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発酵中!ゆるゆるに、ゆるし中。




(姉妹編「大発酵!ゆるゆるに、ゆるしたろ。」の後編という感じでもある。でもこっちだけでもイケます。)

【被害者根性、加害者体質】

 人は生きてきたようにしか死ねない。じゃ、どのように生きるか。

 育てられたようにしか生きられない。

 以前はそう思って、呪われた自分の環境に対して虚脱感しかなかったが、いやー、変えられます。・・・言い換えてみよう↓

人は、意識を変えない限り、生きてきたようにしか死ねない。のだ。

意識を変えない限り、育てられたようにしか生きられない。のだ。だろ?

意識を変えれば、すべて覆るぜ。


発酵のプロセスはうつくしい。


 人間関係における望ましくない依存関係の捉え方として、加害者+被害者+傍観者=いじめの構図という三角形の捉え方がありますね。

(提唱者とかわからなくってすみません。HITキャラクトロジー心理学協会の説明などご覧ください)

その中で最も威力を持つのは、被害者。被害者が相手を加害者に仕立て上げてしまう、とも言える。

あの人は私をこんなに苦しめた、とわめき立てる権利があると思っている。その状況を許すのが傍観者ね。

 被害者は、被害者をやめようとはしない。ここポイントだと思う。

 加害者をやめるには、一抜けた!と勇気を持ってその関係性の外に出ることだ。外に出たことを被害者は罵るけれども。だって加害者がいなくなっては、自分が被害者でいられなくなるからね。


発酵してゆく決心をしたものたち。
溶け合う前から
うつくしい。


【バカでした】

 私は、母に対して、自分はあなたの加害者ではないと正面から訴え続けるという、最もバカな無駄な取り組み方をし続けたので、時間食った。

バカだった。ばかっ正直なんだいつも私は。もっと早くさっさと、あの関係を抜け出ていればよかったのに。

"加害者にさせられヒガイ" を受けているヒトには、一刻も早くそこを抜け出してほしい。

 母はいつもだれかの被害者でいようとし続けた。それはきっと身を守る術だったのだろう。間違ごーとるけどな。

 被害者としてあんなにいつも不安で不満げな顔をして、でもあの位置関係の中に安定していることが実は、母には安心できる状態だったのだ。

 だから、・・・そういう人は、少なくないのではないかぇ?不満の顔つきでそこにいられることで、安心してしまっている人。 あなたはどうだい?


発酵を決意したものたちはすぐに
ふつ、ちふ、と息を吐きながら
話し合い始める。

抱え込んでいたものが
気泡となって抜けてゆく。


【怒鳴る被害者】

 私は母にとってデフォルトの加害者であった。

 うちはボンビーだったけれど高校までエレクトーンとピアノのレッスンに通わせてもらっていた。ありがとうございました。プロのプレイヤーになるのは、いろいろあって断念した。

エレクトーンという楽器は、ピアノと違って演奏レベルによって弾きこなしていく機種にもレベルがあり、もう高価なものを買い替えていくのは無理だと言われていた。ごもっともです。

 大学生になって、どうにかとにかく自分で新しい楽器を手にしたかった。バイトの資金でキーボードのローンを組むためには、支払い能力のある者の同意が必要だった。

母に店への同行をお願いしたら、その瞬間にキレて怒鳴られた。

「ほら見なさい世間はまだアンタのことを大人とは見なしてないってことタイ!!」

 母は、自分たちが買えないと言ったもの(の類似品)を子供が自分で買おうとしていることに、気分を逆撫でされたわけだ。

そして、どんどん
我が身を軽くして、
浮かび上がってゆくのです。キレイ。


 おそらくは子供に追い越される、置いていかれると捉えたその不安感を、ものすごい瞬発力で子供側の落ち度ゆえの不愉快さとして表現するという、

あの人特有の被害者としての振る舞いだったのだろうけれど、完全にそれは理不尽な態度だ。間違ごーとる。

 で、例えばこういう「子供の叱り方」をしている人というのは、少なくないんじゃないか、と私は思っているのだが、どうだろうか?

