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「ありがとう」を定型にしてはいけない

※ 今回のお話は「” ありがとう ”という言葉を定型文か何かのように言いまくってはいけない」というお話です。

※ 毎度のことながら猫目の前置きは長い。ですのでどうか皆さま。どうか目次にて『本題』まで一飛びしてください。もちろん前置きを読んでくれるというあなたがダイスキです。それでは前置きスタート。

本日、関東は最高気温36℃の猛暑を記録しています。そんな中、水まんじゅうを買いに出かけました猫目です。みなさま。こんばんは。水まんじゅうはお好きですか? 

じつは、猫目、水まんじゅうを食べたことがありません。よくよく思い返してみるとただの1度もない……ということでこの炎天下の中、水まんじゅうを求めて近所でけっこう有名な和菓子屋さんにいってきました。駐車場が2台と全体的にこぢんまりとしたお店です。

とびらは
もちろん

自動ドア!!

(わわ……今、手でガラス押すところだったよ。指紋がついちゃうよ)

水ようかん!暑い日にぴったりですね!

60年前から「和菓子屋」として地元のひとたちに愛されてきたお店、店内ショーウィンドウに並んでいるのは・・・

つやつや
ぷるぷる
ほこほこ

した和菓子たち。

この日は先客がいらっしゃったので猫目はひとまず、とびら付近で待機します。じーっと和菓子たちを見つめておりますことかれこれ数分。

「お待たせしました」

白髪のおばあさまのご登場。なんといいますか和菓子屋が似合っておられる。むしろ和菓子屋でしか会えることのない人物なのではないか、と思えるほどその場にしっくりくる。

紺色のエプロンをつけた上品そうなおばあさんは目尻にしわを集めて、にっこり微笑んだ。
「なにかお取りしますか?」

猫目はいった。
声を弾ませて。
「はい! 水まんじゅうをっ!」

「……」
それから数秒の沈黙がつづいたあと、

「ごっめんねぇ!」

おばあさまの声が店内に響く。猫目はその声に目をふくらませて立ちつくす。なにかいけないことを言ってしまったのだろうか。正面、彼女の顔がみるみるうちにゆがんでいくではないか。猫目は笑った。たぶん片頬が引きつっていた。

「あの……水まんじゅう……買ってもいいですか」

「ごめんねぇ」

そういって彼女はひとさし指でショーケースを差す。

そこには『水まんじゅう』と書かれた札が、ぽつん。取りのこされたように置かれていた。札のうしろ。空っぽのトレーを見た猫目はようやく理解した。

「さっき、全部売れちゃってねえ」
「あら。そうなんですか(とても残念です)」

「ごめんねえ」
「いえ、全然大丈夫ですよ(全然大丈夫ではないけれど)」
「ほんと、ついさっきなのよぉ」
「なるほど。それは運がなかったです(こうなったらコンビニで買おうかな? いや・・・でもなんかここまで来たら、なにがなんでもこの和菓子屋の水まんじゅうが食べたい。むしろ、それ以外に興味が湧かないレベルに達している)」

「会社のひとがねえ、ここの全部って、貰っていってくれてねえ」
「そうなんですね。すごい人気なんですね(なんだそれは。トレーの中身を全部買っていっただって? どれだけうまいのだ。その水まんじゅうとやらは)」

「あの、それ、水まんじゅう。今日はもうつくらないんですよね?」
「そうねえ」
「明日はどうですか? 明日もまた出ますか?(ちょっとしつこいかな)」
「きょうの夜に仕込むから朝には出てるよぉ」

「そうなんですね。じゃあまた明日、来ます(必ず)」

そういってペコリと頭を下げたつぎの瞬間。
これまで以上に満面の笑みを浮かべてでおばあさまはいった。

「ごめんねえ。こんな暑い中、わざわざ来てくれたのにねえ」

泣きそうだった。
理由はわからない。
とにかく猫目の目頭は熱くなったし、油断したが最後、ほんとうにその場で一滴二滴したたらしていただろう。あぶない。あぶない。

自動ドアをくぐる間際、
猫目はおばあさんをふり返る否や口にした。

「ありがとうございます」
「ありがとうねえ」

お婆さまのやわらかい声と重なった。
それは心地よい”ありがとう”だった。



本題 「ありがとう」を定型にしてはいけない


定型・・・決まった型や一定の型のことをいう。

最近「ありがとう」と口にするひとが増えたように思います。これはとてもいいことです。猫目も「ありがとう」をよく口にします。

ありがとう、といわれて不快になるひとはまずいないでしょう。だれでも「ありがとう」といわれればうれしいものです。しかも言ったほうも心地よい。セールスコピーの分野においても他人になにかをお願いするときには、まず「ありがとう」という言葉を口にしてから頼みごとをしようとあります。

たとえば

〇「この資料、まとめておいてくれない?」
(▼「無理」)

よりも

〇「いつもありがとうね。この資料、まとめておいてくれない?」
(▼「あーまあいいよ」)

といったほうがひとはお願いごとを引き受けてくれやすいのですね。このように「ありがとう」はどこでも、いつでも、いくらでも、その力を発揮することが可能です。


可能です・・・か?

本当にそうだと思いますか?

