始めてから二時間。弟の記念日とは言え、そろそろ切り上げてもいいだろうと、ブラッドは判断した。

『そうか。事務所で待っているよ』

「はい」

 ブラッドは通話を終え、立ち上がった。

「行っちゃうのかよ」

「すまんすまん。でももう二時間だぞ。まだ飲み足りないか?」

 オズワルドは溜息をついた。ブラッドはジャケットを羽織り、万札を置いて部屋を出ていく。

「オズ」

「何だよ」

「今度仕事の話を聞かせてやるよ。三つ首課長怪獣幽霊の話とかな」

「え、どういう仕事?」

 ブラッドは手をひらひらと振り個室から去った。店長に会釈をし、階段を上り夜の街へと出る。夜空には霧に覆われた満月がぼんやりと浮かんでいた。港湾区の海風はヒリつくような寒さだ。ブラッドは煙草に火を点け、街灯を頼りに靄の中を歩いて行った。


              ◇◇◇◇


 
 港湾区の駅から歩いて十五分、二階の窓から覗くサンタクロース人形が目印の年季の入ったビルを五階まで上がれば、ブラッドの勤め先に辿り着く。エレベーターは現在故障中。ブラッドは薄暗い階段を黙々と上り始めた。深夜のビルは静寂に包まれており、足音だけがコツンコツンと反響している。早くエレベーター直らねえかな。軽く息を切らした頃、ブラッドは事務所前に辿り着いた。

 カークランド探偵事務所は霧の街でもそれなりに名の知れた事務所だ。ただ、有名とは言っても人気という意味ではない。広告の類は一切出していないし、事務所の入口に掲げられた表札以外にはそもそも看板すらないのだから、近隣住民の殆どはこの場所に探偵事務所が存在することすら知らないはずである。

 大方の依頼人は、所長の知り合いや街の事情通からの斡旋でここを訪れる。そして持ち込まれる九割近くの依頼は、常人なら首を捻り頭を抱える様な珍事件、怪事件ばかりだった。

「本当にすみませんでした!」

 事務所に入るなり、ブラッドの目には床に額を擦り付けて謝る男の姿が飛び込んできた。

「あれ、お前」

「ウス、自分、アラン・ベイカーです。先刻はとんだ御無礼を……」

 ニット帽の少年は、バーへの道すがらにブラッドに襲い掛かったミストギャングのリーダー格だった。

「すまんなホーン。うちの弟が苦労を掛けたようで」

 来客用のソファにはスーツ姿の威厳ある若者が座っている。港湾区に拠点を持つマフィアにして事務所の得意先、ベイカー・ファミリーの若き首領、ダミアンである。所長は怪事件と聞けば誰からでも依頼を受ける為、こうした裏社会の人間とも何かと付き合いができるのだった。

「ああ、どうもベイカーさん。まあ君、顔上げていいからさ」

「ウス、あざっす!」

「アラン、紅茶淹れろ。いいでしょうカークランドさん。うちの弟、上手いんですよ」

「ウス、淹れます!」

「そこのキッチンを使いたまえ」

「ウス、使わせて頂きます!」

 カップはそこの棚だ。所長はソファの上からアランに伝え、すらりと伸びた足を組み直してブラッドの方へと向き直った。

「おかえり、ブラッドくん」

 探偵セリーヌ・カークランドは切れ長の目に艶やかな黒のロングヘア。日本の女学生用セーラー服に黒タイツという出で立ちは、若々しい外見と相まって如何にも少女じみているが、彼女の纏う大人びた雰囲気が服装とは裏腹の妖艶な色気を醸し出していた。

 変わらないなあ。ブラッドは出会ったころからそのままの所長の姿を見て、常々そう思う。年齢など聞いたことも無いが、百年前も千年先もその姿のままなのだろうという奇妙な確信があった。

「ただいま、所長」

「うん。さあ早速仕事だよ。お得意様には尽くさなきゃね。弟くんの謝罪も済んだことだし、話を聞かせてくれダミアン」

 ブラッドは所長の後ろに立ち、依頼人と向かい合った。オレンジのジェットモヒカンにトレードマークの顎髭。マフィアの頭を張るだけあり、振る舞いからは持ち前の豪胆さが見て取れる。しかし、その表情にはどこか陰りがあった。