まぁ、正しくは「叱り方」じゃなく「感情のぶつけ方」なんだけどね。

この人は、タラちゃんを
どう「叱って」いたんだろうかね?

サザエさん キャラクター紹介 より)


【お母さまがいっぱい】

 感情のぶつけ方には母のような罵倒から私の父のようなネチネチまで(汗)人それぞれあるとして、とにかく自分で、

教育的態度か、単なる感情ぶつけてるだけの振る舞いなのか、の区別がついてない人って多い気がするのですが・・・?

 なぜなら、いま私は大学で授業をやってる身なのだが、授業中に学生にちょこっとだけ、

「自分の内側を見つめてみて」と促してみただけで、けっこうボロボロと生々しい傷が顔を出すから。です。

母のことはサンプル1に過ぎないと「大発酵!ゆるゆるに、ゆるしたろ。」でも言ってるのは、そゆことです。

 もはや「不良」も見かけない「良い子」ばかりの現代、感情は水面下に沈んでしまっているぶん、むしろ悪化しているのではないか。

だって、繰り返しますが、実体のない世間を気にし続けて世の中が以前よりいっそう不安に満ちているもようだからです。

ああ、やっぱり世間のみんなが、母のようだ。やだーあの母親がいっぱーい。うぜー。

たしか、これだ。FX-20。
喉から手が出るほど欲しかったヤツ。
(「YAMAHA エレクトーンの変遷」より)

昔のは、こうやって木が使われていたから
新しいのは家具の匂いがしていた。


【恨みはいつまでも新鮮】

 実家と縁を切って得た自由は至高なのだが、奥底に積もる苦しさは、何年経っても変わらなかった。変わらないのですよ、これから絶縁を考えているみなさん。

 なぜか。

 それは、私の意識の中では、実は私が母の被害者でいつづけていたからだ。しまった。結局は母と同じことを、自分の内側でやっちまっていた。

 ぶつけられ続けた理不尽さの記憶は何かにつけすぐに蘇ったし、それは蘇るたび、たった今新たに経験しているのと何も変わらない痛みも連れてきた。恨みって、いつまでも活きが良い

 私は悪くなかったのに。何もかも私が悪いことにされてきた。私は報われない。

    むー、これじゃ、死が迫った頃にしょーもない人生やったと吐き捨ててしまった母と大差ない。

 答えのある方向は見えているけれど、ガラスの壁に塞がれているような感覚。どうやったらそこに近づけるのか、私は長いこと、ガラスの壁の手前を必死こいてウロウロし続けた。

【嗚呼、あれから一年】

 そんな試行錯誤のプロセスを進んできつつあった今からほんの一年前、ある ”見えない系が見える” 人が、言いました。

 ーーあなたは、自分は他の人たちのようには親の世話をしなかったと罪悪感を持っている、その気持ち(エネルギー)が、”今” に影響しているんですよーー

 去年の秋まっさかりの頃、ずっと一緒にいた私の愛くるしい猫が、呼吸困難でまる1年以上苦しんでから光の森に還った



その間、もちろん手は尽くしたが、ときに、苦しさで文字通り、のたうちまわる症状にまでなって、

その体を支えたり呼吸の補助の器具を口に当てたりで、予定のドタキャンのための連絡をしようにも動けないというようなこともあった。

 それぞれの肉体には、もちろん持って生まれた弱点がある。猫の鼻炎は治せませんと病院で言われてもいた。実際、そこから呼吸器疾患に進んだ。けれども、

ーーそこまでひどい状態を見せられ続けなくてはいけない、どうにも他をほっといて何より看病し続けるしかない状況にいるあなたの、

その世界の根底にあるのは、罪悪感を埋めるため何かを介護し続けようとする意識。

あなたが悪くないことはもうわかっている、と、自分でまず認めること。そして

すべて、もう終わらせる!

