見出し画像

病気と介護と葬式と

去年から今年にかけて、近くの商店会が2つ続けて解散した。年々店舗が減り、人通りも少なくなり、買い物客も店主も高齢化。このあたりの商店街はどこも同じような状況だから、これからも次々解散していくんだろう。

始まりあれば終わりあり。形あるものはいつかなくなる。周りは「寂しい」と口々に言うが、だからといってそこで買い物してたわけじゃない。スーパーやドラッグストア、コンビニ、大型モール、ネット通販、買い物の場所は至るところにある。もう「商店街の役割は終わった」、確かにそれはそうなんだろう。ただなくなっていいのかといえば、それは別の問題なんですけどね。

解散にあたって道沿いに並べた花壇をどう処分するか? 街灯は行政や町会が引き取ってくれるのか、撤去するのか? 撤去するならいくらかかるのか? どうやらいろいろたいへんらしい。年寄りが集まれば病気と介護と葬式の話でもちきりになるように、商店街の役員たちはしきりに解散にまつわる話をする。

うちの商店街では「介護」予算を一部使って、店舗CMを作った。公共の「介護」はけっこう手厚い。「介護」サービスを受けられる体力がまだ残っている商店街は少ないせいか、受けるとなれば、じつに至れり尽くせりだ。ただ書類がいちいち面倒くさい。会計報告への要求が細かい。あとスケジュール管理がきつい。

「ちゃんとする」のが苦手な私は、こういうことに向き合うたび、「楽しい」の総量が減っていくのを感じる。だいたい自分がやりたいようにやって食ってきた店主さんたちは、みんなこういうこと、苦手なんじゃないだろうか、と勝手に人を巻き添えにして考えてみるが、解散時にかかるお金を残している話などを聞くにつけ、「あ、違いました。ごめんなさい」と思うはめになる。

なにはともあれ、CMはできたし、予算もたぶんつく。さて、お店を開けに行きますか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?