 ダミアンは葉巻に火を点け、煙をゆっくりと吸う。そして天井の一角を見つめ、溜息交じりに吐き出した。灰皿に灰を落とす。数秒の間が空く。やがてダミアンはセリーヌに顔を向け、静かに話を切り出した。

「カークランドさん。あんたの人柄を疑う訳じゃない。あんたはどうしようもない破落戸の俺たちにも良く接してくれてるし、何度も助けてもらって、その、本当に感謝してるんだ」

「うん」

 歯切れの悪いダミアン。珍しい姿だった。ブラッドは訝しむ。セリーヌは落ち着き払って相槌を打ち、次の言葉を待つ。

「三か月前、ハイウェイの道路灯に惨死体がぶら下がっていた事件があっただろ」

「うん、あったね」

「あれは、あんたが”遺言”を聞いた結果なのか」

「ああ、そうだよ」

 セリーヌは答えた。遺言。死へと先立つ者が、残される者へと伝える最期のメッセージだ。

 だがセリーヌにとってのそれは違う。彼女が聞くのは、既に死んだ者の言葉だ。探偵にして呪術師でもあるセリーヌは、遺体を材料に死者の霊を呼び出し、その人物に嘘偽りの無い供述をさせることができる。その力こそが尋常ならざる数々の怪事件を解決に至らしめた、探偵セリーヌの真骨頂であった。

 しかし、彼女の呪術には大きな代償があった。呪術の材料として使用した遺体はその場から姿を消し、後日全く別の場所で発見される。場所はセリーヌ本人にも分からず、その上発見された遺体は、皆一様に首から下の肉体が、まるで拷問にでも会ったかのように酷く傷付けられているのだ。

「わざとやってる、なんて事は無いんだよな」

「無いよ」

 セリーヌはきっぱり言い切った。

「何か証拠を提示できる訳じゃないが、私はあんな悪趣味なことはしない。あれは私の意志とは無関係な、呪術のもたらす効果の一部に過ぎないよ。信じてもらうしかないが」

「そうか。そうだよな……」

 ダミアンは葉巻を吸い、深く吐き出した。悩んでいる。ブラッドはそう思った。

「昨日、俺の親父が殺されたのは知ってるだろう」

「ああ。新聞にでかでかと載っていたね。スタッグ・ビートルズ事件の余波で、下の方に追いやられていたが」

 オーガスト・ベイカー射殺さる。新聞の一面に載っていたその記事には、ブラッドにも覚えがあった。

「そうか。……親父の生前の言伝でな。もし自分が死んだら、カークランド探偵事務所を訪ねて遺言を聞けと。そう命じられてる」

 ダミアンは渋い顔をした。

「依頼はする。それはもう決めてるんだ。親父を殺した犯人に目星はついているが、本人から直接聞けば確証になるしな。聞かないわけにはいかない。それは決まってるんだ、うん。ただ」

「父君も間違いなく、これまでとケースと同じような目に遭うだろうね」

 セリーヌは忌憚なく告げた。

「だろうなあ」

「割り切れないかい?」

「ああ。仕方がないとはいえ、何とも」

 ダミアンは頬杖をついた。その仕草に年相応の愛嬌をブラッドは感じる。彼は二十五歳。ブラッドは二十四だ。彼からの依頼は今回で七件目。そのどれもが裏社会の人間が持ち込んだとは思えないような、珍妙な事件だった。南アフリカからの出張UMA怪獣モケーレ・ムベンベの調査。世紀末切り裂きジェイソン事件。分裂したおでん屋台の謎。妹の彼氏の素行調査。エビ怪人の捕獲。秘密のマーライオン倶楽部の探索。

 世紀末のオカルトブームに影響され事あるごとに事務所を訪れたダミアンと、探偵助手として奇怪な事案の調査に奔走したブラッドは、事件の帯びる胡散臭い、それでいて何処かのほほんとした雰囲気も手伝って次第に打ち解け、いつしか気安い間柄になっていたのだ。

「私の力は死者の尊厳を破壊するものだ。それは間違いない。呪術を受けた遺体は必ず本人だと分かる形で衆目に晒される。白骨死体だろうが、生前の生身の状態で発見されるんだ。その上で全身を切り刻まれていたり、生皮を剥がれているんだから、まあ悪趣味な辱めだよ。元首領の惨死体が見つかったとなれば、君たちの組織の看板にも少なからず傷が付くしね」

