【3】『君と夏が、鉄塔の上』
帆月は塵取りを構えながら、そう言った。
「え? どうして」
声が裏返る。帆月との会話は、クラスの不良に話し掛けられるよりも緊張する。
「ほら、こないだの読書感想文。何か鉄塔の本を読んだとかで、先生に褒められてたじゃない」
「ああ、うん。まあ……」
確かに、六月の課題として、担任から読書感想文の課題が出た。僕はそこで本を読んだ感想と、自分の実体験を混ぜ合わせた感想文を書き、本当に久し振りに先生に評価されたのだ。
帆月の口から『鉄塔』という単語が出たことに驚いたけれど、それよりも、彼女がここにいることが見つかって、それで先生たちに怒られやしないかと、僕はそっちの方が心配で、あたりを見回した。帆月の担当する掃除場所は、確か校舎内のはずだった。
「あのさ」
彼女は構わず話を続ける。
「秋ヶ瀬公園の所に鉄塔あるでしょ?」
秋ヶ瀬公園とは、さいたま市を流れる荒川左岸に広がる公園のことだ。この中学校からもそう遠くはない。
「あるけど……秋ヶ瀬公園って言っても、結構広いよ」
「マンションの横にある鉄塔なんだけど」
「マンション?」
「ええと、ほら、あの貯水池の近く。何て言ったっけ」
「彩湖?」
「そう、それ」
「それだと、京北線と笹目線があるけど」
「何それ」
「鉄塔の路線の名前」
「へー。名前が付いてるんだ」帆月は感心したように何度か頷いた。
送電鉄塔にはそれぞれ、どの区間に電線を渡しているかを識別するための名称がつけられている。鉄塔の下部を見れば、ちゃんと名称を記したプレートが添えられているはずなので、驚くようなことじゃない。
「彩湖の真ん中を通るなら笹目線。北側を通ってるのは京北線」
「うーん、けいほくせん、かな」
「じゃあ、京北線93号鉄塔かな」
「ああ、でも、私が言ってるのは土手より外側にある鉄塔なんだけど」
「マンションの隣? なら、94号鉄塔だね。小さな公園の横にあるやつ」
「そうそう! よく知ってるね」
帆月に褒められて、僕は少し照れてしまった。
女の子に褒められるなんて滅多にあることじゃない。そもそも女子生徒とはほとんど会話をしないし、僕は成績も悪く運動も苦手だから、母親にさえあまり褒められないのだ。
「あの鉄塔って、何か特別だったりする?」
「特別?」
「曰く付きの鉄塔だとか……おかしい所があるとか」
帆月にそう言われ、僕は94号鉄塔を思い浮かべた。さすがに細かな部分まで正確に思い出せるわけではないけれど、とくに変な鉄塔ではなかったと思う。
「等辺山形鋼の料理長型女鉄塔だったと思うよ。154キロボルトの二回線。このあたりじゃとくに珍しい鉄塔でもないと思うけど」
「へぇ」帆月はぽかんと口を開け、目を丸く見開いた。よく知っているね、という顔だろう。
種を明かせば、先月の読書感想文で、その鉄塔で昔遊んでいたことを書いたから、僕の中の記憶が更新されていたというだけの話なのだけれど、そこはあえて言う必要もないだろう。帆月が京北線94号鉄塔の名を出してくるなんて、すごい偶然だった。
「伊達くんって、ちょっと気持ち悪いね」
「え?」
「よく分からないけど、普通の鉄塔ってこと?」
「あ、そうだね」
「……そっか」
帆月は少し残念そうに肩を落とした。そして、塵取りで地面を軽く叩き、
「ほら」と促す。僕は言われるがまま、集めたゴミを塵取りに入れた。竹箒でゴミを塵取りへと運び、集め損ねたゴミのために塵取りを後ろにずらす─という動きを何度か繰り返し、だいたい集め終わると、帆月は何も言わずに柔道場から離れていった。
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