ありがとう」は心がこめられていることが前提のことばです。

たしかに「ありがとう」は上記でも述べたようにどの場面でも、どの対象にたいしても使える。いわば便利の王様です。

しかし

「ありがとう」を連発しすぎるとかえって不自然になってしまいます。不自然はさらに不信感へ変わることもあります。あなたが普段から「ありがとう」を連発しているとして、そこにちゃんと「感謝」の気持ちがこめられているのならなにも問題はありません。むしろ、しっかり気持ちを表現できていて素敵です。いいことです。

問題は・・・

ありがとう」が定型になってしまっている場合です。

いつのまにか「ありがとう」が口癖になってしまっていた、なんてことはありませんか。じつはこれ、猫目のことなんです。

小学生の国語の時間。
『みんなの好きなことば』をそれぞれ発表していくといった授業ががありました。そこで猫目はわら半紙いっぱいに「ありがとう」と書きました。もちろん「ありがとう」という言葉が好きだったからです。

両親や、近所のおばあさん、おじいさん、友達、先生、誰彼かまわず「ありがとう」といわれるとすごくうれしかった。「ありがとう」は魔法のことばだと思いました。「ありがとう」を伝えあうことでひとはこれほどにも穏やかになるんだ。そう思いました。

だから
猫目は率先して「ありがとう」を口にするようにしました。

むろん

これらは感謝を感じたからこその「ありがとう」です。

それから時が経って、18歳の頃。
猫目は親しかった友人にいわれてしまいます。

「猫目ちゃんってありがとうって思ってないよね?」・・・と。

ドキン。
胸がざわめきました。

「え、わたしってありがとうって思ってなかったの?」
自問自答の末、ありがとうの大半が口癖化していたことが判明。猫目は焦りました。あれだけ「ありがとう」の気持ちを大切にしていたのに、それが単なる口癖になってしまっていたなんて。自分でも信じられませんでした。

友人はいいます。

「ごめんね。
 私がありがとうっていわれることに慣れちゃったせいかもしれない」

対面のみならずメールなど文面においても
「ありがとう」を連発していた猫目は痛感しました。

ありがとう
は言い過ぎる(書きすぎる)とその効力を失うのだ、と。

ありがとうは魔法のことばです。

そして、

魔法とはその効力を失ってしまっては本来の力を発揮することができません。ありがとうは心から思ったときにだけ伝える大切なことば。そんなあたり前のことすら忘れてしまっていたあの日から、猫目は今まで以上に「ありがとう」を大事にするようにしてきました。

今でも猫目は「ありがとう」を口にすることは多いです。しかし、そのどれもにちゃんと感謝の気持ちが宿っています。それはあの18歳のころ、猫目に正直にぶつかってきてくれたMちゃんの存在があったからです。

今では遠くへ引っ越してしまったMちゃん。
大切なことを教えてくれて、
気づかせてくれて、

ほんとうにありがとう。



《水まんじゅう》・・・後日談


「また明日、来ます」

そう告げた和菓子屋に向かったのは翌日の朝。あまねく商店の開店時間はAM10時と思いこんでいた阿呆の猫目は午前、10時半には自動ドアを潜っていました。

が・・・

なんと
和菓子屋さんの開店時間は朝6時だったのです。

すでに4時間半も経過しています。もしかしたら、すでに水まんじゅうは売れてしまったかもしれない・・・と恐る恐るショーケースを覗くと・・・

いた!

いました、水まんじゅう。

そこにちゃんと列になって座っていました。

そうして猫目は念願の水まんじゅうを手にいれたわけです。

さすがは老舗さん。なめらかな口触り!絶品です!

残念ながら・・・

ホームページをお持ちではないとのことで、お店のホームページをこちらへ貼らせていただくことはできませんでした(いつもだれかしらお客さんが入っているのでホームページなどで集客する必要はないもかもしれません)。

やはり人気店というのはリピーターの数(ファンの数)で決まるのでしょうか。ちなみに猫目はすでに和菓子屋さんのリピーター因子です。


それでは

みなさま。

本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました。
また来週の土曜日にお会いしましょう。

いつも読んでくれて
貴重なお時間を使っていただき
まことにありがとうございます。



お約束。8月1日~空の描写です。

【8月1日 午前】雨

それは1秒という短い時間だった。
空全体が銀色に染まった。

雷はまるで地面から轟いているかのように、わたしの全身を低く這う。

空は非常にあいまいに彩られている。

透明に近い、鈍色だ。
雲と雲の境目がよくわからない。


【8月2日 昼】晴れ

入道雲は空の王様であるかのようにそこに渦を巻いていた。
とりわけ僕は、まっしろで立派な入道雲を見つけると
「あのなかに天空の城が隠れている」と思わずにはいられない。

【8月3日 昼】晴れ

まぶしすぎて目がつぶれてしまうかと思った。
空に無数の雲が重なりあっている。どれもぶ厚い雲だ。

あれが水蒸気でできていて、
そこに乗っかることができないなんてとても信じられない。

【8月4日 薄暮】晴れ

そこにはたしかに風の道があった。
いくつかの濃い雲が流れるように空全体へひろがっている。

陽はすでに沈みかけている。
真下の海と同じくらい、空で波が躍動している。

【江の島 近く】

【8月5日 昼】晴れ

シール、タオル、洋服。
洗濯物は屋上へ干すと決まっている。
午後の屋上は猛烈に暑い。

そして、太陽がとても近い。

こうして手を伸ばしてみるとわかる。
太陽はとても近い。

地球から1億4960万kmも離れているなんて、嘘だ。
そんなふうに思ってしまうくらい、夏の太陽は近くにきている。

それなのに

いくら手を伸ばそうと
太陽はいっこうに掴まらない。


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