 けれど、とセリーヌは続けた。

「それは死者の魂を冒涜することとは、少し違う」

「何?」

「単純なことさ。私の呪術で迷惑をこうむるのは、今この世に生きている者だけだ。死んでしまったオーガストには何一つ関係が無い。寧ろ彼の願いは、残された君に情報を伝えることで、組織を守ることなんだろうしね」

「あんたの呪術で親父の魂が、その、どうにかなっちまうってことはないのか」

 そこは私にも分からないんだ、とセリーヌは言った。

「でもそれを言ったら、オーガストはそもそも天国には馴染めない男だろう。あの世があるとして、だが。彼の生きた時代は激動だったからね。君も父君の武勇伝を、古参の部下たちから聞かされて育ったんじゃないか? 市井の人々からすれば乱暴狼藉の数々だろうが」

「……そうだな」

「それに、父君の遺体と君たちファミリーが踏み躙られることになる名誉を取り戻すことができるのは、他ならぬ君たち自身なんだ。オーガストの思いを汲んでやるのに、遠慮はいらないと思うけどね」

「紅茶っす! どうぞっす!」

 アランがタイミング良くトレーを運んできた。テーブルにカップを乗せ、ブラッドには手渡しで寄越す。

「ホーンさん、砂糖とか要ります?」

「大丈夫だ、ありがとう」

 ブラッドは礼を言い、紅茶を啜った。

「熱っ」

「こらこら、折角入れてくれたお茶じゃないか。香りを愉しむ位の嗜みを見せたらどうだい」

「ああ、すんません所長。おお、凄え」

「やるっしょ?」

「やるなあ」

「済まないダミアン。うちの助手は教養が無くて」

 ダミアンは思わず噴き出した。そして砂糖をカップに注ぎ、スプーンで混ぜる。ノットピルの茶葉は安価でありながら質が良く、庶民のみならず上流階級にまで普及している逸品だ。ダミアンは立ち上る湯気から芳醇な香りを吸い込み、カップを口元に運んだ。

「やるな、アラン」

「だろぉ?」

 ダミアンは微笑み、透き通る琥珀色の水面を見つめた。

「巡り合わせかな。親父の好きだった紅茶だ」

 その目からは先刻までの迷いが消えていた。セリーヌは嬉しそうに彼を見つめている。

「葬儀は明日だ。仕事はその日の深夜に頼む」

「了解。完璧にこなして見せよう」

 セリーヌは得意げに腕を組んで答えた。ブラッドは依頼人の後ろで密かに胸を撫で下ろした。UMAや都市伝説探しとは違い、今回の依頼は楽そうだ。


 港湾区埠頭の倉庫には首領であるダミアンと数人の部下、ブラッドとセリーヌが、立ち並ぶ陳列棚の隙間に鎮座する黒い棺を取り囲んでいた。葬儀中に偽物とすり替えられ、秘かに運ばれてきた棺の中には、死化粧の施されたダミアンの父オーガスト・ベイカーが安らかに横たわっている。外から入り込んだ霧は灯りの少ない倉庫の地べたを這いまわり、神秘的な雰囲気を漂わせていた。

「念のために言っておくが」

 セリーヌがダミアンの目を見据えて言った。

「死者との対話は万能の解決策ではない。私の力で蘇った者は嘘を吐くことが出来ないが、殺された君の父君が犯人の情報を持っているとは限らないし、その情報を正しく理解しているかも分からない」

「構わんよ」

 ダミアンは即答した。

「もう腹は括った。どんな結果だろうと受け止めるさ」

「いいだろう。始めようか」

 セリーヌは愉し気な笑みを浮かべると十字を切り、オーガストの寝顔にそっと触れた。

 ピキ、と。その顔に亀裂が生じた。セリーヌがそっと息を吐き、指先に意識を深く集中させる。呼応するように亀裂はビキビキと無数に走り、オーガストの顔はひび割れた卵のように傷だらけになっていた。

「さあ、おいで」

 ぶしゅ、と液体の泡立つ音。直後、血の噴水が上がった。オーガストの死に顔は中央から陶器のように固い欠片になって割れ砕け、溢れた血液は中空で一纏まりになり、やがて人型を作った。赤黒の液体人間はふわりと地上に降り立ち、ダミアンと向かい合う。