という意識
を持たないことには、いつまでもズルズルと続いてしまいますよーー

 ダメ押しのようにそう言われたのが9月。

・・・などと書きかけて、
別件でスマホのストレージを
整理していた日、

まるっまる1年前の日付の写真が
思わぬフォルダから出てきた。
相変わらず主張してくるなぁ。

去年9月の目ヂカラ。

 スライムのように被害者意識から罪悪感に姿を変えていた私の意識が作った世界の中で、私はずいぶんあの子を余計に苦しませたのかもしれない。

自分をゆるして解き放つことが、自分を楽にし、周りのすべてをも楽にすることになる。心に決めた。

その後1ヶ月ほど経った10月半ば、猫は静かに光に還った


【手当たり次第。】

 私は被害者のままで居続けるわけにはいかない。わかっているのにそこから実は抜けられていなかった、それを自分の意識の中でやめるには・・・?

 すべてをゆるす。自分のために。

 ゆるさない限り、自分で自分をネガティブな感情に縛り付けつづけることになるからね。

 絶縁しても苦しさは変わらないから絶縁なんてしちゃダメです、などと、しくじり先生口調で言ってるんじゃないのです。本気で嫌な環境にいる人なら、絶縁も必要。

けれど、絶縁なんてのはまだ「形式」に過ぎない。結局、自分の内側から変えないと、何も変わらないということです。

 だからゆるす。それは、私という微生物が徐々に、でも、着実に、気持ちの中のしこりを分解してぐずぐずに溶かしてゆく発酵の行為なんだな。

柚子ゴショウも、米麹で
発酵中!