「……親父か?」

「……ダミアンか」

 血の男は手で顔を拭う。さっきまで棺の中で横たわっていた死人の顔が、くっきりと浮かび上がった。オーガスト・ベイカー。齢十八で犯罪組織を受け継いだ稀代の統率者。柔和そうな顔立ちの瞳の奥に宿った暴力性と慈愛の両極が、ノイズじみて揺らぐ赤黒い顔からでもはっきりと見て取れる。

「言伝通りに、遺言を聞きに来たよ」

「そうか。私を殺ったのはデンゼルだ」

「やっぱりか」

 ベイカー親子は単刀直入に本題に入った。デンゼルはオーガストの側近であり、彼の死後に行方不明になっていた男だ。組織の最古参の一人で、長年オーガストの側で辣腕を振るってきた、名実ともに組織の右腕であった。

「裏切りの理由は?」

「分からんのだ。他の組織と繋がっていたという話は聞かなかった。待遇に不満があったとも思えん」

「親父。昨日、奴の姿をベアード・カルテルの縄張りで見たって情報がある」

「ベアードの? まさか、麻薬ビジネスに乗り出すために裏切りを?」

 ベアード・カルテルは港湾区を三分割する非合法勢力の一つであり、大陸から密輸した麻薬を資金源に伸し上がった外来の犯罪組織だ。呪術師戦力も揃えており、ベイカー・ファミリーとは過去数度熾烈な争いを繰り広げてきた因縁の相手であった。

「理由までは分からない。だが必ず見つけ出して、洗いざらい吐かせてやるさ」

「ああ、頼んだぞ倅よ。そして、お前にはもう一つ話さねばならん」

「何?」

「骸の王についてだ」

 聞きなれない言葉にダミアンが眉根を寄せる。だがこの時代において王とは、即ち呪いの王に他ならない。世紀末に忽然と現れ、異次元の力で既存の世界を支配し、王同士の争いによる群雄割拠の時代を齎した超常的存在たち。

 通説では、呪術師がこの世に溢れかえったのは彼らの力によるものだという。事実、王国軍の兵士たちは有事に際し、政府が用意した契約書にサインすることで、戦闘中に限り王の呪術の一部を借り受けることが可能なのだ。

「ああ。私が生前使っていた呪術は、私個人の呪いに依るものではない。王との契約によって授かったものなのだ」

 霧の街でオーガストの呪術を知らない者はいなかった。自らの手で命を奪った者を僅かな時間だけ蘇らせ、意のままに従わせる能力。操り人形にした相手から敵組織の正確な情報を聞き出して常に主導権を握り、時には爆弾をくくり付けて特攻させ、オーガストは混沌を極める二十一世紀を乗り切ったのである。

「契約には条件があった。呪術とは元来、呪いの対価に手に入れる力だ。だが私の呪いは、私の死を契機に、近しい人間のいずれかに降りかかることになった」

 ダミアンは渋い顔をした。父の身勝手を責めている訳ではない。この時代に、呪術とはそこまでして手に入れる程の価値のある力だ。特に裏社会では呪術師一人に零細組織が潰されたという話も珍しくなく、呪術師の囲い込みは大組織なら避けては通れぬ命題であった。

「なぜ言わなかったんだ」

「言えなかった。そういう条件だったのだ。生前に呪いの内容を誰かに話すことは許されず、書面に残すことも禁じられていた。さもなければ契約の代価は何倍にも膨れ上がり、ファミリーそのものが崩壊する恐れもあった。だからお前とワトキンの二人に、私を蘇らせるように伝えた。……来たのはお前一人だったが」

「弟は病院にいるよ。一昨日急に倒れて、それからずっと意識不明だ」

「……そうか」

 オーガストは右手で顔を覆った。場は静まり返り、気まずい沈黙が流れた。ダミアンは父の言葉を待ちかね、重い口を開いた。

「遺言はもう終わりか」

「……お前が望むのならば、だ。王に連絡し、同じ契約を結ばせてもいい」

「やめとくよ」

 ダミアンは言った。

「あなたは望まないだろう、親父」

 オーガストは沈痛な面持ちを浮かべた。

「すまんな。本当にすまん。これから苦労をかけることになる」

「大丈夫だ。俺はファミリーを立て直す。あなたを裏切ったデンゼルの糞野郎を、必ずその血で贖わせてやる。何も心配はいらないさ。後の事は全て、俺に任せてくれ」

 ダミアンは力強く宣言した。父の心残りが無いように。
 オーガストは安堵の表情を浮かべて目を閉じ、赤黒の体は霧となって立ち消えた。気付けば棺の中の遺体も泡のように消えている。オーガスト・ベイカーの魂は今度こそこの世から解き放たれ、何処か遠く彼方へと飛び立ったのである。


「ボス」

 ダミアンの後ろで控えていた瓶底眼鏡の屈強な黒人、バハが進言する。

「敵が来ました」

「え?」

 ブラッドが初めて口を開いた。動揺しながらセリーヌの顔を窺う。

「さて私の可愛い助手くん。どうやらここからが本番だぞ」

「て、敵? 一体誰なんです?」

「我々は探偵じゃないか。推理したまえ。ベイカー・ファミリーのボスが少人数で秘密の会合を開いた。港の倉庫なんて人気の無い所でね。ダミアンの命を狙う連中からすれば、絶好のタイミングだと思わないか?」

「まさか、ベアード・カルテルか?」

 ブラッドは動揺してダミアンを見る。

「情報が漏れたのか、ベイカーの旦那」

「まさか。裏切り者の正体も規模も確証は無かったから、ここにいる人間にしか今夜のことは伝えてないぞ。偶々俺たちの姿を見られたのかも」

「誰かがリークしたってことは?」

「それは無いでしょう」

 バハが口を挟んだ。

「私の探知呪術によれば、敵戦力は五十三人。うち呪術師は四人。仮に情報が漏れていたとして、ベアードが確実にボスを仕留めるつもりなら、もっと戦力を集めるはず。我々の力は嫌と言う程知っている筈ですから」

「ベアードの連中が囮だったらどうだ。ここにいる誰かが旦那の命を狙い、戦闘の激化に乗じて仕掛けるつもりだったら?」

「それも可能性は低いでしょう。我々は互いの実力を知っています。例えボスを仕留められたとして、そこから無事に逃げ遂せられるとは、容易には想像できないでしょうね」

「本当か? 旦那と俺たちを除けば、ここにいるのはたった五人だぞ」

 ブラッドの問いに答えるように、倉庫の外で俄かに爆発音が鳴り響いた。ベアード・カルテルの悲鳴が巻き起こる。叫声は爆発が止んだ後も静まることは無く、むしろ時と共に勢いを増している。気づけば倉庫にいたダミアンの部下の内、三人が姿を消していた。

「選ばれた、五人ですよ」

「マジかよ」

「ブラッドくん」

 セリーヌが空になった棺に腰掛け、妖艶に微笑みかけた。

「クライアントの危機だ。君もいい感じにダミアンを守ってあげたまえ」

「所長は働かないんですか」

「私はほら、探偵だから」

 後は宜しくと言い残し、セリーヌは棺桶に寝そべり、蓋を閉めた。
 火葬場に送りつけてやろうか。ブラッドは苦虫を噛み潰し、懐の銃を取り出す。一年前の格安セール時に買った回転式拳銃ニューナンブ・レイワがいつになく重く感じた。荒事馴れしているとはいえ、今日は顧客の命がかかっている。

「巻き込んでしまって済まない、ホーン。今すぐにでもいい。危ないと感じたら逃げてくれ」

「どうせ埠頭の入り口にも奴らが張ってるでしょう。逃げるにしても、全員で協力して退路を確保しないと」

「お察しの通りですよホーン氏。何にせよ、まずは先遣隊の三名の活躍を見て判断しましょう。案外全滅させてしまうかもしれませんが」

 バハは片目を閉じ、こめかみに指を当てながらブラッドに歩み寄った。探知呪術とやらを使っているのだろうか。その姿をまじまじと見るブラッドに、バハのスマホが手渡される。画面には予め用意してあったと思しきプレゼン資料が映っていた。

「な、何に備えて?」

「こういう時の為ですよ。さあ、中々個性的な面子をどうぞご覧ください」


【後編に続く】

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