そして、癒す。しかないのだ。自分を。母を。ゆるめるの。手当たり次第、ぜーんぶを。ゆるゆる、ぐずぐずに。

 相手は自分の投影だから。あんな人がなんで私の投影なんだよ。そう思うけれども。

でも、違和感を感じる時は、自分を見直すチャンスなのだから。ヒトを変えようとしても何も変わらないけれど、自分を変えたら相手も変わるようにできとるんだよね、宇宙は。

 世界は自分の意識の投影なのです。ちっ。そう感じる自分をまず赦す。しこりを揉みほぐし、分解する。自分を癒す。

そして、ほんとうに自分を赦せた時には、おそらく既に母をも赦し、癒し、認めることができている。

ゆるめるためなら、
あらゆるものたちを用いる。
猫も、麹も。


【「愛」の対義語は?】

愛なんだよ。ったく・・・結局、愛だと?・・・と思うけれども。

そうです。愛なんです。

"愛" っていう言葉でしか表せないのよ、今の地球人の言葉では

と、もう8年ほど前になるかな、苦しすぎて発作的にいきなり日本を飛び出して数日間泊まったシャスタのインで、初めて聞いた。

その時はピンとこなかったけれども、間違いなくそうだ。

    ここで言うてるのは、「真の愛」です。「愛と憎しみ」とか「愛するか嫌うか」とかの、選り分けてヒイキするタイプの愛ではなく。

 対義語の無い「愛」、ホントの愛、「真の愛」を人間は意識しないように誘導されてきた。

憎しみ合いが残っている世界の方が、恐怖や不安を煽りやすい。恐怖に訴えかける方が、コントロールしやすいからね。

もっと人より優れていなければ幸せじゃない、もっと稼げなければ生きていけないよと、不安を芽生えさせ、恐怖を与える言動を、私たちは教育や躾だと思わされてきた。

シャスタのこのインで
いろいろ教えてもらった。

日本の方がやってらっしゃる
ストーニーブルックイン


自分の不完全なところにばかり目を向けるのは、我々の多くが受けてきた教育のタマモノだ。

自分の人生をしょーもなかったとしか見ることができなかった母は、素直に教育されただけのサンプル1なのだ。

自分はまだまだだと死ぬまで努力を続ける勤勉さこそが、己を律するデキタ人の姿なのだと、私たちはとんでもなく深い催眠にかけられてきた。

私の接する学生たちの多くは、この社会の教育の中で催眠状態にあることに無自覚なまま、

深く根を張った恐怖感の中で訓練され、優秀な成績で、次世代に恐怖を引き継がせるオトナ=教員になってゆく。

私はその無益な無限ループを、なんとか止めたい。

そのためには、まずひとりひとりが自分の中の違和感に気づかなければ。

気づいたら認めて、見つめるよう、私は呼びかけてゆくしかない、と今は感じている。ひとりひとりがオノレの内側で繊細に積み重ねてゆくしかないことだ。

深い眠りの中で私たちは、「真の愛」という概念を知らずにここまで来た。「概念のないもの」を表す語など、存在のしようがない。

だから今は、「ホントの愛」「真の愛」などと「愛」に限定修飾を付けて表しておくしかないわけだ。

この貧相な言語の実態・・・不憫なことだ。我が事ながら。

 その「真の愛」の放射。それにつながる大事な道の一つが、「赦す」というようなことだ。簡単にはいかないはずだ。むじゅかちいもん。

オトナは教えてくれなかった、いやオトナも知らない「真の愛」。その未踏の心理状態に近づこうとしているのだから。

【ぜひ、あなたもご一緒に。】

    繰り返じまづ。赦すと、負けたような気になる。そのとおり。でも、赦すことこそが自分をその感情から解放することなのだ。

    わかってますよ。言うは易し。

    実践あるのみ。ゆるゆる、ぐずぐず、でろでろになってゆきましょうぜ、どうぞご一緒に。

ここまでデロデロになったら
赦しコンプリートの日も近い。

ichigberryさんのクックパッドよりお借りいたしました。)

 毎日とはいかないけれど、自分のために自分自身を、そして母を赦す。という「意識」を実践中なんだー、オレ。

    想像の世界での母へのヒーリングは、

アーユルヴェーダのオイルマッサージでほぐしてやる ”イメージ” とか、

自分が微生物になって、ただただ過去のしこりを旨い旨いとかじってはウンコしてゆく(分解ね) ”イメージ” とか。

 夢の中でもずっと怒鳴りつけられ、話しかける気すら起きなかった母に、今は ”イメージ” の中でさわれるまでになってきた。

 ほぐす。ゆるゆるになるまで。手つき、顔つきは、これを参考にしております↓。


 今日も私は、まだまだぎこちなくだが、目を閉じて母に、ときに名前で、話しかける。

 ももよさん、あなたは何もそこまで自分を小さく感じ、思い悩む必要はありませんでした。

 今からでも遅くはない。振り返ってみてください、あなたは十分、恵まれた人生を送った。パーフェクトな人生です。

 あの時、そしてあの時も、またあの時も、娘をあんなふうに疑い、恐れ、怒鳴り、孤立させる必要は、無かったね。

 あなたの娘は、あなたの幼さを今は穏やかに包んでいます。

 あなたは本当は何者にも怯えず、権威にも怖けず、ただ陽気にもっと踊りたかった、歌いたかっただけですね。

 あなたの娘も同じですよ。あの頃踊りたかったから、今踊っている。

そしてもっと弾きたかった、もっと歌いたかったから、心の底から楽しんで弾き、歌えるように、心を楽にしようとしています。

 ももよさん自身が楽になるために、ただそれを認めて、眺めてみてください。羨むより、一緒に楽しんであげてはどうですか?

 あまり楽しくおしゃべりもできなかった時間を、少しずつ塗り替えてゆきましょう、おかあさん。

もみもみ。もみもみ。深呼吸。

発酵中。

母です。


=青春の鼓動2=

それを青春とか呼ぶのなら、そうだ
私は彼らの歌を食べて生きていた
ももいろの鼓動とか
青いまま破れたハートを
彼らの歌が強く包んだ

消えない夕空 ケムトレイルは
母にひっぱたかれた
太もものミミズ腫れ

誰のせいにも 私のせいにもしない何かが
私には必要だった

部屋にドアは無く
生きる呼吸のために
私は彼らの歌に 両手を伸ばした
月日の果てに彼らから離れたが
それはあの
くだらん騒ぎのせいなんかではない

ひとりで歌う時が来たのだろう
長い長い長い甘えのあとに

誰のせいにも 私のせいにもしない何かを
私は肚に捉えた

ひとりで歌う時が来たのだろう
長い長い長い甘えのあとに

ひとりで吹きさらされるに耐えうるのだろう
私は ここからは

詞・曲 さち・ド・サンファル!


姉妹編「大発酵!ゆるゆるに、ゆるしたろ。」↓


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